第357話・梅雨のひと時
Side:滝川資清
「やはり堺は一枚岩ではありませんな」
先日、以前に美濃の土岐家にて偽の織田手形を作っておった職人の家族が、堺からやってきた。大湊の会合衆が交渉してくれたようだ。
土岐家も追放してあの職人たちを無理に留め置く必要はなくなった。織田の若様の婚礼に際し恩赦を与えたが、当の職人たちが帰る気がない、むしろ
問題は堺だ。先日、
湊屋殿が大湊に行き、会合衆から仕入れてきた話では、堺は織田に反発・愚弄する者と、それでも織田に合わせて付き合うべきだという者で揺れておるとか。
「意外に
「それはそうでしょう。何処の支配も受けぬとはいえ、堺には自衛以上の兵力があるわけではありませぬ。それに大湊を始めとする伊勢の商人衆と持ちつ持たれつと見えましょうが。その実、死命を握って余りある今の織田家を敵に回したい者などおりませぬ」
いかんな。いかにも甲賀の土豪だった感覚が抜けぬ。銭で天下を動かせるとまでは言わぬが、もっと途方もないことを考えておるかと警戒しておったのだが。
桑名や大湊と大差ないか。湊屋殿に笑われたわ。
「確かに大湊と織田家が
「畿内ではまた管領様を中心に争いが起きております。畿内には織田家に構っておる余裕のある者はおりますまい」
三好家の内紛と管領が絡んだ争いか。殿は六角が畿内の争いから織田を守ってくれるなどと笑っておられたが、あながち間違いではないな。
本願寺も織田家との関係は良好だ。三河は微妙だが長島は争う気はないだろう。長島の願証寺は御家の品を畿内に融通することで利を得ておる。
まあその利も結局は御家の品を買うために使っておるのだからな。願証寺で費やす酒や絹を買うために、ほとんど使っておるようだ。
桑名からの上がりが減っておる分は利を与えておるが、必要以上に儲けぬように品物を売っておるからな。長島は織田家と敵対すれば貧しくなるだけなのを理解しておる様子。
「ただ油断は出来ぬ。畿内の情勢を集める者を増やさねば」
とはいえ富む者から奪うのが今の世の常だ。堺ばかりではない。畿内は己たちが日ノ本の中心だという自負がある。
織田家はそれを揺るがすかもしれぬとなれば、畿内がすべて敵になってもおかしくはないのだ。
念には念を入れねばならぬ。
Side:久遠一馬
今日は朝から雨が降っている。どうやら梅雨に入ったらしい。
元の世界だとエアコンが当たり前の生活だったから、そこまで感じなかったけど梅雨はジメジメするね。
「そういえばまだいるの?」
「はい。清洲で日雇いの賦役に参加していますね」
特に予定がないのでエルの膝枕で耳かきをしてもらっていたが、ふと曲直瀬さんのことを思い出した。
まだ京の都に帰ってないのかぁ。賦役に参加ってなにを考えてるんだ?
「結構いいとこの出だよね? お金ないの?」
「裕福とまでは言えませんが、そこまで困窮しているとも聞いていませんね。恐らくは私たちのことを知ろうとしているのかと」
尾張はケティたちがいるから医師としての需要は多くはないが、足利学校出身の曲直瀬さんなら医師としてもやれるだろう。それが領民に交じって賦役をしているなんて。
「そこまでして教わりたいのかぁ」
「よほどの信念とやる気がなければ、この時代の日ノ本で畿内から関東の足利学校になんて行きませんよ」
てっきりどっかの紹介状でも持参して出直すのかと思ったが、そんな気配はまったくない。かといって諦めたわけでもないのが驚きだ。
「どう思う?」
「このまま向こうの出方をみればよいと思います。彼が尾張と私たちをどう見て、どう行動するか見極めてからでも遅くはないですよ」
正直、曲直瀬さんはオレの予想外の行動をしている。権威も伝手も使わないし、諦めないで地道にオレたちを知ろうとするなんて思いもしなかった。
やはり史実の偉人は歴史が変わっても違うんだろう。もしも彼が本気でオレたちの考えを理解して自分も一緒にやりたいともう一度言うならば……。
教えてもいいかもしれない。将来的に曲直瀬さんなら、ケティの代わりに高貴な人や他国に診察にいっても大丈夫だろうしね。
「そういえばジュリアは? また学校か?」
「そのようですね。今の尾張では唯一の免状持ち、鹿島新當流免許皆伝ですから」
最近、ジュリアが忙しい。織田家の武士たちに剣術を教えてるんだ。
塚原さんが鹿島新當流の免許皆伝を与えた効果は絶大だった。信秀さんからは剣術指南役として正式に禄を与えられたほどだ。エルに続きジュリアも個人としての収入を得たが、エルは名目では化粧料であるのに対し、ジュリアは正式な役職の禄として貰っている。
こんな時代だしね。武芸の腕前はなにより評価されるということか。
「それにしても、まさか北畠殿から手紙が来るとはね」
尾張を去った塚原さんは北畠家に滞在しているらしく、
史実では剣豪大名と言われていた人だ。現在は親父さんがまだ現役で歳は二十歳くらいだったか。
塚原さんに剣を教わっているようで、一度オレとジュリアに会いたいと手紙が来たんだ。北畠家は名門として有名だし、すでに官位すら正式に持ってる人なんだけど。
「伊勢は面白くなるかもしれませんね」
オレとしては予想外な展開だけど、エルは楽しそうに微笑んだ。
「面白くなるねぇ」
「剣で語ると物語などではありますが、個人と個人の交流から開ける未来はありますよ。ジュリアと北畠殿がどうなるか。個人的に大変興味があります。恐らく正論や利では動かぬお方でしょうから」
信長さんと信秀さんには報告したが、信秀さんは面白いと笑っていた。今年の武芸大会に招待してみるのも面白いかもしれない。
史実では北畠家には織田信長の次男である信雄が養子に入っていた。この信雄は織田信長の史実の子の中では有名な人だろう。出来が悪いと言われていたことでだけど。
ただ織田信長の子として豊臣・徳川時代を大名として生き残ったのが、彼だけだったのは歴史の皮肉にも思える。
伊勢北畠家は結局滅んじゃうんだけどね。
この世界では北畠家の乗っ取りは要らないかもしれない。織田にとって名門の北畠家を乗っ取る真似をしなくとも伊勢は手に入るだろう。六角さえいなくなれば。
エルは北畠を味方に付ける気か? 少なくとも可能性はゼロじゃないんだよなぁ。
エルは基本的には策らしい策を講じないで物事を進めるからな。状況や運を考慮に入れて結果的に導くというか。
さりげない行動から軌道修正しながら結果に導くから、気付かない人が多いだろう。もっとも信秀さんや重臣にはバレてるけど。最近はウチとあまり関係ない相談事を持ち込む人もいる。
嫁と姑の仲が悪くて困っていると相談された時にはさすがに困ったらしいが。
「エル。楽しそうだね」
ふと気になってエルが楽しそうな訳を聞いてみた。
「はい。楽しいですよ。こうしてみんなで明日を夢見る時が来るなんて……」
とても嬉しそうに語るエルの表情に少しドキッとする。
確かにオレもエルたちも今この瞬間が、なによりも楽しくかけがえのない時間なのかもしれない。
みんなそれぞれに自由に自分で考え日々を生きている。
正直、オレ自身もリアルでここまで真剣に考えて生きたことはなかったかもしれない。
ひとりじゃない。
この当たり前の幸せだけは忘れないようにしよう。
明日のためにも……。
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