第410話・尾張は平和です

Side:北畠具教


 尾張に来た訳は至極単純なことだった。師と仰いでおる塚原殿が尾張にて新たな師を得たと教えてくれたからだ。


 自身の武芸とは違う技を持つ南蛮の女に師事したと聞いた時は、にわかには信じられなかったが、左様な嘘を吐くお方ではない。


 羨ましきと思うたのもある。旅先での予期せぬ出会いを嬉々として語る師が。


 北畠家の嫡男として軽々しく旅になど出られぬだけに羨ましきに過ぎた。


 そんな折、城に出入りしておる商人が尾張に噂の花火とやらを見に行くと聞くと我慢が成らなかった。


 幸いにして尾張には大湊から船が出ておる。出入りの商人に頼み、最も頼みと致す近習きんじゅうと共に商人に扮して尾張に来たのが夏のことだった。


 帰りたれば、父上には叱責しっせきされたが、同時に織田のことは気になっておられたようで色々聞かれた。


 安易に敵に回していい相手ではない。わしは父上に左様申し上げた。


 兵は鍛えられておるし、町は大いに栄えておるのだ。領地が隣接して侵略でもしてくるならばともかく、現状で敵対などしても北畠家にはなんの得もない。


 ジュリア殿とは、その後も文のやり取りを続け、織田で武芸大会を行うというので行きたいと返書したら、尾張守護の斯波家と織田家の連名で正式な招待状が届いた。


 これには父上も驚いておられたが、わしも驚いたのが本音だ。


 少し揉めたが斯波家は落ちたとはいえ三管領の家柄で、織田は今や伊勢の海を支配する家だ。北畠家嫡男として行ってもなんらの問題もない。


 織田に出来るならば北畠にも出来るのではなどと、愚かなことを言う重臣にうつつの厳しきを見せてやる絶好の機会だ。


 現状では北畠は織田に勝てまい。優れた武芸者だとはいえ南蛮の女を剣術指南役にすることなど出来るのか? 北畠家に。


 もっとも久遠家はすでに織田の一族入りをしたというし、そこまでおかしきことではないがな。だが裏を返せば、氏素性の怪しきものを猶子として一族に迎え入れることが為せるのか?ということだ。


「しかし。一向衆とは、これまた厄介な連中が蜂起したな」


「問題ないよ。備えはしてあるからね」


 武芸大会も終わったが、わしはまだ尾張におる。ジュリア殿に武芸を習いつつ、斯波殿や織田殿の宴に参席したりしておるのだ。


 三河で一向衆が蜂起したと聞き、武芸大会を中止して、すみやかに三河に行くのかと思ったが、なんと織田は武芸大会を継続して無事終わらせた。その上でわしや美濃の斎藤家を歓迎する宴を開いておるのだから驚きだ。


 この日も那古野の久遠殿の屋敷でジュリア殿に武芸を習っておったが、先ほどからは休憩を兼ねて一緒に茶を飲んでおる。


 ふと三河のことを口にしてみたが、やはりそれほど困ってはおらぬらしい。


「備えか。いつからしておったのか聞いていいか?」


「アタシたちが来た頃からだよ。尾張や周辺情勢の調査を元にすれば、三河がこうなるのはわかっていたからね。今川・松平・一向衆。誰が先に動くかって違いだけさ」


 備えという言葉を口にしたジュリア殿に思わず聞いてしまったが、まさか尾張に来た頃からこの流れを見据えておったのか?


 恐ろしきよな。はったりではあるまい。ジュリア殿が左様なはったりを言う者でないのは、わしが一番よくわかっておる。


「何故、動くと思うたのだ?」


「武芸と同じだよ。強い奴が隣にいたら従うか戦うか、もっと弱い奴と戦うかが大半、それが『人』と言うものだからね」


 ジュリア殿は当然だと言いたげだが、それをうつつのことと、しかと見据えて策を講じるのは簡単ではあるまい。


 やはり織田は一枚も二枚も上手か。


 北畠家も伊勢を統一出来ればと考えなくもないが、本音では武芸に励み、塚原殿のように諸国を巡る旅にでも出たほうが、得るものが大きいかもしれぬ。




Side:久遠一馬


「桜井松平家。ああ、品野城の人たちか」


「はっ、いかにも一向衆の誘いに乗った節がありましてございまする」


 秋も深まり今日は牧場でスイートポテトを子供たちに振舞おうと、エルとリリーと料理をしていた。


 芋を蒸かしてお手伝いしてくれているお市ちゃんと子供たちと遊んでいたら、資清さんが内密の報告があるとやってきた。


 何事かと思えば……。


「一向衆と共に岡崎を攻めて松平宗家になりかわるってところかな?」


「恐らくは……」


 人払いをして話を聞くが、この情報はどうも願証寺の僧が本證寺側の僧から得たものらしく、まだ裏はとれておらず、偽情報の可能性もあるという段階らしい。


 品野城を拠点としている桜井松平家の松平家次は反松平宗家なんだ。松平と今川と織田の合間を行ったり来たりして自分たちが松平宗家となり三河統一という野心を持っているところだ。


 三河の矢作川西岸は完全に織田で安定したことで最近は大人しくしていたけど、宗家打倒の好機とみたのかな?


「それと今川家の山田景隆が本證寺と繋ぎを取っておる様子。内容は掴めずじまいでございましたが」


 山田景隆って確か、何年か前に桜井松平家が信秀さんを後ろ盾にして岡崎を松平広忠から奪った時に活躍した人だよね。史実だと広忠が亡くなったあとには岡崎代官だったはず。


「今川家も一枚岩ではないということでしょう」


 想定していたというか織田との和睦や共闘の反対派なんだよね、山田景隆は。まさか桜井松平家と繋がっているなんてことはないよね?


 エルの表情は微妙だ。太原雪斎が織田との和睦と同盟を考えているのは虫型偵察機で判明しているが、山田景隆はそれに不満を零して反織田の工作を細々としている。


 ただ彼は義元の命に反しない範囲で動いていたんだけど。ここにきて動きを加速させたか?


「これは大殿にすぐに報告が必要だな。あそこは織田と縁がそれなりに深いし、若様にはオレが直に話すよ」


 桜井松平家の現当主は三代目の家次だが、叔母に当たる人が信光さんの奥さんだったはず。


 ほかにも信秀さんの姉妹が家次の祖父に嫁いでいたりと関係が深いんだ。


「では某が大殿にご報告に参ります」


 資清さんはそのまま信秀さんのところに報告に行った。


 残されたオレとエルとリリーは芋を蒸している竈の火を見ながら考えていた。


「本当にめちゃくちゃになってきたなぁ」


「動いたのは山田景隆です。織田の背後を脅かすことと松平宗家が今川を裏切るのではと考えてのことだと思われますが。桜井松平家を利用して矢作川より東の領地を守るつもりなのでしょう」


 桜井松平家の動きと山田景隆の動きは今のところ表向きは関連性がみられない。ただし、虫型偵察機を使って集めた情報ではすでに確証を掴んでいたか。


 さすがは義元に三河を任されていたひとりだ。織田の弱いところをついてきたか。


「でも桜井松平家は邪魔なんだよね。これで、あそこから動かすことが出来るかも」


 三河と尾張と美濃の境界である品野城は、桶狭間の前哨戦があったところでもある。地理的な要所なうえ、あそこの瀬戸では焼き物が出来るんだよね。


 桜井松平家は心から織田に臣従してなかったから織田の弱いところではあるが、邪魔だったからあそこから動かしたかったのも事実だ。


 山田景隆はそれなりに有能らしいし、いいところを突いてくれたのかもしれない。


「かじゅま〜、える〜、りり〜。まだ~?」


「もういいですよ。姫様」


 桜井松平家の扱いは信秀さん次第だ。止めるのか放置して潰すのか。広忠が織田に臣従してもいいような態度だから、反宗家の桜井松平家は邪魔なんだよね。


 どうするんだろ?


 ただそれよりも今はおやつを待ちわびている、お市ちゃんと子供たちのほうが先だね。こっちの様子を窺うように離れたところから覗いていた。


 みんなにお手伝いをしてもらってスイートポテトを作ろう。


「うわぁ。こんなに美味しいんだ!!」


「ほんとだ、おいちい」


「もう、つまみ食いは駄目ですよ~」


 お市ちゃんと孤児院の子供や牧場の領民の子供たちは、すっかり仲良しになった。


 よく連れてきているからね。


 和気あいあいとお手伝いしていた子供たちがつまみ食いをすると、リリーに注意されてみんなで謝っている。


 仕方ないわね〜、と笑顔で注意するリリーに子供たちは嬉しそうだ。


 本当に孤児院はひとつの家族になっているようだね。


 この子たちが戦で亡くなるようなことがないように、三河はしっかり解決しないとね。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る