第417話・追い詰められる本證寺

Side:本證寺の僧


「なんだこれは!!」


「まことか? 嘘だったでは済まされぬぞ!?」


 織田が捕らえた僧兵のひとりを解放して、持たせて寄越した文の内容に思わず我が目を疑った。


 それは三河守の名で織田信秀が寄越した文であるが、内容があまりにも信じられない。


 『いますぐ無条件で降伏せよ。さもなくば織田家は今川家と共に一揆に加担した僧と僧兵を根切りにする。降伏すれば織田家と今川家の下で詮議して処罰を決める』というものだ。


 全くもって罪人扱いではないか。我らを愚弄する以外のなにものでもない。


 だが問題はそこではない。織田と今川がまるで組んでおるような文言であることだ。




「やっ、山田景隆が駿府に戻された」


「なんだと!? 織田を討てば今川が味方すると言うたのは奴ではないか!!」


 信秀の文を織田の詰まらぬ謀略だと最初は相手にしておらなかった者も、信秀の本隊が一万から一万五千はおると聞くと顔色が変わった。


 しかもそこには織田に臣従しておらぬ美濃衆の者が大勢おるとか。美濃衆はこの後も斎藤山城守が援軍として来るとの噂もある。


 それだけではない。信秀の本隊には、願証寺の兵がおらぬのだ。


 これも出所不明な噂であるが、久遠の南蛮船と伊勢の海の水軍衆が数千から万にもなる願証寺の兵を運んで南から攻めてくるとの噂があるのだ。


 事実、願証寺からは少し前に最後の降伏を促す文が来た。これ以降は一切の庇い立てをせぬという最後通告だった。我らは裏切り者である願証寺の使者を、すでに幾人も殺しておるのだ。兵を送ってこぬほうがおかしい。


「謀られたのか?」


 このうえ、本当に今川が織田と組んだとなれば、一気に形勢は決まってしまう。


 今川の軍は五千から一万。織田と今川が組めば、最悪、三万から四万の兵に押し潰されてしまうではないか。


 そのうえ、頼みにしておった今川の山田景隆が、この時点で駿府に戻されたというのはどういうことだ。我らは今川か織田の謀略にはまったのか?


「日和見だった上宮寺は、織田を裏切った松平家次が返り忠狙いで攻め落としてしまった。勝鬘寺も、今川から降伏せねば根切りだと、最後通告を受けたとの知らせが来た」


 情勢は良くない。織田領の中で蜂起した寺も僅かにあったが、とっくの昔に織田により鎮圧されておる。


 頼みの綱は織田の背後を突ける場所におる上宮寺だが、ここは日和見の僧が維持しておって説得を続けておった。幾ばくかは我らに味方して蜂起したものの、松平宗家の岡崎を落とすと意気込んでおった松平家次に加勢したのだ。


 僅か数年で見違えるほど堅固になった安祥の城と豊かになった織田領を見て、織田には勝てんと考えた上宮寺の連中は岡崎に狙いを定めておった。


 その松平家次と上宮寺の一揆衆は、一度矢作川を越えて攻めたものの松平広忠に撃退されたばかりか、どうも松平家次の本拠地を織田に奪われたことであっさりと織田に出戻ったようだ。


 味方した一揆勢もどさくさ紛れに織田に付いたのであろう。万を超す兵が尾張から来るばかりか、今川と織田が組んだと聞けば最早退き際だからな。


「おのれ! こうなれば最後の最後まで戦って戦い抜くのみ!」


「我らの信仰は必ず守らねばならん!!」


 現在。本證寺には、三河各地で蜂起して退けられた僧や信徒が続々と集まってきておるが同時に逃げ出す者も増えておる。


 しかも、一揆を扇動しておった仲間の僧は、とうとう信仰の危機だと言い始めた。


 織田も今川も、別に信仰を潰そうとまではしておらんだろうに。わしは野蛮な武士など虫唾が走るほど嫌いだが、それとこれは話が別だ。


 さてどうする。このままでは本当に根切りにされかねんぞ。




Side:久遠一馬


 オレたちが来るまで織田は戦線を縮小しながら粘り強く防衛していたが、本隊が来たことで反撃に転じ、開戦前の領地をあっという間に取り戻していた。


 一時的にも明け渡した領地は当然ながら荒らされていたが、秋の収穫である稲でさえ乾燥途中のものまで持って逃げたことで、被害は大きくはない。


 このあたりはウルザとヒルザの策で計画的に撤退したのが功を奏したんだ。


「見事なものだな。撤退ひとつでこうも違うとは……。戦とはこうしてやるのだと教わったわ」


「恐れ入ります。ですが見事に事をした皆さまのおかげだと思います」


 信長さんはウルザたちの報告に驚き地図に見入っている。


 ウルザは控えめに謙虚なことを言っているが、信長さんはそれを加味してもふたりの功績を評価しているんだろう。


 もぬけの殻の家と稲刈りが終わった田んぼ。時期的に二毛作の麦を植えたばかりの畑を手に入れても、本證寺はなにも得られない。しかも、住民は全て逃げ出した後だ。完全な焦土作戦だ。


 織田領の領民と本證寺領からの流民を効率的に使って、防衛線の構築と撤退の計画を立てたウルザとヒルザの功績は、この戦を決めたと言っても過言ではないだろう。


 もっともウルザたちの言うことも一理ある。信広さんと先遣隊の信康さんがふたりの策を見事に指揮して実現したのも凄い。


 もちろん家や田畑を壊されたところはあるが、想定の範囲内だ。


「あとは本證寺を落とすだけですね」


「加賀のことを聞いておったから、いかがなるかと思えば、ここまで此方こちらの流れになるとはな」


 織田軍はゆっくりと本證寺領を制圧しており、領地を取り戻す過程で捕らえた僧兵に、信秀さんの最後通告の文を託して本證寺に行かせたんだ。


 本願寺の使者ですら殺す連中に、こちらの人間を使者に立てる気はないし、願証寺ですら使者を出す気はないらしい。


 まあ進軍が遅いのは最後通告と同時に、近隣の蜂起した連中が本證寺に集まるのを待っていることも理由なんだけどね。


 これは信秀さんの策だが、面倒な連中は纏めてしまえということらしい。


 もっとも、その分織田は逃亡する者を捕らえるべく各地にて網を張っているが。さすがに今川方面や山野さんやの獣道は無理なんで、完全な包囲ではないけどね。


「今まではこちらの策が上手くいきましたので。ただし、今後の展開、情勢次第では数年かりで、三河が混乱するおそれはまだあります」


 ウルザたちの功績が大き過ぎて、今後は前線に出せなくなり、諜報活動の支援や救出作戦にも支障が出そうだけど、裏を返せばウルザたちを動かさなかったら、今年でも危なかったんだよね。


 史実ほどではないにしろ、泥沼になる危険性は十分あった。初動を間違えれば、織田に臣従した国人衆が裏切った可能性だってあった。


 エルも信長さんが楽観視しないように、まだまだ油断できないと釘を刺してるね。


「ここまで来ると問題は、むしろ今川との関係では? 戦後の三河の扱いで、今川と揉めるのが目に見えておりまするぞ」


「さすがは佐久間様ですね。そこもすでに駆け引きという名の戦が始まっています」


 エルの言葉に反応したのは信長さんの家老である佐久間信盛さんだ。さすがは史実では退きの佐久間との異名をとり、織田家でも出世した人だ。大局的な視点でも物事を見ることができる人のようだ。


 ここまで事が運ぶと今川との戦後の問題も睨んだ動きになる。


「やはり久遠殿は、すでにそこまで考えて動いておると?」


「いや、大殿のお考えです。ただ根深い問題として、織田との和睦を欲しているのは、義元殿や雪斎殿のほうです。下は戦と喚くでしょうけど」


 それなりに戦略的な思考が出来る人らしい。まあ当然と言えば当然だけど。史実で彼が得意としたと言われる撤退戦が難しいのは、言うまでもないだろう。


 でも、なんかすっかり謀略の人にされてない? オレって。


 和睦を欲しているのは今川の方だと教えると、佐久間さんばかりか信長さんの直臣の皆さんが騒めいた。


 ここは信長さんの陣で、今後の方針を話していたんだが、誰もそこには気づいていなかったか。


 今川は長年の仇敵だからなぁ。無理もないか。




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