第366話・熱田祭り・その三

Side:シンディ


「これほどの人を容易く集めるとは……。真似したくても出来ぬわい」


 ここ熱田の屋敷を本日は大殿の休憩場所として提供しており、大殿はわたくしと共に斎藤親子を招いて茶の湯を楽しんでおられますわ。


 史実の斎藤道三こと利政殿は、熱田祭りの人出に改めて織田の力を実感した様子。


 費用は安くはありませんが、この時代でここまで人を集めるのは銭を使ってもなかなか難しいというもの。それを理解しているようですわね。


「失礼致します。無粋なれど、急ぎご報告有り、罷り越してございまする」


「出雲守か。いかがした?」


「今川家の太原雪斎禅師ぜんじが熱田に姿を見せましてございます」


 外の賑わいを聞きながらの茶の湯も悪くありませんが、少し慌てた様子の望月殿が緊急の報告をすると大殿は面白そうな表情をなされましたわ。


「くっくっく……。今度は今川の坊主か」


 利政殿も意味ありげな表情をされておりますが、義龍殿は信じられないと言いたげですね。ただ北条長綱殿に斎藤殿と尾張に来られる人は多いのですわ。


 北条家と斎藤家は尾張に来て友好関係に変わりましたが、今川家はどうなるのか確かに興味がありますわ。


「お会いになられるので?」


「山城守殿ならばいかがする?」


「わしならば会うでしょうな。敵を知る千載一遇の機会。関係が悪うなるかもしれぬが、会った程度で悪うなるならときの問題でしょうからの」


 面白いのは利政殿が、すでに事実上の臣下のような振る舞いをしていることでしょうか。大殿はあくまでも来客として応対しておられますが。


 どこまで信じられるか不明な斎藤家ですが、大殿はそれすらも楽しんでおられる様子。


「シンディ。そなたならいかがする?」


「難しいところですわ。今川家で今の織田の戦略を理解出来て対応出来るのは、あのお方だけかもしれません。私たちはなるべく今川家を本気にさせないようにしておりましたので」


「じゃが、追い詰め過ぎれば他国が介入するのではあるまいか? 甲斐の武田は今の今川家当主の義元になって和睦したが、もともとは争っておったはずじゃ」


「確かに懸念は山城守様のおっしゃる通りかと。北条家への地揺れの見舞いも対武田という意味合いも多少はありますわ。武田と織田で対立した場合に北条を織田側に引き寄せるためでもありますわ」


 大殿は利政殿に続き私にも意見を聞いてこられましたが、どちらかと言えば私の意見を聞いた利政殿を試しているようにも見えますわね。


 利政殿もそれを理解しておられるのでしょう。私の意見に対して率先して自らの意見を口にされましたわ。


 しかし今回は少し判断に悩みますわ。どのみち尾張を見れば危機感を持つでしょう。ならば会うべきかもしれませんが。


「今川との折衝せっしょう、我ら織田の勝手にはならぬ。守護様の御家、斯波家への配慮も必要だ。安易な和睦など出来ぬが会うべきだな。相手が受けるならばな」


 やはり大殿はお会いになられるのですね。座して待つよりも動くことが好きなお方。


 すでに今川との問題は三河から遠江に移っているとみていいですわね。斯波家の悲願である遠江の奪還は譲れませんわ。守護様は織田の力を信じているからこそ大人しいのです。たとえ傀儡の願いでも織田に力がある以上は奪還はせねばなりませんわ。


 もしくはそれに代わるなにかを今川に出させる必要があるのですわ。


 ですが現状の今川は表面上はなにも失っていませんわ。エルが今川を傷付けないように慎重に追い詰めていますから。今川から遠江かそれに代わるなにかを出させるのは今はまだ不可能ですわね。


「そうだのう…、シンディ。そなたが茶を点てろ」


「私でよろしいのですか? エルならばすぐに参りますが」


「そなたでよい。今川に久遠家にはまだまだ未知未見みけんの者がおるとみせてやるわ」


「畏まりました。では少し支度をして参りますわ」


 やはり大殿は政治的なセンスがいいですわね。エルの存在はすでに今川も掴んでいますわ。そのエルをあえて会わせずに私を使うことで、今川に更に圧力を掛けるつもりですわね。


 今川家の黒衣の宰相、太原雪斎。その実力、私が確かめて差し上げますわ。




 Side:太原雪斎


 熱田神社への参拝も済ませると、予期せぬ人物が拙僧の前に現れた。


「太原殿ですな。お初にお目にかかる。某は千秋せんしゅう紀伊守きいのかみ季光すえみつと申します」


「おお、熱田神社の大宮司殿ですな。お噂はかねがね伺っておりますぞ」


 千秋殿といえば熱田神社の大宮司であると同時に織田家に仕える国人衆でもあるはず。


 拙僧の存在を察知されておったとはいえ、まさか接触してくるとは。誰の指示じゃ?


「よろしければ茶の湯でもいかがでしょうか。我が主が是非高名な太原殿にお会いしたいと申しておりましてな」


 周りの者に緊張が走るのを感じる。まさか信秀が自ら拙僧と会うのか?


 我らが御屋形様ならばそのようなことはせぬのであろうな。


「せっかくのお招き、お断りするわけにもいきませんな」


 ちょうどよい。織田弾正忠信秀。その器と力量を見極めてやろうぞ。


 そのまま千秋殿に案内されたのは熱田神社の奥。茶室ではなく野点か。


 何人かおるが、ひと際目を引いたのは金色の髪をした女じゃ。久遠家の者か。大智の方ではない。噂通り幾人もの南蛮の女が来ておるのか。


「よう参られた。太原殿」


「お招きありがとうございます、織田弾正忠殿」


 ピンと張りつめたような雰囲気じゃ。この場におるのは久遠家の女と千秋殿に信秀のみ。


 この男が尾張の虎、変じて今や仏の弾正忠か。御屋形様とは違う男じゃな。戦場ではなくこのような場で相まみえることになろうとは。これも定めか。


 静かじゃ。久遠家の女が茶を点てる音を聞きながら、ただ無言で待つばかり。


 供の者をひとりだけ連れてきてよいと言うので万が一に備えて腕利きの者を連れてきたが、このような場に慣れておらぬせいで緊張しておるわ。


 それに引き換え久遠家の女は見事じゃ。緊張などしておらず一片の乱れもなく茶を点てておる。まだ若いようじゃが、付け焼刃の作法ではないな。もとは何処か高貴な生まれか?


「太原殿に教えを請いたいことがある。いかにすれば日ノ本から戦をなくせるか教えてほしいと思ってな」


 久遠家の女の茶に引き込まれておる時、ふいに信秀が口を開いた。


 拙僧を試す気か? それともここに拙僧が来た事の所以ゆえん、今川家の真意を問う気か?


「それはまた難しきことをおっしゃりますな。仏を信じて徳を積めばと言うのは、坊主としては模範とすべき返答でございましょう」


「神仏か。困ったことに神仏を信じる者同士が争い、殺し合う世なのだ。それだけで戦がなくなるわけではあるまい?」


 強い目をしておる。確固たる答えがあるのであろうな。


 これほどの男と今川家は対峙せねばならぬのか? この男は何処を見ておる? まさか織田による天下統一か?


「嘆かわしきことですな」


 以後、信秀は口を開かなかった。


 口惜しいが拙僧には、信秀が満足するか、二の句を継げぬような答えが浮かばなんだ。皆が朝廷を奉じて争いをやめるのか。はたまた足利家が再び天下を治めるのか。それとも別のなにかか。


 恐らくは信秀が求める答えはそんなものではないのじゃろう。


 上物の茶が苦く感じて、出された菓子のこの世とは思えぬ甘さがやけに心に残る。まさに口惜しいわ。


 勝てぬ。やはり今川家は織田には勝てぬ。このままでは……。


 確かな理由はわからぬが、あの男が見ておるのは今川家ではない。もっと先を見ておる。


 拙僧も御屋形様も織田を見ておるが、信秀はなにか別の先を見ておる。その視点から目先の今川家を見ておるのじゃ。わからん。信秀は何を見ておるのじゃ。


 世が変わるのかもしれぬ。織田を中心に。


 新しき世に今川家の居場所はあるのか? 拙僧ももう若くはない。


 北条が一気に織田に傾いたわけがようわかった。北条長綱が織田に肩入れするのも道理じゃ。


 戦は避けられまい。御屋形様が信秀に頭を下げるのは無理じゃ。


 気が重いな。久遠は虎に翼どころか、悟りでも開かせたのかもしれぬ。


 虎が仏になった。じゃが仏は時には修羅ともなろう。


 はたして尾張に来てよかったのか、難しきところじゃな。じゃが、なにも知らぬままでは今川家は衰退するか滅ぶしかなかろう。問題は来たところで出来ることが多くないことじゃがな。





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