第377話・三河と越前
Side:松平広忠
領内にある寺にて先の商人と会うことになった。
周囲は半蔵に警戒させておるし、寺は旧知のところなので余所に漏れる心配はあるまい。
「単刀直入に言おう。そのほうはわしになにを望む?」
いずこからか聞こえる蝉の鳴き声がやけに耳に残る。
商人は少し表情が固い。このような場所に呼び出したことで警戒したか?
「ご領内での商いの許可をお願いしたく……」
「それは聞いた。だが先の矢銭がそなた以外から出ておることはわかっておる。あの銭の意味を知りたいのだ」
商人を害する気はない。そのためにこんなところで会っておるのだ。
「三河の
織田からすればはした金とはいえ、今の織田の力からすると松平は国人衆と変わらぬ程度でしかない。いかな無理難題を言うのかと思ったが。
今川への裏切りや戦の際の内応、それとも竹千代を松平家当主にするので隠居でもしろと言うてくるのかと警戒したのだがな。
商人の保護だと?
「殿、先頃は駿河で行商人が捕らえられたことがありまする。その件では?」
「ああ、あの件か」
今ひとつ真意が掴めずに考え込んでおると、半蔵が思い当たることがあるようで進言してきた。
今川による忍び衆狩りのことか。織田の忍び衆と称する素破は行商人や薬師となり三河や遠江、駿河に入るという。他国の者を見たら疑えというのは間違ってはおらぬが、
半蔵の報告を聞いた時は、思わず真偽を疑ったほどだ。しかも、織田は素破如きを救出するために手練れの者が動いたというではないか。よほど物好きだと思ったのだがな。
実の所、各地の素破が織田に逃げていくのは少し前からあったことだ。半蔵の手の者も幾人か逃げたと聞く。久遠家に行けば人並の扱いをしてくれる。その噂は真のようだからな。
ああ、当家は織田の忍び衆に手を出してはおらん。そんな余裕がないともいえるが。
「よかろう。だが出来ることと、出来ぬことがあるぞ」
「承知しております」
まあ今川に表立った
所詮、今川は織田を恐れて兵を三河に寄越すなどせんのだ。今の三河に兵を寄越せば織田も動かざるを得なくなるからな。
「話のついでだ。そなたは織田弾正忠殿、
「はっ、幾度か」
「如何様な御仁だ? 正直わしには織田殿がなにを考えておるかわからぬ」
「共に慈悲深いお方と某は感じまする。ただ信義を重んじ裏切りや不義、不正などには厳しいようで。久遠様に関しては武士というよりは、商人のものの見方をしておられるようにも思えます」
それより問題なのは、やはりわしには織田が理解出来ぬことだ。なにを考えておるのかさっぱりわからん。
慈悲深く信義に厚い。まあ武士の理想ではあるが、そんな綺麗事が本心ではあるまい。
「織田は
「これはあくまでも某の私見と承知の上でお聞きください。織田様は、もっと先を見ておるのだと思いまする。久遠様は、いずれ訪れる戦のない世を考えて動くを、
戦のない世だと? そのようなことを考えておるのか? 織田は自らの力で天下を奪う気か?
「戦をせずとも、奪わずとも、食える国にする。それが織田様の目指す先の一端だと、某は見ておりまする。商いもそのための策のひとつでございましょう」
戦をせず、奪いもせず、国が成り立つのか?
わからぬ。わからぬがありえぬと切って捨ててしまえばそれまで。
もう少し調べる必要があるか。
Side:朝倉宗滴
尾張に行っておった公家衆が戻ってきた。
殿が噂の花火とやらの話を聞くというので同席致すことにした。
「ここ越前ほどではないが、尾張も悪うないところであった」
夜空が明るくなるほどの火の花が一瞬にして咲いたと語る公家衆の話に、家中の者たちの大半は半信半疑というか疑っておるな。
わしも疑っておるところはあるが、問題なのは大半の者が織田のやることを認めたくないという、誇りと言わば聞こえが良いが、驕りに耳目を鈍らせた単なる私情であることだ。
朝倉家はいつからこのように驕る者が増えたのだ? 敵であろうと南蛮人であろうと、認めるところは認めてやらねば
織田はかつて越前の守護だった斯波家の下で格上だった家だ。今は我が朝倉家のほうが上かもしれんが、見下して如何する?
「それで花火とはいかなるものなのじゃ?」
「いかにも鉄砲の玉薬を大量に使うもののようであるな。詳しくは教えてもらえなんだが、土産にと線香花火なる手で持つ花火を持ち帰りて参ったので朝倉殿に譲ろう。これが夜空に一面に広がりしものと思えばわかりやすいであろう」
ただ殿は織田のことよりも花火に興味津々だ。武芸よりは文芸を好む殿らしいな。
尾張の織田に出来るなら越前の我が朝倉家なれば、遥かに超えるものをやりたいと考えておられるのやもしれぬ。
しかし公家衆の話では尾張が噂以上に栄えておるようだな。気になるのは一向宗の願証寺が織田と親密だということか。加賀と手を組みこちらに攻めてくれば厄介だな。
しかも織田が敵対しておる今川は旗色が悪いらしい。関東の北条も織田寄りだというし、駿河から来ておったと言う公家衆の話が聞けたのは幸運だった。こちらが考えておる以上に織田が優勢だとは。
織田と六角の関係は悪くない。我が朝倉家はむやみに敵対するのではなく、織田に少し探りを入れてみるべきだな。
斯波家が気になるが、いきなり敵対まではすることはないだろう。
「これはなんとも風流だの」
「そうであろう?」
夜も更けてきたことで線香花火とやらを致すというのでわしも拝見しておるが、確かに悪くない。火があれほど見事に花になるとは思わなんだ。
「尾張では牛の乳の茶を飲ませてもろうた。あれは美味しかった。茶は貰ろうて参ったので牛の乳を手に入れていただければ朝倉殿にも馳走するぞ。作法なりも聞いて参った」
「それは是非飲んでみたいな。用意させよう」
行く前には尾張は野蛮な田舎だと笑っておった公家衆の態度が一変しておるわ。殿は公家衆と共に線香花火を見ながら新しい茶の話で盛り上がっておる。
殿は悪いお方ではないが、ちと緊張感が足りんのう。
だがこのくらいのほうが織田と誼を結ぶのに反対もするまい。所詮、織田が美濃の大半を制した以上は織田となんらかの関係を持たねばならぬからな。
「そういえば噂の久遠とやらはいかがであった? 会えたか?」
「うむ。会えたぞ。朝倉殿と同じく若いがなかなかの男であった。日ノ本の外の生まれと聞いておったが、我ら公家のことも学びておるようだな。そういえば南蛮の見事なる絵を描く奥方もおった。あの絵は朝倉殿に是非とも見せたいものであった」
「ほう。それは見てみたいの」
殿と公家衆の話を聞きながら考え込んでおったが、ふと殿が思い出したように久遠の話を持ち出した。
金色酒や明の陶磁器に絹織物など尾張の品は越前にも入ってきておる。特に陶磁器が気に入ったようで殿は集めておられるからな。
越前でも見たことがない茶に花火、そして絵か。
やはり敵に回すのは避けたいな。鉄砲や金色砲はもちろんのこと南蛮の兵法も知っておるかもしれん。
さて如何するかのう。
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