第416話・役者が三河に揃う

Side:松平広忠


「松平殿、よう堪えたな」


 岡崎城に太原雪斎和尚が来たのは季節が冬になった後だった。


 現状は相変わらずで和尚に責められるかと思ったが、和尚はまるで人が変わったように穏やかに声を掛けてくれた。


 もともと表向き穏やかに、坊主らしく振舞うお人だったが、それでも以前とは雰囲気が違う。なにがあったのだろうか?


 和尚が来るまで、三河は大事だいじ小事しょうじ出来しゅったい続きだった。


 桜井松平家の松平家次が、上宮寺あたりの一向衆徒と共に矢作川より渡ってきたがなんとか追い返した。


 すぐにでも二度目があるかと用心しておったが、いかにも居城の品野城を織田に攻められたとかで、岡崎攻めを諦め、逃げ帰っていった。


「はっ、領内のこの有様。誠に申し訳なく思っております」


「いや、松平殿の責ではない。すべては本證寺の愚か者どもの所業。皆の者もよう聞け。此度こたびの本證寺の愚挙ぐきょ愚行ぐこうは許せるものではない。ありもしない罪を捏造して寺領を広げんとしておるのは明白だ」


 ただ騒動はそれだけではない。あちこちでどさくさ紛れに争いを致す者が少なからずおるのだ。


 わしは和尚にそれを謝罪するが、責を問わぬとこの場で言われたのは思慮のそとであったな。居並ぶ家臣も少し呆気に取られておる。


 あの傲慢な今川家の対応とは思えん。和尚はそこまであからさまではなかったが、それでも見下した態度がなかったわけではないのだ。


「さて、我が今川家で預かりし人質を一旦帰そう。その代わりと言うてはなんだが、すぐに兵を集めよ。此度の一揆勢の討伐は織田と合力して行うこととなった」


「なっ!?」


「それは、まことでございますか!?」


「話が違うぞ!!」


 和尚の口から織田との同盟とも言える言葉が出ると、家臣たちが騒ぎ出した。


 結局、最後の最後まで。わしからは明かせなかったからな。ここには、本證寺と通じる者もおるからな。


 今川家の山田景隆殿が、本證寺に味方して織田を討てと密かに内示しておったからな。信仰から味方する者や豊かな織田領から奪いたい者など、勝手な動きをした者も少なからずおる。


「殿!!」


「わしは動くなと命じたのだぞ! それを無視して勝手に動いたのはその方らであろう?」


 あからさまに動揺する家臣に呆れて、ものが言えんと致したき所ではあるが、一喝いっかつれてやらねば腹の虫がおさまらぬ。わしは終始動くなと言っておったのだ。攻められて撃退するくらいなら構わぬ。


 だが、中には寺領に攻め入り略奪した者もおるし、関係ない織田を攻めた愚か者も少数だがおった。


 わしの言葉を無視しておいて、今更わしにいかがしろというのだ!


「やっ、山田殿は。山田殿はいかがされたのだ!!」


「そうだ。わしは山田殿に命じられて!!」


「山田新次郎は駿府に帰した。勝手なことに御屋形様の命に背いたのだ。二度と三河に来ることはあるまい」


 そう、ここには今川家に臣従した東三河の者や、遥々駿河や遠江から来た者もおるが。肝心の三河を任されておった山田景隆殿の姿がない。


 最後の頼みの綱と山田殿にすがるような者もおるが、和尚が駿府に帰したというと顔を真っ青にしておる。


 今川家が織田と和睦するとなれば、本證寺に加担した者を守ってくれる者がおらぬからな。


「今までのことは色々あろう。だが、今は仏の教えを笠に着た愚か者どもを討つことだ。悔いるのは後でも出来る。武功を上げれば拙僧が取り成しをしよう」


 さすがは太原雪斎和尚か。動揺する者たちを一言で鎮めて、一気に戦に向けて士気を高めたか。


「ですが和尚。織田は辛抱強く一揆を防いでおりますが、われらの領の多くは敵味方が入り混じりて始末に負えぬ状況。いかがするおつもりですか?」


「降伏勧告は一度だけする。今川家と織田の連名においてな。無論、何らの斟酌しんしゃくも致さぬ最後の温情おんじょうよ。その場で首は刎ねぬが、それ以外は一切の安堵はしない」


 家臣のひとりが、今の混乱した三河をいかにするのか気になったようで。恐る恐る尋ねるが、その答えに誰もが理解したであろう。


 今川家が本気で、織田と組む気なのだということを。


 とりあえず、松平の家が残ったのは朗報か。




Side:久遠一馬


 オレたちは三河に入り安祥城に到着した。


 考えてみれば、オレは初めての三河なんだよな。安祥城周辺も、少し混乱しているけど。


 近況としては、まずは上宮寺が桜井松平家の松平家次に急襲されて落ちた。なんでそんなことにと首を傾げたが。どうも信光さんが品野城を、ほぼ無傷で落としたことで帰る場所を失ったことが原因らしい。


 合流していた一向衆の過激派信徒を焚きつけて、岡崎に攻め寄せたまでは良かったが、松平宗家に負けて、助けを求めるように上宮寺に入ったところで、騙し討ちするように穏健派を討ち取って、上宮寺を乗っ取ったらしい。


「それで、上宮寺と引き換えに帰参したいと?」


「はっ、よろしくお願いいたします」


 安祥城に入り最初の仕事が松平家次からの使者との謁見だとは、信秀さんも災難だな。


 松平家次からは一揆に加勢した上宮寺を落としたので、その功で許してほしいと早々と使者を送ってきたんだ。


 というか。先に一揆に加勢しなかった上宮寺のお坊さんが、松平家次に襲われたと言ってこっちに逃げてきてるんだけど。もう滅茶苦茶だね。


「上宮寺は一揆には加勢しない。一揆は本證寺に毒された者が勝手にやっておることで、勝手に動いた者は好きに処罰してくれて構わないと、すでに話がついておったのだが? ここでおのれらを許せば、まるでわしが謀ったようではないか」


 信秀さんが疲れたような、あきれたようなため息を零した。この時代の立場ある人物は下位の者にため息を見せるのは、恥入るべき事やあなどりをこうむる事として教育されているのに、よっぽどなんだね。つまりは桜井松平の処分が信秀さんの中で決まったんだ。死にゆく者にまで、自制をする気が失せたんだろう。


 戻りたいなら、大人しく戻れば帰参出来ただろうに。下手に欲を出すから、こうなるんだ。


「さっさと上宮寺を生き残った僧に明け渡せ。話はそれからだ」


 しばしの沈黙のあとに信秀さんは沙汰を下した。


 ここで上宮寺を織田が押さえると、松平家次の行動が織田の謀略だと疑われかねないからなぁ。


「やれやれ、あやつには困ったものだな」


 使者は返答を持ち帰ると告げて帰った。


 信秀さんは呆れた様子で愚痴を零すと、同席している重臣の皆さんが苦笑いを浮かべた。


 行動が早いのは良いんだけどね。離反も帰参も、傍目はためにも軽挙で、思慮が浅いから決断が早い。とはいえ困ったことをしてくれた。


 いや、まてよ。ここで上宮寺の力を落とすのならば、必ずしも悪くないのか?


 上宮寺は蜂起した者を切り捨てていて、自分たちは関係ないと協力もしてないんだよね。


 どっちにしても、三河の一向宗への守護使不入はこの件で廃止する予定だ。寺領も整理したいし、案外いい仕事をしたと言えるのか?


「一揆勢は勝手でございます。織田を執拗に狙う者や、松平や近隣の国人や土豪を狙う者など様々でして……」


 話はそのまま三河の情勢となり信広さんが説明してくれるが、本證寺が直接率いる一揆勢ですら統率が取れていないらしい。『率いてるけど統率がない』、変なのは判っているが、それほどに本證寺がグダグダなんだよね。


 本来の本證寺のトップである玄海上人と学僧と呼ばれる上層部は、決定権がないらしく表に出てこない。


 一応、蜂起は玄海上人の名前で行なっているが、学僧もだいぶ織田に逃げてきてるからなぁ。完全に傀儡と化しているらしい。


 統率が取れていないので防ぐのは難しくないが、同時に騒動を収めるのも大変だろう。


「岡崎に入った今川方からは手筈通りでと話が来ておりますが、一方で裏では本證寺と通じておる様子もありまする」


 この場の空気がざわめいたのは今川の動きの報告だった。


 今川の山田景隆が好き勝手したせいで、三河では本證寺と今川は組んでいるのではとの噂が流れているらしい。


 織田と松平と本證寺を潰し合わせる。これが山田景隆の狙いだったからな。


「今川は、しばし様子見だな。こちらは本證寺を落とすぞ」


 信秀さんは今川のことを棚上げにして、まずは足場を固めることにしたらしい。


 本證寺さえ落とせば、当面の大きな脅威はなくなる。


 はやく戦を終わらせて尾張に帰って炬燵こたつでミカンでも食べて、のんびりしたいよ。



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