第329話・揖斐北方城攻防戦・その三
Side:土岐家残党
「だから言っておろうが!! 最後まで戦うのみ!!」
「
すでに夜も更けておるというのに、未だに降伏するか戦うか決められんとはな。
もともと守護様がおってこそ、なんとか纏まっておっただけに纏まることも出来んようになってしまったか。
正直あまりいいお方ではなかったが、それでもおらぬと困るということか。
「だいたい己が欲を出して、打って出たのが失態であろう!」
「なんだと!!」
抗戦派と和睦派では和睦派が
武威を示してさっさと引きたい者もおるのだ。美濃には親戚がおる者も多い。黙って城を渡せば臆病者とそしられても、一戦交えて敵将から降伏勧告を受けたとなればまた話が変わる。
近江の六角と浅井や越前の朝倉に使者を出したが、いずれも色よい返事はない。
そもそも昨日の追撃で多くの者が討たれた。このままでは援軍が来ないままに城が落ちるのは明白だ。
織田と戦い勝ったとまでは言わなくとも、引き分けたと言えるのはこの時しかないと考える者も多い。
「外には久遠も来ておるのだぞ! あの南蛮船の旗印は久遠家だ! 金色砲を持ってきておればこんな城、
それと困ったことに外の軍には久遠がおる。旗印を見た者が多数おるうえに、高価な鉄砲を信じられぬほど多く使っておったのだ。久遠の軍が来ておるのは間違いあるまい。
金色砲は南蛮の武器だと言うが、川舟で運んだのだろう。あれを使われれば勝ち目はない。
「おっ己らっ! なっ、なにをする」
最早、話し合っても無駄だ。そう考えた我らが徹底抗戦を主張する者を捕らえにかかった。
抵抗して刀を抜き斬りあいになるが、それでもこの戦は止めねばならぬ。
援軍のない籠城と、その気になれば援軍が増える相手ではいかにしようもない。今はまだこちらの首まで要求されておらぬのだ。
無念だが、引き際であろう。
Side:滝川益氏
「申し上げます。お味方の陣中、例の者たちに不穏な動きがあります。いかがしましょう?」
「森殿に
「はっ」
もう夜が明けようとする頃、見張りの忍び衆が起こしに来た。やれやれ敵より信頼出来ぬ味方とは呆れてものが言えぬな。
出来れば朝まで皆を寝かせてやりたいが、新介殿と柳生衆には起きてもらわねばならぬか。騒ぎを大きくする前に止めねば大変なことになる。
「動いたか?」
「ああ、起きておったのか?」
「連中が動くとしたら、そろそろだと思ってな」
拙者はすぐに新介殿を起こしに出向いたが、休んでおっても起きておったようだ。新介殿と手練れの者と共に、不穏な動きをしておる者のところに急ぐ。
久遠家は領民を連れてきておらぬが、奴らは家臣だと言い数十もの領民を連れてきた者もおる。忍び衆は別だが、当家でも三十名ほどしかおらぬものを。
「そなたらなんの支度だ? 夜逃げか?」
「黙れ! よそ者が! わしを誰だと思っておる!!」
やはり朝駆けをするつもりか。連中の陣では鎧兜を身に纏い、
「で、なにをしておる?」
「知れたこと。油断しきっておる敵を、朝駆けを以って殲滅するのみ」
「降伏勧告しておるというのに、そのようなこと許されると思うのか? 信辰様はもとより仲介しておる国人衆や、ひいては大殿の顔に泥を塗ることになるのだぞ」
「ふん! 勝てばいいのだ。勝てば!」
奴らの言い分にも一理ある。だが織田が目指すのは騙し騙される戦国の世ではない。
最早、お互い引くに引けぬか。
「いかにしてもというならば、斬ってでも止めるぞ?」
「望むところだ」
同じ陣に参じたにもかかわらず、このようなことになるとは残念だ。
相手は十五人ほどか。味方は六人。数の上では少し不利だが致し方あるまい。
「てやああ!!」
真っ先にこちらに斬りかかってきたのは、一番槍の手柄をあげた者だった。怪我をしておるのにその気迫は感心する。
「なんの!」
だが奴の刀が拙者にまで届くことはなかった。奴は新介殿の一太刀にて手甲の隙間から斬られて、痛みに転げ倒れた。
敵意があるのはまだおる。連中は次から次へとこちらに斬りかかってくるが、ほとんどは新介殿がひとりで倒しておるではないか。
また剣の腕が上がったな。この数か月ジュリア様や塚原殿に鍛えられておった成果か。セレス様はいずれかと言えば、術理や兵法を説かれるを好まれるからな。
「もう気が済んだであろう? これ以上やれば裏切り者とせねばならなくなる。今ならば拙者が取り成すゆえ、大人しく引け」
皆まだ生きておる。敵意むき出しだった連中も新介殿の剣の腕には一気に静まり返ったほどだ。拙者は見ておるだけで終わったな。
だが思えばこやつらも哀れでならん。手柄を挙げて武功を稼がねば先がないのだ。
気持ちはよくわかる。いかにしていいか、わからぬのであろう? なにがなんでも武功を挙げて評価されねば帰るところがないのだ。
滝川家は八郎叔父上が寛容ゆえ、そんなことはなかった。しかし、厳しいところは武功を挙げるまで帰ってくるなと言われるところもある。
嫡男となれば左様な扱いは受けまいが、控えの次男とて、扱いは相応であろう。だが、
「己などになにがわかる! 哀れみなどの侮辱は許さぬわ!!」
だがわしの言葉はこやつの誇りを傷つけてしまったらしい。片腕を斬られておりながら、それでもまだ男はこちらに斬りかかろうとしてくる。
されど、昼間の怪我に腕の傷ではわしに斬りかかることも出来なかった。
「戦に来て味方も使えぬとはな……」
事態が落ち着いたのはすっかり夜が明けた頃だった。
弾正忠家の古参の家臣と幾許かの美濃の国人衆は朝を迎える直前に朝駆けを企てたが、忍び衆に察知されて阻止された。
森殿は国人衆の方を押さえたらしく、事態を知った信辰様は、ご自身に責を感じておられる。
拙者はそれほど多く戦に出た経験はないが、八郎叔父上の話では戦場では裏切りは珍しくもないと言う。こんなこともよくあるのだろうな。
「申し上げます! 敵の城より不穏な気配!!」
そして降伏するか否かの返答の刻限が間近となった頃、旧土岐家家臣の籠る揖斐北方城に不穏な気配があると物見から知らせが入る。
交渉は決裂かと緊張が走り、味方は慌ただしくなる。
「首は要らぬ。城を開け渡し、城内の者を解放すれば、そなたらは織田領と美濃から追放とする」
だが心配は無用だった。しばらくすると城から降伏の使者が来て、条件の交渉に入った。
いかにも昨日城から打って出た連中の中に敵方の主立った者が何人かおったらしく、その者らが討ち死にして士気が落ちたことで、最後まで戦うという強硬な意見がだいぶ変わったようだ。
あとは徹夜で話し合った結果、最後まで徹底抗戦を口にしておった者をほかの者が取り押さえて降伏を決めたようだな。
敵は徹底抗戦を主張しておった者の首を差し出して終えようとするも、信辰様は首など要らぬからさっさと出ていけとでも言いたげだ。
その後この日のうちに城は明け渡されて戦は終わった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
揖斐北方城の戦い
天文十八年春、土岐頼芸の
残された家臣は織田に付くか斎藤に付くか、それとも独自の道を選ぶか対応が分かれたと『織田統一記』にはある。
そんな中で土岐家再興を掲げて独立を宣言し、織田と合戦になったのがこの戦となる。
ただ、美濃併合への大事な一戦であるこの戦に信秀以下、信長や一馬も参陣しておらず、これまでの戦では自身が戦場に赴いていた信秀にはない戦い方であった。
それに関して『織田統一記』には織田が新たな体制となるための布石だと記されていて、拡大を続ける織田が信秀自身の出陣をしない形を模索したと思われる。
なお『久遠家記』には織田の軍政改革に悩む一馬と大智の方が進言したとあり、この当時の日本の戦の在りように久遠家が悩んでいた様子が書かれている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます