第376話・新たな仲間
Side:久遠一馬
工業村から馬車の試作型が完成したとの知らせが来た。
あまりにも早いので驚いたが、ウチが貸した馬車をばらして模倣したとのこと。これから試運転をするそうだ。トロッコも併せて試作しているらしいが現物がある分だけ馬車のほうが早く作れたみたい。
馬車は基本木製なので、工業村の職人は熱田の宮大工まで馬車の試作に駆り出したらしい。宮大工をどうやって口説いたのか知らないが、宮大工の工業村への入村許可を欲しがったので出しておいた。
足踏み式旋盤とか地道に増やしてるし、あそこは独自の進化をしているよ。
牧場ではこの夏からは工業村の職人の奥さんなど女性陣を助っ人にして、トマトの水煮やトマトケチャップの瓶詰め作りをしている。
料理でのトマトの需要が多いんだよね。秋には第二回武芸大会もあるし、商圏の拡大に合わせて来客に洋食を振るまうことも増えるだろう。尾張で作れるものは尾張で作るために頑張ってるみたい。
今年はじゃがいもこと
トマトは来年あたりには牧場以外での作付けを試してみたいね。
山の村ではとうもろこしとじゃがいもを中心に育てやすい野菜の試験栽培をしている。あそこは畑が多くないが住民が忍び衆でウチの家臣だから秘密を守りやすく、何かと便利なんだよね。
とうもろこしは乾燥保存をするのに向いてる品種だ。
あとは椎茸の原木栽培も試してるから、この秋くらいには収穫が出来る予定だし、間伐材を使った炭焼きや木酢液作りはすでに順調に進んでいる。
養蚕は桑の木の成長待ちだからまだやれないけど、大きな問題も起きていないので大丈夫だろう。
尾張の経済は、元の世界の高度経済成長期並みに好調だが、相変わらず通貨不足が深刻なんだよね。
織田領に限って言えばそう深刻でもないが、他国はそうはいかないし通貨が不足してるからウチが用意した良銭が流出傾向なのも変わらない。
事実上の紙幣である織田手形は今のところ大きな問題はないが、取り扱い資格がない人には換金しないと説明しているのに、資格がない人が換金しようとしてウチに来たことが何度かある。
一部の商人が『自分が信頼出来る人だから』と勝手に他国の商人相手に使ってるんだが、困るんだよね。駄目だと注意しても『あの人は信頼出来るから』と言い訳するし。もちろん『あなたのおっしゃることは織田弾正忠家の命より上だというのですね』と優しく諭したよ。
この問題はその手の商人に明確な悪意がないことが厄介なんだろう。
割符と違いあれは織田家とウチが銭との交換を保証している兌換紙幣だから、織田領以外で流通させる気はない。
まあ資格がある者が第三者に渡して、その第三者が織田領内での取引に使うなら規制はしないが、それを換金したり織田領外に持ち出したりするのは禁止している。
伊勢と美濃に北条のような友好国には積極的に良銭を流してもいいけど、畿内の面倒までは現時点では見てられない。織田が大きくなればどうせ敵に回る連中だしね。
「お久しぶりでございます」
この日、ウチに曲直瀬道三さんを呼んだ。あれから二か月くらいか。本当はこっちから訪ねていこうとしたんだが、長屋住まいのところに訪ねていけば騒ぎになるからって言われて呼んでもらったんだ。
同席しているのは資清さんとエルとケティだ。
「すみませんね。お呼びだてして。ただ曲直瀬殿のことが気になりましてね。近江源氏の佐々木氏庶流であり、あの足利学校で学んだとか。京の都でも評判が良かったと聞きましたよ。一度はお断りしたので京の都に戻られると思っていたのですが、まだ尾張に滞在していたようなので」
「尾張はいいところでございますなぁ。某は尾張をこの目で見て学ぼうとしておったのでございます」
オレのことを恨んでるかなと少し思ったんだけど、そんなことはなさそうだ。こちらが曲直瀬さんのことを調べたと暗に示しても笑っている。なんというか表情に余裕があるね。
「某は両親を幼い頃に亡くしましてな。幸いなことに伯母に育てていただきました。育てていただいた恩を返して、少しでも某のような者をなくそうと仏門に帰依して医術を学びました。ですが京の都はいつまでたっても荒れ果てたまま。それに引き換え、尾張がこれほど穏やかで活気にあふれておるとは思いませんでした」
エルが淹れた冷茶ならぬ冷やした紅茶を一口飲むと、曲直瀬さんは過去を語り始めた。やはり悪い人じゃないね。
「曲直瀬殿。一度は追い返した非礼は詫びるのでウチに仕官しませんか?」
「何故、某を? 久遠様は血筋や家柄では雇わぬと聞きましたが」
今日呼んだ理由はエルやケティたちとも話し合ったが、曲直瀬さんをウチで召し抱えられないかと考えたんだ。
「長屋で銭も取らずに隣の子供を診てあげたと聞いております。それが理由です。苦しむ者を助ける。気まぐれかもしれませんが、なかなか出来ることではありません。織田は病や飢えで苦しむ者をなくしたいと考えてます。そのために力を貸していただけませんか?」
いずれは京の都に帰るのかと思ったら、どうも奥さんを尾張に呼ぶ文を書いてたんだよね。
このまま隠居も考えてるらしいが、それはあまりにもったいない。史実の医聖だよ。
「某の医術など久遠様の医術に比べればはるかに未熟なもの。お役に立てるかどうか……」
「あなたの医術に対する考え方は素晴らしい。医術は迷信や曖昧な噂で行うのではなく確かな事実に基づいて行うべき。一緒に働いてほしい」
こちらの要請に曲直瀬さんは戸惑い悩む様子だが、そこにケティが駄目押しをするように曲直瀬さんに声を掛けた。
同じ医に生きる者同士、感じるものがあるんだろう。ケティをじっと見つめる曲直瀬さんはしばし考え込んでいる。
「……そこまで言われては断れませんな。某の考えは仏門から言えば異端とも言えるもの。まさかそこまでおっしゃるとは思いませんでした」
しばしの無言になったあと、曲直瀬さんはふっと笑った。
まあ迷信や祈祷が信じられている時代に、実証的な臨床医学の概念を持っていたのは驚愕と言っていいだろう。
この時代では道三流医術を確立したわけではないようだが、すでに概念としてはあったようでその勉強のためにも尾張に来たというのが実情らしい。
「神仏と医術は別物。医術は人を生かし、人が生きるための術。いずれ太平の世が来た時のために私は医術を日ノ本に根付かせたい」
「よろしくお願いいたしまする」
やはりケティを同席させて正解だったな。ケティが口説き落としたようなもんだね。
将来的に織田が京の都を押さえてもケティはオレたちと一緒に行動するだろうし、京の都に常駐することはないだろう。曲直瀬さんは血筋が良いから活躍の場はいくらでもある。
頑張ってほしいね。
◆◆◆◆◆◆◆◆
天文十八年。夏、久遠家に曲直瀬道三が仕官したと『久遠家記』にある。
道三は久遠家の医術の噂を聞き、京の都で開いていた診療所を閉めてまで医術を習いに来たものの、最初は断られたという逸話が残っている。
それでも久遠家の医術を学ぶことを諦めきれなかった道三は尾張に滞在して久遠家の許可を待ったと言われる。
尾張滞在中に道三は病に罹った子供を診たりと活躍していたようで、それが認められての仕官であったと思われる。
後に医聖久遠ケティの懐刀と言われることになる道三であるが、この時すでに四十を超えていた。
しかし久遠家の者は長生きした者が多く、道三もまた同じで、医術の発展に尽力したとして後世では彼もまた医聖と呼ばれている。
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