第314話・信長さんの結婚式・その六

Side:帰蝶


 兄上が美濃に戻りました。私は今日より織田家の女として生きねばなりません。


 ただ織田家は斎藤家とはまったく勝手が違います。まずはしょく、料理ですが、斎藤家では父上が京の都で学んだ者を召し抱えていましたので、私はその味で育ちました。


 一方の尾張は塩辛いだけの田舎料理だと昔から聞いておりましたが、実の所はまったく違います。味に深みがあり塩辛くないです。


 どうも変わったのはここしばらくのようですが。噂の久遠家の料理を学んでいるということです。どうも塩辛いのはあまり体によくないと、これまた久遠家の薬師の方が言ったらしいことも理由のようですが……。


 今日も朝から料理が豪華でした。焼き魚に玉子焼きというものに、豆腐ともやしを明の技法でまかなった炒め物と呼ばれる焼き物。それに味噌汁とお漬物がありました。


 お付きとして美濃から連れてきた侍女の雪が織田家の侍女に聞いたところによると、どうもこれが織田家ではいつものようです。


 他家ではご馳走と言えるものを、日々食べているなんて……。


 婚儀の料理もやはり驚くほどの味ばかりでしたが、さすがに日々これを常と致すのは、少し贅沢が過ぎるのではないでしょうか?


 それとあの四角い夜着。あれはなんなんでしょう。柔らかく温かいあんな夜着は初めてです。


 あれもどうも久遠家からもたらされたものだとか。なんでも南蛮伝来の夜着なんだそうです。あれのせいで起こされるまで起きられませんでした。


「これは……、美味しいですね」


「紅茶というお茶でございますよ。茶の湯と違い飲みやすくて評判でございますから」


 昼、うまこくどき、織田家では軽い昼食ちゅうじきをとるようで蕎麦を麺にしたものを頂きました。なんとも深い味わいの汁と蕎麦の風味がとてもよかったです。


 そして食後に出された紅茶なるお茶。これも香りといい、さっぱりした味わいといい素晴らしいです。


 織田家はなんと贅沢をしているのでしょうか。戒めるべきかもしれませんが、嫁いできたばかりの私が口を出すのは少し早いですね。


 織田家は美濃からきた兵にも酒と菓子を褒美の土産にしたようです。いったいどれほどの銭を使ったのでしょう? 蔵が空になってないか不安です。




Side:久遠一馬


 この日の宴の参加者は織田家の重臣と信長さんの直臣が中心になる。ちなみに明日には尾張国外の来賓が主で、大湊と願証寺と臣従を問わずに西美濃の国人衆を招待しての宴だ。


 体裁とか気にする時代だし、友好勢力とかは明日にしたらしいんだよね。

 オレ自身はこの時代の仕来しきたりなんて分からないから、『いつ何時いつ、こうだ』と言われれば、『分かりました』で流されてるけど。こういう気遣いは必要らしい。


 それと最後に帰蝶さんと奥様たちだけの宴が明後日に予定されている。これは今までにはない試みだが、オレが信秀さんに提案して決まった。なんというか、もう少し女性のみなさんが親交を深める場が必要だと思うんだ。


 さて今日のウェディングケーキは、和風の抹茶ケーキによるウェディングケーキになる。いや、昨日と同じだと飽きるかと思ってさ。連続参加してる人もいるし。


「緑のケイキですか?」


「はい、お茶のケーキです。美味しいですよ」


 なんか噂が噂を呼んでるらしくて、みんなケーキ楽しみにしてるんだよね。白くないケーキに予想と違ったからか少しざわめきが起きるが、これも美味しいよ。元の世界の魔改造大好きの日本が生んだ抹茶のケーキだからね。


 うん、クリームもスポンジケーキも甘さは控えめで抹茶の風味が生きて甘さとのバランスがいい。柔らかい食感も最高だ。


「南蛮にも茶があるのですかな?」


「あっ、いえ。これはウチで少し前に作ったものですよ。茶は明にはあるらしいですが、南蛮では聞きませんね?」


 どうでもいいが、やっぱり静かに料理の前に食べるんだね。この日もお隣さんの信広さんはお茶とケーキの組み合わせに驚いてるよ。ケーキですら初見に近いのに、そこにお茶を混ぜちゃうんだからなぁ。


「婚儀で南蛮ゆかりの縁起物の菓子を食べられるとは。なんと贅沢な……」


「これは八屋にもありませんからな」


 ちょんまげを結って、無精じゃない武将髭を生やしているいい歳をしたおっさんたちが、ケーキで感動する姿は不思議な光景だ。


 もちろん今日もウェディングケーキを切り分けてるのはエルたちだ。重臣の中には隣の人のケーキと比べて、どっちが大きいとか気にしてる人もいるけど。そこまで気にしなくてもさ。


 というか八屋はすっかり有名な店になっちゃったなぁ。ただケーキは教えてないんだよね。クリームは冷蔵庫がない時代なだけに少し大変だし難易度が高いからな。パンケーキとかカステラくらいならやれるか?


 手間とか考えると当面は無理だろうね。八屋は今でも混んでるし。なんというか高級な店じゃない時代劇の庶民の飯屋みたいな店だからな。今度は、お菓子屋さんでも作ってみようか。




 そしてこの日の料理は、鯛の甘酢あんかけと伊勢海老のチリソース、猪肉ともやしの中華炒めとフカヒレのスープとアワビの姿煮などの明風の料理ということになった。


 あくまでも明の料理をウチが再現したものだと説明している。特にエビのチリソースは中華料理をもとに元の世界の日本で生まれた料理だからね。


 あと食べ慣れてないこの時代の人に合わせて、全体的に辛さや刺激と油分は控えめにしている。


 正式にはお披露目の儀と言うらしいが、家臣からの挨拶とか一応形通りのことはある。ただ、早く宴がしたいのが大半の人の本音だろう。


「これはまた珍しい料理ですな」


「初めて見ましたぞ」


 ウチの中華を食べたことがあるのは、信長さんとか信秀さんを筆頭にごく一部の人たちだけだ。基本的にウチのご飯時はんどきに便乗する気、満々まんまんで食べに来るメンバーくらいだ。重臣の皆さんは楽しみにしていてくれたようで、ワクワクした表情で料理に箸をつける。


 なんというか料理の匂いがまったく違うね。香辛料も調味料も、この時代の日本とはまったく違うからなぁ。織田家ではこの時代では貴重な香辛料も普通に使っているから。もちろん調理法も調理器具も違うから、今夜の料理はほとんどエルたちが作ってる。城の料理人にいきなり中華は無理だ。


「これは美味い。なんと甘い酢ですな。斯様かような食べ方があるとは……」


 料理でみなさんの目を一番引いたのは立派な鯛を油で丸ごと揚げて、甘酢のあんをかけたものだ。表面はカラッと揚がっていて中はふんわりとした鯛に甘酢のあんがよく合う。


 佐治さんも驚き半分に食べると、その味に驚きつつ酒をくいっと飲んでいる。


「あれは……」


 姉さん、ここで事件です!


 宴会部屋の障子が開いたかと思うと、ロボとブランカのぬいぐるみを両手に抱えたお市ちゃんが部屋に単身で入ってきました!!


「市か。いかがした?」


 賑やかだった部屋が少し静かになるが、まあ信秀さんはあまり気にしないで声を掛けてる。ははーん、どうやら乳母さんの隙をついてこっちに来ちゃったみたいだね。


「けいき、おいちい」


 とてとてと歩いて信秀さんのもとに行くと、膝の上に乗って甘える。どうもケーキを食べておいしかったことを伝えに来たらしい。でも夜も遅いよ。お眠じゃないの?


「申し訳ございません!」


「よいよい」


 微笑ましい光景だが、すぐに乳母さんがやってきて顔を真っ青にして謝罪しているのが戦国時代なんだって感じさせる。お隣の元守護様のところでこんな大失態をやらかしたら物理的に首が飛ぶからね。お市ちゃんは理解してないみたいだけど。そのまま乳母さんに抱かれて、ぬいぐるみと一緒に強制退場だ。


 まあ、幼子が元気なことはいいことだ。


「この汁はまた初めてですな!」


「この透明で細いものはなんだ? 麺ではあるまい?」


 お市ちゃんがいなくなると、再び賑やかな宴になる。元の世界だと高級中華になるだろうフカヒレのスープは、この時代の日本ではやはり未知の汁になるらしい。ああ、フカヒレやアワビは知多半島産だ。明への輸出品として生産して貰ってるからね。どんな世界でも、いつの時代でも大陸の人は、周辺国から食材を買いあさっていくらしいから、いいお得意様だ。


 まあフカヒレはそのものには味がないので、宇宙要塞産の金華ハムと鶏がらベースのスープなんだけど。


 アワビは日本でも縁起物であり食べられている。ただ、こちらも柔らかく煮て、味付けが中華風だからね。独特の食感も相まって美味い。


 帰蝶さんは大人しく食べている。口に合わない様子ではないな。でも、周りが初対面の人たちばっかりの中でお披露目の宴って地味に大変そうだな。完全にアウェーだよ。


 オレの場合は普通の結婚すらしたことがないから実感はないが、こうしてみると結婚って大変だね。


 そのまま宴は続く。信長さんはやっぱり酔ってしまい途中で退場してしまった。今日は帰蝶さんも一緒に下がった。




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