第360話・堺と織田
Side:堺の会合衆
「あいつ、羽振りがいいみたいやな」
近頃暇になった店に同じく暇になった商人仲間がやってきた。
わしらと違い、近頃忙しい奴のことを苦々しい様子で語るが、それはそうだろう。
ここだけの話、偽の金色酒をあちこちに売っておるんだ。畿内で混ざりもののない金色酒が手に入るのは朝廷と公方様のように織田様から贈られるか、六角様や三好様、本願寺のように織田様から直に買うかしかない。
あとは尾張と伊勢の商人がほとんど握っておる。昔から大湊と取り引きがある者は高くても苦労すれば手に入るというが、出回る量が少ないので手に入らぬ者はまったく手に入らん。
どうせ味もわからぬ連中相手だし、ろくに飲んだこともないのだからと、偽の金色酒を作って売っておるのだ。
西国や果ては九州から金色酒を求めて堺に人が来るが、手に入りませんというのは大きな問題だった。
近頃では堺を素通りして大湊に行く商人までおるという。尾張より東の商人はめっきり来る者が少なくなったほどだ。
このうえ西国との商いまで大湊と尾張に奪われては堺が立ち行かなくなる。
だが、あの
「織田様はお怒りだろうな」
「もう露見したのか?」
「しておるであろう。大湊が知らせたはずだ」
織田様は畿内に野心はないというが、自慢の金色酒の偽物を売られて笑っておるわけがあるまい。
「それに噂の久遠様は不義理を嫌う。桑名はすっかり東海道の宿場町に没落した反面で大湊は大いに栄えておる。美濃の騒ぎでも随分儲けたようだしな」
「やれやれ、詫びにいくらかかるんだ?」
「銭では動かんお人らしい。気に入れば援助は惜しまぬが、気に入らねば詫びも許さぬのだとか」
「おいおい、それじゃずっとこのままか!?」
そんなことわしに言うな。わしの責ではない。
織田様は今年に入り久遠様を猶子とした。序列をはっきりさせると同時に家中でも最高の待遇で遇しておるようだ。
特に商いに関しては久遠様の意向が強く反映されており、久遠家に仕官した大湊の元会合衆である湊屋を通して大湊はある程度意見が言えるらしいが、あとは誰も口を出せんとも聞く。
織田様と久遠様の双方を納得させねば、堺の現状は変わらぬだろう。
「そもそも久遠様は堺の銭が気に入らなかった様子だ。ご自身が明から仕入れた良銭を堺の悪銭と入れ替えられたと、思われても仕方ない。人様の銭袋に手を突っ込むような取り引きなんぞしたからな」
銭の問題も一向に解決しておらん。尾張・美濃・伊勢・近江はそろって、堺銭の歩合を大きく下げた。近江も同調したのは正直、
織田様が動いたのか六角様が自ら動いたのか知らぬがな。
儲けは大きく減ったが、それでも畿内では銭が足りん。悪銭でも使わざるをえぬし、今止めれば大変なことになるであろう。
この件はあからさまに良銭を得る目的で尾張まで商いに行っておった、愚か者どもの責だ。
ひとつひとつを見れば解決も出来そうだが、纏めると厄介になる。
それに偽の金色酒はやりすぎだ。誰かが本願寺に献上したようで、あれはなんだと文句が来たほどだ。
本願寺も朝廷も公方様も、ほかでは手に入らぬ金色酒を配下の者に下げ渡すことで力を示しておるからな。
あちらさんからすると堺の偽の金色酒は邪魔でしかないはずだ。
今はいい。畿内が荒れておるからな。だが落ち着いたら必ず問題になる。とはいえ織田など尾張の田舎者だと蔑む連中にはなにを言っても聞かぬだろうな。
それにわしがわざわざ矢面に立ち、仲介に乗り出すのもやりたくない。成功したらいいが、失敗したら商いに響くからな。
やれやれ、どないなることやら。
Side:久遠一馬
「なんだ、これは?」
梅雨の中休みで晴れたこの日、信秀さんと信光さんがウチに遊びに来た。
せっかくなんで先日手に入れた偽金色酒を試しに出してみたら、ふたりとも顔をしかめてしまった。
「畿内で出回っている金色酒ですよ」
「これのどこが金色酒だ!」
報告はすでに信秀さんには上げていたので信秀さんは驚いてないが、信光さんは初耳らしく少しお怒りの表情だ。お酒好きだからか許せないらしい。
偽金色酒の件は大湊ばかりではない。長島の願証寺からもいち早く知らせが届いている。なんか石山本願寺から『
当然ウチが関与してない偽物なんだけどね。畿内からしたら誰が出所か知らない人が多すぎるみたいだ。
「酒であることに変わりはないが……」
信秀さんはなんともいえない表情だ。
「ここまで味が違うと怒る気も失せますね。犯人は堺で決まりのようです。大湊と本願寺が確認したようですから」
この件は本願寺が味方なんだよねぇ。願証寺に気前よく金色酒とか売ったから、それで本願寺も儲けたりしてるし。
「いかがするのだ?」
「現状では様子見かと。畿内では、管領の細川様と阿波の三好様が争い、六角様が細川様に付いておられる様子。当家としては畿内に偽金色酒があると伝えるしかないかと。下手に動くと巻き込まれる虞がありますので」
口直しを求められたので紅茶を出して一息つく。
信秀さんは単刀直入にエルに対策を問うが、さすがに現状だと手が出せない。畿内は概ね歴史通りに動いていて、もうじき江口城が落ちそうなんだ。三好長慶が直に入京すると、事実上の三好政権の誕生だ。
堺の偽金色酒を造った人はこのタイミングを狙ったとしたらたいしたもんだよね。おそらくは偶然だけど。
「どうしようもないですよ。向こうからすると銭の歩合とか、商いを奪った相手なんですから。無視が一番だと思います。もちろん、堺の金色酒は偽物であるとの事実を畿内は元より日ノ本中に流しますが」
堺は当面は無視するしかない。というか関わりたくないんだ。
先日にメルティが言ったように、偽金色酒は堺産だと諸国に知らせるのが一番だろう。
「くーん」
「くんくん」
信秀さんたちが帰ると夕方の散歩の時間だ。縄張りを主張するような仕草をする二匹と、すずとチェリーと一緒に那古野の町を散歩する。
「これは久遠様。ご機嫌麗しゅう」
「こんにちは。もうすぐ夏ですね」
那古野の住人はオレたちが来た頃と比べても格段に増えた。最近は大きな商家の支店とかもできたし便利になってきた。
町のみんなとの挨拶は基本だ。那古野にはウチの関係者も多いし、顔なじみの人ばかりだからね。
「ここにおったか! いざ、尋常に勝負じゃ!!」
そのまま散歩をしていると、すずが知らないおじいちゃんに突然勝負を挑まれていた。
腰が曲がったおじいちゃんだよ。勝負ってなにするのさ?
「今はお散歩の途中でござる。明日行くので首を洗って待っているのでござる」
「えーと。すずさんや。お年寄りは大切にしようね?」
首を洗って待ってろなんて物騒な。
「これは久遠様。勝負とは源平碁でございます。すず殿に教わりましてな。勝つべく精進しておるところでございます」
護衛のみんなも困った様子で見ていたが、そんなオレたちにおじいちゃんが笑いながら勝負のことを教えてくれた。
源平碁。いわゆるリバーシのことだね。最近尾張では徐々に広まっている。
おじいちゃんは那古野に最近引っ越してきた人らしく、どういう訳だかすずとはリバーシ友達の間柄らしい。
みんなこの時代の生活を楽しんでるんだなぁ。結構結構。
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