第368話・熱田祭り・その五
Side:織田信秀
「太原雪斎。思うたほどではないな」
義元の知恵袋である太原雪斎は思うたほどではなかった。
「何故あのようなことを聞かれたのでございますか?」
「今川がこの先、なにを見て、なにを目指すのか、知りたかったのだ」
雪斎が去って千秋紀伊守が先ほどの言葉の意味を問うてきたが、千秋ですらその意味をすぐには理解出来ぬのが今の世の中だ。
「シンディ、そなたたちに会ってわしは理解した。世の中というものは広く、そして変えることが叶わぬではないことをな」
雪斎がひとかどの人物なのは考えなくてもわかる。現にあの男はわしの言葉の意味をおおよそ悟っておった。だが、答えることはできなんだな。織田との戦のその先をまったく見ておらん以上は大きな脅威とは言えぬ。
「武士として僧として世の中を見ておるだけならば構わん。それならば今の世でも代わりはいくらでもおる」
今川のため、あの男は尾張に来たのであろうが、古き権威から抜けだせぬのならば出来ることは多くないはずだ。
「何故、今川を攻めぬと思う?」
皆が今川を攻める好機だと言う。美濃に大きな脅威がなく、伊勢も安定しておる現状では、誰もが次は今川だと口を揃えて言うほどだ。
大義名分もある。わしは三河守の官位を得ておるし、斯波家は遠江奪還が悲願だ。
「織田は大きくなりましたからな。いささか急激に大きくなり過ぎたためでは?」
「そうだ。そこが問題なのだ。遠江までならば獲れるであろう。だが織田が遠江まで獲ればいかがなる? さすがに公方が介入してこよう。足利家は
さすがは千秋だな。ただの猪武者とは違う。
問題は遠江まで獲った後なのだ。尾張・美濃・三河・遠江と四か国を事実上領有すれば、必ずや公方や近隣の勢力の誰かが動くであろう。尾張は場所も畿内へ介入できる位置にある。そこに四か国を領有する勢力が現れれば、誰もが脅威に思うだろう。
北条とは同盟を結べようが、甲斐の武田は信濃を見ておればあまり信じられる相手ではない。それに越前の朝倉は斯波家による越前奪還を警戒して動くかもしれんし、六角もそこまで大きくなった織田を放置するかわからん。
今川をいかにするかも問題だ。足利家とも縁続きである今川を滅ぼすとなると、足利一門の誰かが介入してくるかもしれん。
駿河一国くらいなら残してもいい気もするが、関東との交易を考えれば邪魔だ。それに今川家は名門だ。さぞや恨みを抱くであろう。
土岐家の末路を考えれば、
家の存続程度ならばいいが、遠江まで奪還してしまえば一国も残せぬ。
今川家を滅ぼし畿内に目を付けられてしまうのは困るからな。現状でも美濃国内の勢力とは交流は持っておる。北の越前や東の信濃や西の近江。いずれかが美濃を攻めてきたらば、たとえ織田に臣従しておらずとも援軍は送らねばならぬからな。
だが六角と朝倉が組めば……。いささか困ったことになる。
「それにな。今川よりも日ノ本から戦をなくすための国造りが先決なのだ」
雪斎が一馬たちのようにもっと先を見ておるならば、今すぐ動いたのかもしれん。だが今川と現状を見ておる程度ならば放置しても構わんのだ。
「確かに、今日の熱田を見るとそう思いますな。尾張と美濃と三河からは多くの国人衆や寺社の僧に領民が来ております。長島の願証寺に至っては証恵上人自ら高僧を率いて来ておりますれば……」
願証寺は確かにわしも驚いたな。立場もある証恵上人自らこちらに出向くとは思わなんだ。本気で織田の風下に立つことも厭わぬということか。
世の中が尾張を中心に動きつつある。面白きよな。
Side:久遠一馬
危機は脱した。ちょっと食べ過ぎたけど。
午後も屋台でのお仕事だ。そういえば、雪斎がうちの屋台に来ていたらしい。
セレスとエルは気付いていたらしいが、オレと信長さんたちは気付いていなかった。教えてくれればよかったのに。
正直、記憶に残ってないよ。坊さんなんてたくさん来たんだ。名札でも下げてくれないと誰だかわからないよ。となるとやっぱり津島の時の道三さんは、あれワザとだったんだね。流石だわ。
夕方になるとウチの屋台はおしまいだ。食材はたくさん用意したが見事に完売だった。
夕方近くになっても賑わいは熱田だけではない。熱田は人で溢れていて、入れなかった人が、近隣の村などにて花火が打ち上がるのを今か今かと待ちわびている。
オレと信長さんはウチの熱田の屋敷で花火見物だ。信秀さんは来賓と熱田神社にて見物するらしいが、あっちは斯波義統さんを筆頭にお偉いさんがたくさんだ。
オレと信長さんも本当はあっちに行かなきゃならないんだけどね。信秀さんが別に好きにしていいと言ったんでウチの屋敷での花火見物になった。
「お袋様、花火まだー?」
「もう少し暗くなってからよ~」
屋敷は今までにないほど賑やかだ。ウチの家臣や忍び衆の妻子と孤児院の子供たちに、牧場村の領民と工業村のみんなもウチで見物することになったんだ。農業試験村や太田さんの領地の人たちも見かけたら誘ったよ。
夕食は屋台の料理とバーベキューだ。もう誰が誰だかわからないほど、みんなが食べ物を持ち寄って宴会になってるけど。
「藤吉郎殿。ジュリアとお酒飲んでるあの人は、何処のどなたか分かるかい?」
ほとんどは顔見知りだが、一部は誰かの紹介で来たのか知らない人がいるんだ。そんな中でも、知らない商人風の男がジュリアとお酒を飲んでるのには違和感がある。
ジュリアがお酒好きなのは今更で、気に入った人と飲むのもよくあるが、あんまり商人と飲むのは多くない。何故か一緒に飲んでいる藤吉郎君が料理を取りに来たんで聞いてみた。
「あのお方は、伊勢の北畠家のご嫡男様です」
「はい? 本人なの?」
「お方様はそうだとおっしゃっておられます。同じ塚原様の弟子同士だと盛り上がったようでして……。最初はおいらが伊勢の商人だと思って案内していたのですが、途中でお方様とばったり会うと正体を見抜かれたんです」
さすがは史実の英傑だ。ナチュラルに運がいいというかなんというか。
歴史が変わってるのにいつの間にかウチで働いてるし、貴重な人と出会うなんて運がいい。
ということはあの人は
「お供の人は?」
「三人ほど……。少ないほうが目立たずにいいと、押し切られたようで。それと武芸の腕にも自信があるとのことで」
いや、北畠家の嫡男にお供が三人って。俺もひとのことは言えないけど危ないでしょ!
「うーん。エル?」
「構いませんよ。ジュリアがなんとかします」
北畠家は具教の親父さんがまだ現役で南伊勢を治めている。現状でも決して織田家に友好的とは言えないんだけどね。確かに周辺地域に突如として大国が現れたら警戒するわな。
地味に今後に影響しそうなんだけど。
もうあの手の人はジュリアの担当でいいか。エルもそんな感じだ。一応信長さんには知らせるけど、信秀さんたちには事後報告で勘弁して貰おう。
「かじゅまー! はい、あげる!」
ほかにもお市ちゃんとか信行君たちがウチに来ているんだよね。ここなら安全にみられるとの判断だろう。熱田神社は武士や来賓でいっぱいだし。
ロボとブランカを連れたお市ちゃんとほかの姉妹の皆さんが、オレとエルにお酒を持ってきてくれた。
というか誰だ。お市ちゃんたちを働かせてるの!? って信長さんだった!!
「そろそろ花火が上がりますよ~」
西の空も星が見え始めた頃、リリーが声を張って、花火をみんなに知らせる。
庭にはキャンプファイヤー…、じゃなかった。かがり火が焚かれている中、みんなで空を見上げて今か今かと花火を待つ。
一筋の光が空に駆け上がると、辺りは急に静まり返った。
漆黒の夜空にオレンジ色の綺麗な花火が咲くと、どこからともなく歓声が聞こえる。
みんないい顔をしてるね。
たくさん楽しい思い出を作ってほしい。
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