第365話・熱田祭り・その二
Side:太原雪斎
とうとう来てしまったな。
「和尚様、凄まじい人の数でございますな」
熱田は大層な人の数じゃ。遠くは畿内や京の都からも多く来ておるようじゃ。
拙僧の供の者は僅か十名。御屋形様からは『危うい、
このままでは今川家が危うい。御屋形様と拙僧で織田に対処出来ぬ以上は、織田から学び、敵を知るしかあるまい。
「和尚様。やはり気付かれておるようでございます」
「構わぬ。拙僧は熱田神社を参拝に来たまで。織田ならばここで拙僧を狙う真似はせぬよ」
御屋形様が拙僧を案じて供の者として付けてくだされた腕利きの剛の者が、いかにやら織田が拙僧のことに気付いたようじゃと知らせてくれた。
気付かれるのは覚悟の上じゃ。織田の忍び衆という者たちの
織田は戦を望んでおらぬ。ここで拙僧になにかあれば戦になるのは明白じゃ。
それにしても大層な賑わいじゃな。駿府も決して負けてはおらぬと思っておったが、想像以上じゃ。
元服前後の子供が案内として働いておるかと思えば、見知らぬ料理の屋台がいくつもある。
「そこのお坊様。ひとつどうです?」
まるで京の都や堺の町のようじゃと歩いておると、いくつもの屋台から声を掛けられる。
「それは、麺か?」
「そうですよ。焼きそばという麺です。久遠様が広めた麺で尾張では大人気ですよ」
面白げな屋台に声を掛けられて覗いてみるが、四角い鉄の板の上で麺を焼いた物を売っておる。いや、鉄に油を引いておる。これは伝え聞く明の炒めるという調理法か?
気になるのは鉄の板じゃ。大きな鉄で歪みなどほとんど見られぬ上物の鉄の板じゃ。駿河にもあるが安くはない。
「そうじゃな。ひとつ貰おうか」
「ありがとうございます!」
屋台の横にある床几に似た椅子なるモノに座り、焼きそばというものを食べてみるが美味い。
ほぐした魚の身と野菜を一緒に炒めただけの麺じゃが、これはこれで美味い。麺は麦の粉の麺か。高価な油と鉄を使い、明の調理法で作った麺料理か。
これほどの料理は、庶民にはなかなか手が出るものではないはずなのじゃが……。
「ついでに聞くが、おすすめの屋台はあるか?」
「それはもちろん久遠様の屋台ですよ。南蛮の菓子や秘伝のたれの焼きそばやたこ焼きは、尾張に来たら一度は食べないと損をしますぜ」
やはり久遠が屋台を出しておるのか。酔狂な。
商人上がりと思えば驚きはないが、
織田の猶子となったにも拘らず、織田の権威の価値を落とすのも構わぬというのか?
勧められた久遠の屋台に行く前に、拙僧は湊に行き噂の久遠の南蛮船を見ることにした。
此度の尾張訪問に際して一番見たかったのが南蛮船なのじゃ。北条との交易や里見との海戦に、先の地揺れの際に一千貫の見舞金と大量の米を贈った話もある。
その力量と影響を測るには是が非でも目の当たりに見なくてはならぬ。
「あれが久遠の南蛮船か。なんと大きく異様な……」
湊も人で溢れておった。いかにも花火見物の場所取りで早くから待つ者がおるらしい。
もちろんそればかりではない。噂の南蛮船を見ようと諸国からの人も集まっておる様子。
あれほど大きな船など見たことがない。久遠家はなにゆえ、あれほどの船を何隻も抱えられるのだ?
「ありがとうございました。熱いので気を付けてくださいね」
予想以上の船に頭を抱えたくなるが、そうもしておられぬ。勧められた久遠の屋台に行くと、ここも多くの人で溢れておるわ。
ああ、あれが南蛮人か。金色に輝くような髪の色をしていて肌も白い。
「真ん中の男が久遠一馬で左は織田弾正忠の嫡男でございます」
屋台には長蛇の列が出来ておる。供として連れてきた素破の話では中央には久遠一馬と織田の嫡男か。
警護は厳重のようじゃな。周囲には兵もおるし、手練れの気配もある。
「あの者は……」
「いかがしたのか?」
「はっ、氷雨の方でございます。久遠家において武勇に優れておると評判の奥方」
供の者の顔色が変わったのは、ひとりの南蛮人の女を見た時じゃった。銀色の髪をして兵を統率しておる女じゃ。
誰かと思えば、あれが噂の久遠の女武者のひとりか。兵に指示を与える様子から、兵の扱いも上手いらしい。それにこちらに気付いたようじゃ。
なにものにも動ぜぬような目でこちらを見ておる。下手なことをするならば容赦はしない。その瞳は雄弁に語っておるわ。
「大智の方はおるか?」
「はっ、久遠一馬の隣で料理をしておる者です」
そしてもうひとり、必ず見ておきたかった大智の方もおったか。こちらは久遠一馬共々拙僧のことなど気にもせずに料理をしておるか。
報告は既に入っておると見るべきであろうな。ただ大智の方は軍略ばかりに留まらず、その料理において多くの者を虜にしておる女じゃ。
拙僧のことなど意識しておらぬということか?
「いらっしゃいませ。何にしますか?」
「そちらの丸いものと菓子を。菓子は土産にしたいので日持ちがするものを頼もうかの」
拙僧たちも列に並び、かの者らを見定めながら買い物をする。
応対しておるのは武家の出の女じゃ。それも身分が高い女であろう。侍女と子供を使って働いておるが、扱いに慣れておる。
「では金平糖などいかがでしょう。砂糖菓子で甘いですがよろしいですか?」
「うむ。それを頼む」
「帰蝶様! 金平糖包んだよー」
働いておる子供が名を呼んだことで、応対しておる女の正体がわかった。
帰蝶じゃと!? 織田三郎に嫁いだ斎藤の帰蝶か!?
「和尚様。毒見を……」
「いらぬ。さあ、温かいうちに食べよう」
拙僧たちが頼んだのは織田三郎が焼いておった、たこ焼きなる料理じゃ。まさか今川家の拙僧が織田の嫡男の作った料理を食することになるとはのぅ。
「おおっ、これはなんとも……」
何故かは知らぬが丸い料理など初めてじゃ。まだ出来たてで熱いのを箸で口の中に放り込むと熱さからほふほふとしながら食するが、あまりの熱さにむせる者もおる。
これはなんと美味いのか。
醤油ではないな。確かに秘伝のたれであろう。外はカリっとしており、中はふんわりととろけるような料理など食したことがない。
口の中に広がる初めての味に拙僧たちは絶句するばかりじゃ。
中に入っておるのは
しかし美味い。このたれと生地だけでも十分美味いのじゃ。そこに蛸の食感と味が合わさると、これは癖になるな。
尾張ではこのようなものが領民でも食べられるのか。
北条長綱が織田に肩入れするのもうなずける。敵に回すには恐ろしい相手じゃ。
なにより周りで笑顔を見せて食べておる者たちが、織田の危機となれば死に物狂いで戦うのであろう。ある者は賦役で飢えから助けてもらったであろうし、ある者は噂の薬師の方に命を救われたであろう。
それに久遠の女は自ら戦場に出向くという。駿河では蛮族の女じゃと馬鹿にしておる者が多いが、氷雨の方をみれば
戦になった場合の想定を変えねばならん。
一万や二万の兵では足りんであろう。一向衆を相手にするように、領民が…、村々がまるごと、老いも若きも、女子供に至るまで、
しかしこうなると尼御台様の考えられた、北条と織田との同盟が一番今川の利になるかもしれぬ。口惜しいのぅ。
武田など信濃を見ておればいつ裏切るかわからん相手なのは明白。武田と手切れにしても織田と北条と組むべきかもしれぬが……。
問題は今川家中では織田との同盟など誰も求めておらぬことであろうな。織田もそうじゃろう。
いかがする。織田が久遠との関係が拗れて揺れるのをじっと待つか? じゃが果たしてそこまで今川家が今のままで保てるかが怪しい。
本当に困ったものじゃ。
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