第367話・熱田祭り・その四
Side:願証寺の僧
「素晴らしい賑わいですね」
嬉しそうな
懸案だった桑名の問題で織田が驚くほどあっさりと引いたこともあるのだろう。
実は願証寺内には織田が桑名を寄越せと言うのではとの懸念もあった。それに久遠殿の桑名に対する怒りも大きいと噂だったのだ。今の織田で弾正忠殿の裁定に口を挟めるのは平手殿と久遠殿くらいだろう。
特に織田躍進の立役者たる久遠殿は商いに関しては絶大な発言権があるときく。
事前に根回しをしてみたが、蓋をあけてみればあっさりと商いの再開に同意した。金色酒の売買を筆頭に願証寺は久遠殿と関係が深いとはいえ、少し驚いたのが本音だ。
織田が堺と対立し始めたこの機会を、反織田だった桑名の会合衆、あの者たちに不満を抱える商人たちが逃さなかったとも言えるがな。あの者たちが桑名最後の会合衆となろう。公界とは言え、織田も我ら願証寺も二度と勝手を許すつもりはあらぬからな。
上人もほっとされたのだろう。以前からご自身も花火が見たいとおっしゃっておられたからな。
「よくおいでくださりました。某は平手五郎左衛門政秀で御座います」
「拙者は滝川儀太夫益氏で御座いまする」
出迎えは平手殿と滝川儀太夫殿か。滝川殿は先日の揖斐北方城攻めで活躍したと噂のお方だ。
鉄砲で敵を蹴散らしたばかりか、戦の後始末もほとんどこのお方が差配しておったという久遠家の重臣。
滝川家は忠義者の八郎殿を筆頭に、久遠家に真っ先に仕官した彦右衛門殿や今弁慶と名高い慶次郎殿と強者揃い、才覚者揃いだからな。そして儀太夫殿は両備えであろう。
護衛としてもこれほどの者を寄越してくれるとは有り難い。
「お世話になります」
「熱田は大変混みあっております。そのためご不便をおかけするかもしれませぬが、なにとぞご容赦を」
総勢二百名以上の僧が連れ立って来た我らを平手殿は歓迎してくれた。
上人はもともと武家との争いを望んでおられなかった。服部友貞が織田のことを散々悪く言っても聞き流しておったほどだ。
石山の本山からも一揆は控えるように言われておるし、なにより加賀の混乱に心を痛めておられたからな。
祭りで混雑するくらいで怒るはずはない。
「これほどの賑わいが近隣にあるとは思いませんでした」
「一目花火を見ようと諸国から人が集まりましてな。もっとも花火は久遠家秘伝の技。日ノ本広しといえども他国ではそう容易く真似は出来ぬでしょう」
人の賑わいに驚く我らに、平手殿は嬉しそうに事情を話してくれた。明や南蛮の秘術を多く知る久遠家のことは今更だが、しかし織田がいかに強大かがよくわかる。
今川治部大輔殿が海道一の弓取りと言われておったのは今や過去のこと。織田弾正忠殿こそが海道一の弓取りと言われるべきかもしれんな。
ああ、子供から年寄りまで皆が笑顔だ。織田は本気でこの世に極楽浄土を作る気なのか?
日ノ本すべてがここのようならば寺社が武力にて身を守ることも、一揆など起こすことも必要なくなるであろうな。
夢物語ではある。されどそんな世が来てほしいと願うくらいはよかろうて。
Side:久遠一馬
今川の太原雪斎が熱田に来たと報告があった。
少し予想外だなぁ。慎重な人とのイメージがあっただけに。
「ここで直接見に来るくらいの行動力がなければ、今川は終わりですよ」
ただ少し辛口なエルは、ある程度は雪斎の行動を予想していたようだ。
オレのイメージなんだろうな。実際に駿河と遠江の石高は合わせても太閤検地の時で確か四十万石程度。ほかには三河が三十万石ほどあるが、平地が多く石高の高い矢作川西岸は織田領であり、それを除外するとそんなに石高は高くない。
尾張一国で五十七万石ほどだったらしいので、単純に史実換算でも尾張さえ統一すれば織田は今川と対等に戦えるんだ。
斯波家は応仁の乱の頃から幕府軍の主力を務めていたほどだ。斯波家の先代の時代には、二度の六角討伐では足利幕府軍の主力となって六角を討伐したんだ。まあ、一回目の討伐では織田家と朝倉家の内輪もめを止められず幕府軍を撤退させちゃうという失態もやらかしてるんだけどね。
現状の尾張を石高で換算すると百万石は超えていると思う。商いの伸びが恐ろしいほど伸びているからね。
とはいえ史実の徳川家康が桶狭間から今川を倒すまでおよそ十年ほど掛かっている。これには武田の同盟破りなどがあったし、家康自身が当時は今川家家臣の身分で今川家からの独立時に国人衆の人質を見殺しにして国人衆が非協力的だったり、三河一向一揆で多くの国人衆が離反するなど苦難が多かったのも影響したようだが。
ただ、エルの見立てでは織田とウチの表に出してる力があっても、現状で今川と全面戦争になれば、負けはしないが相応に苦労はするだろうとのことだ。
尾張から駿河は物理的な距離もある。それに名門今川の名声は落ちてはいないし、特に戦をして疲弊しているわけでもない。今川義元と太原雪斎は戦も弱くないしね。
なにより織田は急速に拡大しすぎている。内部崩壊を起こさないか心配になるレベルだ。織田にとっては内部を固める時間が必要だ。ただ、織田はほとんど戦をしないで拡大してきたから、現状でも今川との戦は出来るけど、開戦するのは下策だね。
ただ少し会ってみたかったな。太原雪斎に。
「ほう。いろいろあるな」
この日のお昼はあちこちの屋台の料理を買ったものだ。せっかくのお祭りだしね。屋台の料理を食べないと。
行動派の信長さんは日頃から領内をあちこち見て歩くし、屋台のものも食べることがあるが、こうしてたくさんの屋台の料理を一度に見ると以前よりバリエーションが増えたのを実感するらしい。
ちなみに基本的に信長さんは毒見とかしない。毒見をして冷めた料理を食べるのが嫌なんだそうな。オレたちが側にいる時はなんとかなるかもしれないが、ちょっと心配だ。
「醤油が出回り始めましたので、味の幅が一気に広まりましたね」
「あれはいいからな。ないと物足りん。だがお前のところの醤油と
尾張で醸造させていた尾張産の醤油もようやく販売が出来るようになったんだ。
現状では地元で小売り販売して反応を試しているところだ。尾張・伊勢・美濃と醤油の需要は近隣だけでも相当あるし、供給がまだまだ追いつかないだろう。
畿内には現時点では売らない。あくまでも地元優先だ。大湊には多少は卸すし、行商人などの商人が個人的に他国に売りに行くのも規制はしないけどね。
ただ大口での販売は当分無理だね。尾張の食生活を豊かにすることが先だ。
最近グルメになってる信長さんは尾張産醤油の味がまだ物足りないらしい。だけどまだ職人も醤油造りに慣れてないからね。当面はそこまで味が安定はしないだろう。
オレたちは青空の下でござに座ってのお昼だ。周りには普通に領民がいるし、中にはお酒を飲んで騒いでいる人もいる。
あまり経験がないだろう箱入り娘の帰蝶さんはちょっとびっくりした表情をしてるが、鷹狩りとか行けば外で食べることは普通にあるからね。
「この焼き飯、美味しいですね」
「どれ、オレにも食わせろ」
ただ慣れって凄いと思う。帰蝶さんも普通に食事をしてるし、チャーハンらしき料理を食べた帰蝶さんが美味しいと口にすると信長さんが帰蝶さんから一口貰ってるよ。
さすがにあーんとはしてないが。
自然にそんなことが言える関係になったんだな。夫婦仲は良好なようだ。
ちなみにチャーハンは八屋で出してる料理から広まったものだ。冷えたご飯でも美味しくなるし、調理も複雑じゃないからね。
難点はこの時代は調理用の油が一般的にはないことだが、実は熱田の商人が最近調理用の油を販売し始めたんだ。
彼は八屋のファンらしく、八屋の料理に欠かせない食用の油の販売に乗り出している。知らない人じゃないから、ウチからもアドバイスを幾つかしたけどね。
畿内の油座がうるさそうだけど、近隣で売る程度なら問題はないだろう。
「アナタ。これ美味しいですよ」
「こちらもいかがですか?」
オレ? オレはエルとセレスに挟まれて仲良く屋台の料理を食べてるよ。
でもさ。ふたりで同時に違うものを勧めるのは止めてほしい。ふたりはオレがどっちを選ぶかを競って楽しんでるらしいが、オレの精神衛生上よくない。
誰か、助けて!
ロボとブランカでもいい。助けて!!
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