第405話・均衡の崩壊

Side:久遠一馬


 二日目は純粋な武芸大会だ。


 日程的な問題があって、予選会は複数同時に行われることになった。参加希望者が今年から一気に増えたんだ。


 特に剣と槍と弓の競技は、美濃の臣従してない国人衆も武芸大会に招待したこともあって、数倍にも増えていちいち見ていたらきりがないほどだった。


「あれだね。泊りこみの規制も必要かね?」


 ただ問題だったのは大会数日前から、一般観覧席に泊まり込んでいる領民が結構いることだろう。


 酷い人だと鍋を持ってきて煮炊きしたりして生活している人もいるんだ。


 さすがに周りに建物がないので火事の心配はないが。警備兵に急遽見廻りをさせて、即席かまど寝床ねどこの為に観覧席に穴を掘った人は、厳重注意の上で埋め戻させた。放置してると観覧席は完成時の姿が見る陰も無くなりそうだったんでね。それが規制発言に繋がる訳だ。


「難しいところですね」


 少し気になったんでエルに相談するが、大きな騒ぎも起こさずに待っているだけなら規制はするべきなのか判断が難しいらしい。


 確かにこれって下手に規制しても会場入り口で徹夜なんてことになりかねない。




「殿、大事だいじ出来しゅったい致しましてございます」


 二日目も順調に進み、お昼を食べた午後のことだった。顔色が悪い望月さんがオレのところに現れた。午前の競技の途中からエルたちが度々たびたび席を外して、シルバーンとの連絡を密にし出したから予感は有った。


「本證寺、内乱でございます」


 周りには招待客もいる。努めて冷静に振舞っている望月さんの言葉に思わず天を仰ぐ。厄介なことになったな。


 望月さんには、そのまま信秀さんにも報告を頼んだが、どうも本證寺領内で大規模な争いが起きたようで織田領に続々と領民が逃げてきているらしい。


 逃げてきた人の話では本證寺強硬派側の僧が一揆を促したが、一部の領民が勇気をふるって反発したら、それに追随する領民も多く、引きられる様に穏健派の僧が矢面やおもてに立ち、そのまま強硬派と穏健派の間で泥沼の対立が起きているようだ。


「大会は中止かなぁ」


「品評会をメインに変更する手筈は整えております」


 これからが面白いところなのにさ。信秀さんから信長さんや斯波義統さんなど主立った者に次々と本證寺内乱の知らせが届くと、一気に場の空気が重くなる。


 エルの提案で事前にこんな事態も想定していて、実は武芸大会を中断しても、芸術と技術部門の品評会をメインにする準備もしていた。


 どうするかは最終的には信秀さん次第だけど。


「とはいえ正確な情報が来ないと動けないよね」


 問題は内乱の規模だ。それに合わせて派兵の規模が変わる。とはいえ先遣隊を送る必要はあるだろう。


 現状では伝書鳩なんかの連絡網があるのでウチの情報は織田家中で最も早い。内乱も今日の知らせがそのまま届いたらしい。それすらも置き去りにする力はこの時代では不要だ。


 今川とは本證寺の一揆には協力する方向で話が纏まったが、あっちは三河の国人衆を動かす以外は駿河と遠江から来るんだろう。情報の伝達スピードも違うし、到着までに何日かかることやら。


「ヒルザとウルザがいます。安祥城は大丈夫でしょう」


 本證寺が一揆で纏められなかったのが吉と出るのか凶とでるのか。織田は最悪の場合を想定しても安祥城さえ確保していれば問題はない。


 問題は矢作川の向こうだよなぁ。地獄の釜の蓋が開かなきゃいいけど。




Side:本證寺領の僧


「どうも幾人いくにんかの僧が願証寺に逃げようとしておるらしい」


「なんだと!? 裏切るのか!!」


「恐らくは……」


 おのれぇ。臆したか!! 逃がさんぞ。元より許さんぞ。


 今討って出ねば本證寺は織田に飲み込まれるのだ。この一年ほどでどれほど多くの罰当たりどもが織田に逃亡したことか。願証寺も一揆に反対する奴らも、何故それがわからぬのだ?


 織田はいずれ我ら一向宗を潰す気なのだ。長年の慣例を無視して銭に物を言わせておる織田が、己たちに従わぬ者をいつまでも認めるはずがない!


 今しかないのだ。松平が織田に飲まれる前の今しかな。


 もし一揆に失敗しても、今ならば織田と今川を巻き込んでしまえばうやむやになる。勝つ方に貸しを作ればいいのだ。


「もう待てん。織田が武芸大会とやらをやっておる今が好機ぞ! 挙兵するぞ!!」


「だが上宮寺も勝鬘寺も未だ態度を決めかねておるのだぞ?」


「巻き込んでしまえばよいのだ。どうせ向こうは困窮しておる。この期に及んで我らと敵対まではするまい!!」


 織田が小癪にも妙な動きをしておるようだが、一度動いた一揆はもはや誰にも止められぬ。加賀では本山に否認されても上手くいったのだ。朝倉でさえも未だに加賀に押されて防戦一方だ。この間まで尾張すら統べておらなかった織田などものの数ではないわ。


「すぐに決起させろ! 一揆だ!!」


「おー!!」


 織田が我らの動きを知ったということは、今川も知っておると考えるべきだ。ならばいかに迅速に動けるかが勝敗を左右するであろう。今川の援軍が来る前に西三河をわれら本證寺のものにしてやるわ!!




Side : 本證寺領の農民


「よいか! 敵は御仏とそれに仕える我らを愚弄する西三河の松平諸家と国人衆だ!! 仏敵を許すな!」


 夜明け前にお坊様が突然来たと思ったら、村のみんなを集めて一揆だと言い出した。


 噂はあった。本證寺のお寺さんが苦しいので一揆をするという話だった。だけどなんで松平様なんだ?


 仏様には逆らえんけど、なんか違う気がするんだよな。


「おらは嫌だ! 隣の織田様んとこは戦なんてしなくても飯が食えるだ! ここも織田様に治めてもらえばええ!!」


下郎げろう!! 仏に逆らうか!!」


 素直に従うのか迷っておったら、ひとりの男が堂々とお坊様に逆らった。


 織田様の領地にだってお寺さんがある。それに願証寺という一向のお寺さんでは織田様と仲良くしておると、この前説法に来たお坊様が言ってただ。


 争うのではなく共に助けあうが、仏様の喜ぶことで、いさかいは恥じいるべきだって言ってたんだ。あいつはそのお坊様の話をそれは熱心に聞いてたからなぁ。


「ええい、この罰当たりを斬れ!」


「こっちこそ、贅沢ばっかりしてる生臭坊主を叩き出してやるだ!!」


 ああ、若いもんはほとんど本證寺のお坊様に逆らう気だ。地獄に落とされるぞ。


「お坊様はいくらでもおる!! この村におまえらはいらねえ!」


 多勢に無勢だ。僧兵を連れておるとはいえ、囲んでしまえばなにもできやしなかった。


 やってしまった。若いもんはこれからどうする気だ?


 どのみち飢えと寒さで死ぬなら、好きなことして死ぬほうがいいのかもしれんが……。




Side:山田景隆


 面白うない。あのくそ坊主め。御屋形様の信が厚いからと好き勝手しおって。


 織田と組むだと? 西三河が取られるのがわからんのか!? 


 無論、理屈はわかる。加賀の件を考えてのことだろう。蜂起した一向衆は今川家にとりても害でしかない。根切りにしてでも、必ず叩き潰さねばならんだろう。


 あの朝倉でさえも、撃退はしてもそれ以上はなんともならんのが一向衆だ。こんなところで蜂起されたら西三河どころか三河が連中の国になってしまうこともあり得るのだ。


 だが一向衆を使嗾しそうすれば、織田を三河から追い出せることが何故わからん!


 管領である細川晴元は一向衆と叡山を上手く使って地位を守ったではないか。今がその好機だというのに……。


「殿!! 大事、出来でございます! 本證寺が! 本證寺が!!」


「蜂起したか!!」


「はっ、そのようでございます! ただ少し様子がおかしいようでして……。なにやら混乱しておる様子も……」


 今からでも遅くはない。本證寺と組み、織田にけしかけるべきか迷っておったが、そこに聞きたくない知らせが入った。


「すぐに調べろ! それと駿府に早馬で知らせを出せ!!」


 間に合わなかったか。西三河はこれでいつ何処が蜂起してもおかしくない状況となった。いや、場合によっては本證寺と示し合わせて織田を叩く好機になるかもしれん。


 連中がこちらではなく織田側に攻め込めば……。


 ともかく詳しい情勢を把握せぬ限りは何もできぬわ。それとこちらも早めに兵を集めるか。三河者は誰が裏切るかわからん。


 場合によっては東三河まで下がる必要もあろう。


 三河をなんとしても今川家のものにせねば。

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