第411話・本證寺内乱

Side:本證寺の僧


 本證寺のために決起を決断してどれほどになろうか。


 まさか同じ寺の者から、一揆に反対する造反者がこれほど出るとは思わなんだ。


「戦力差は五分か?」


「いや、相手はそれほどおらぬわ」


「それは織田に逃げておるからであろう?」


 いざ一揆となれば一致団結してことに当たらねばならぬというのに。あの罰当たりどもめ。


 幸いなのは本證寺をわしらが押さえることが出来たことか。だがほかの中小の寺と村は造反した者どもに半数ほどは押さえられてしまった。


「おのれ……、織田め!! 願証寺め!!」


 原因は織田と願証寺だ。


 皆が苛立ち、中には当たり散らしておる者もおるが、願証寺が罰当たりどもを支援しておるのが理由だ。それ故に門下の寺の動きが鈍いのだ。


 そして、その願証寺を使っておるのは織田だ。


「それで、罰当たり極まる織田の頭目めはなんと言うておったのだ?」


「すぐに騒ぎを止めよと言われたわ。そのうえで損害の補償を速やかに行わねば戦だと、はっきりと言われた」


 やはりな。われらが織田に敵対する気はなくとも、織田は我らを潰す気なのだ。


 すでに尾張からも兵が三河に入ったと聞く。織田は我らを潰す機会を待っておったのだ。それ故にこれ見よがしに三河にて領民に施しを与えておったのだ。我らが非道に見えるように。


 愚か者どもが、それが策だと気付かずに踊らされておるということか。


 考えれば分かることだ。いかに織田が裕福だとはいえ、流民など食わせてなんになる。領民を食わせるだと? 領民が食えるか否かは上が決めることではないわ! 領民が食えぬのは領民が悪いのだ!


「どうするのだ?」


「知れたことよ。こうなれば織田も仏敵だ。織田が滅ぶか否かの勝負だ」


「織田に勝てるのか?」


「今川家の山田景隆からは織田と戦になれば味方するとの確約がある。造反した者どもを叩き潰して織田を一揆で滅ぼすしかあるまい」


 今川家だけではない。美濃の斎藤家も少し前までは織田と争っておったのだ。織田が崩れれば一気に態度を変えるであろう。


 尾張上四郡の織田伊勢守家とて同じはずだ。


 武士が相手では銭と珍しい南蛮の武器で勝てたのかもしれぬが、織田は自身と同じかそれ以上大きな相手との戦はここ数年しておらん。


 造反した者どもさえ叩き潰せば、人などいくらでも集まるわ。


「問題は造反した者どもであろう」


「力でねじ伏せるまで。破門して仏敵にしてしまえ!」


「そこまでやれば引けなくなるぞ?」


「なにを今さら。織田ばかりではないわ。このままでは願証寺に大きな顔をされるのだぞ!!」


 今はまだ同じ宗門の僧ゆえに皆も遠慮があるが、そんな甘いことを言っておっては織田と願証寺の思うつぼだ。


 裏切り者は破門してしまえばいいのだ。あとは仏敵だと断罪してしまえば愚かな民など怖気づいてしまうであろう。


 やれるかやれぬかではないのだ。やらねばならんのだ。




Side:一揆反対派、本證寺末寺の僧


「放て!!」


 なんと。同じ教えを守る我らの寺に火矢を放ってくるとは。


 あの者たちは、そこまでして戦がしたいのか? 織田が領内を荒らされても随分と我慢をしておるのがわからぬのか?


 こんな末端の小さな寺に火矢を放つとは信じられん。


「和尚様!!」


「いかがした?」


 せめて子供たちだけでも逃がしたいが、いかようにもならん。我が身の不甲斐なさに怒りすら覚える。


 集まった者たちの命を救う代わりにわしが投降するべきか?


 そんな思いが過ぎる時、寺に逃げてきた近隣の村の者が慌てて本堂に駆け込んできた。


「助けが来ただ!」


「失礼する。ときがないゆえ無礼は許されよ。某は織田家家臣、本多俊正。ここはもう危うい。共に織田領へ引いてはいかがか?」


 鎧兜を身に着けてやってきたのは織田の者であった。


 元は三河の松平家の者だったはずだが、近年織田に臣従した者であろう。


「わしはもう歳だ。置いてゆかれよ。だがここに集まった近隣の者たちは頼みたい」


 助けに来たのか。物好きな。


 だが寺にまで火矢を使うようになってはおしまいだ。わしが一揆に反対したばかりに近隣の村の者には辛い思いをさせてしまった。


 逃がしてやれる機会を無駄にはしたくない。


「そう言われずに一緒に参ろう。某も皆も和尚様を置いてなどいけぬ。包囲しておった者は某が蹴散らしたが、すぐにまた来る。退くには今しかない」


「じゃが……」


「御免!!」


 長年おしえをつとめてきた寺とご本尊を捨てていくことを躊躇うわしを、本多殿は半ば強引に背負うと本堂を出ていく。


「さあ、和尚様は某が背負った。皆、退くぞ!」


「おおっ!!」


 本多家の旗を挿した兵と近隣の領民の嬉しそうな声がした。


 燃え盛る寺を見ながらわしは本多殿の背に背負われたまま、長年守ってきた寺をあとにすることになった。


 涙が止まらなかった。本多殿の優しさと、御仏と聖人様への申し訳なさで涙が止まらぬのだ。




「殿、追っ手が!!」


「戦えぬ者を先に行かせろ!」


「本多殿……」


「和尚様。ここからはその者が背負っていきます。しばしの我慢を」


「御無事を祈っております」


 いくばくの時が過ぎたかわからぬが、わしの目にも見えるほど追っ手が迫っておる。


 最早、置いていけとは言えぬ。若い兵にわしを預けた本多殿は、自ら兵を率いて戦うつもりだ。


 数は明らかに相手のほうが多い。だが本多殿の覚悟にわしは祈るしか出来ない。


 我が身の不甲斐なさがこれほど口惜しいと思ったことはなかった。同じ教えを信じる者が襲ってきて、武士が自らの命を懸けて逃がそうとしてくれておるのだ。




「放て!」


 その声はいずこまでも聞こえるような、澄んだ女の声であった。


 すぐに耳を塞ぎたくなるほどの轟音が響き、なにかが燃えたような臭いがしてきた。


「援軍だ!!」


 逃げていく者たちの更に先から多くの兵が走ってくる。


 織田家の家紋の描かれた旗指物がある。三河におる織田家の者と言えば安祥城の織田三郎五郎信広殿か?


「御方様。敵はおよそ五百」


「音花火と焙烙玉用意。間違っても味方には当てるなよ!」


「はっ、心得ております」


 すれ違う時に見えた。真っ赤な鎧を身に纏い、日に焼けたような黒い肌をしておる女の大将だ。



 周囲を囲むのは青地の布に金で船が描いてある。そうか。あれが噂の久遠家か。


 風の噂で聞いた通りか。織田の兵を率いておるということは、織田家の猶子となったという話も真であったか。


 離れていくその姿はすぐに小さくなっていくが、大きな音が何度も響きわたると、本證寺の追っ手が逃げていくのが見える。


 本多殿と久遠家の者たちが引き返してきたのはそのすぐ後だった。




「勝手な振る舞いを致して申し訳ありませぬ。すべては某の独断でございまする」


 織田領に入ると織田の前線陣地にわしらは着いた。


 本多殿はそこで人目も憚らず、先ほどの久遠家の女大将に深々と頭を下げておった。やはり本多殿の振る舞いは独断であったか。


「僭越ながら、発言をお許しくだされ。すべては拙僧の不徳の致すところ。責めは拙僧が負う所存でございまする」


 ここはわしが責めを負わねばならん。仏の道を歩む者として同じ教えを守る者の暴挙の責は重い。


「三河衆への裁定は、主である三郎五郎様がなされます。ただし、本多殿。今後動くときは先に報告をお願いいたします。私も及ばずながら口添えはいたしますので。和尚様はこの件での責には及びません。御自責も不要でしょう。それよりまずは怪我人の手当てを」


 静まり返ったその場にて誰もが息を呑むが、本多殿が厳しく罰せられることはないようで安堵した。


 ただ、今も多くの寺が焼かれておると思うと胸が痛くなる。


 何故そのようなことをするのだ?


 仏の教えを説く者がこんな乱暴なことをするのが許されるのか?


 わしにはわからぬ。わからぬが、なんとも悲しいこととしか思えん。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る