第315話・信長さんの結婚式・その七
Side:織田信長
女を知らぬ
帰蝶と言ったか。蝮の娘にしては似ておらぬな。
親父や一馬は幾人もの嫁を迎えておるが、それぞれに様子は違う。親父のところは母上たちが一歩下がった様子であるが、一馬のところはのびのびとしておる。
帰蝶は共におっても、こちらから声を掛けねばなにも言わずに座っておるのみ。なんと言うか話の流れが続かぬな。これが当然なのであろうか……
息が詰まると感じるのは気のせいなのだろうか? まあ考えても仕方ない。
「薬師の方様、参りました」
「通せ」
ちょうどよくケティが来た。ケティには帰蝶の診察を頼んである。常ならば具合が悪うなったら医師を呼ぶが、ケティはそれでは遅いと言うからな。
「この者、名は『ケティ』、尾張では『薬師の方』と称されておる。
話が続かぬといえばケティも同じか。とはいえケティは息が詰まる感じはないのだが。ともかくケティに帰蝶を診せねば。嫁に来て具合でも悪うなったら要らぬ噂になろう。
「前から気になっておったが、それはなにをしておるのだ?」
ケティの診察はほかの医師とも薬師とも違う。素肌を晒すので男どもを下がらせて診察をさせるが、不思議な道具を使っておる。
「これは
心の臓の音を聞くか。それがなんになるかまでは聞かぬ。前に医術について違うことを聞いたが、医術の心得の無いオレには理解できなかったからな。
今では親父から母上たちや弟妹たちまで診ておるが、評判がいいのは母上たちだという。同じ女故に相談しやすいようだ。
帰蝶も素肌を晒すことに少し嫌そうな顔をしたが、拒絶まではしなかった。ケティの噂は美濃でも知っておるのだろう。
「特に問題はない。ただし虫下しの薬は出しておく」
帰蝶と美濃より連れてきた侍女を診るに、いつもの診察より少し時がかかったのは気のせいか? まあ問題がないならばよいか。
「会話はしてる? お互いに思いは伝えたほうがいい」
診察も無事終わり、胸を撫で下ろしておったが、ケティはオレと帰蝶を見て、遠慮のう、オレと帰蝶の現状に対して意見を述べた。帰蝶の侍女たちは驚いておるが、ケティはいつもこんな感じだ。親父や母上にでさえ必要とあらば意見をする。
「人は話さねば伝わらぬか」
「そう」
ケティにオレが常々言われておるのは、言葉に出さねば、人は相手を理解できぬこと。そして言葉に出したからと言って、それが真かわからぬこと。相手のことを理解したと思うた時が一番危ういのだと、よく言われる。
かずもそうだが、ケティもまた考え方が武家のものではない。だが……。
「帰蝶。尾張は、織田の家はいかがだ? 不便があれば言うがいい」
オレもかずたちのように、帰蝶と共に在りたいとは思う。そのためにはオレのほうから、もっと声をかけてやるべきであろうな。
「いえ。不便ということはありませぬ。ただ……」
「言いたいことがあるなら遠慮のう、言え」
「はい。ずいぶんと散財なされているようですが、よろしいのでしょうか? 私のことならば気にせずとも構いません」
オレから帰蝶に声を掛けるようにケティが促すので声を掛けるが、帰蝶の答えは予想外のものであった。
「ははは。なるほど、確かに話さねば理解できぬな」
遠慮がちではあるが、まさか嫁に来た帰蝶に銭の心配をされるとは思わなんだ。考えてみれば当然か。宴席に出る数々の美味なる馳走に美酒、酒や菓子を美濃兵や領民にあれだけ施しを撒けば不安にもなるか。
ケティの言うた通りだ。オレは帰蝶のことを何もわかっておらんかった。
「銭は案ずるな。蔵にはまだ山ほどある。そなたには教えねばならぬな。かずから教わった織田の国の治め方を」
銭を使い、銭で戦をする。織田のやり方はオレが思うより、周りは理解しておらぬようだな。ちょうどよい。帰蝶に教えて、いかに思うか聞いてみるか。
Side:帰蝶
旦那様となった三郎様は繊細なお方のようです。床入れの日に酔い潰れてしまった時には少し不安でした。このお方に大きくなった織田家を治められるのかと。
父上は大器だと語っておりましたが、美濃では遊び惚けている織田の大うつけと評されていると聞き及んでいます。
あまり口数も多くなく、ここ数日の贅沢な暮らしもこのお方の見栄かと思うと不安です。
息が詰まる。つい先頃までは敵方だったのです。仕方のないことかと思っていました。
そんな息詰まる思いが変わったのは薬師の方殿が来たことがきっかけです。
薬師の方殿は、明や南蛮の医術を会得しているという久遠殿の奥方。失礼かもしれませんが予想以上に若いですね。
武士から僧侶や領民に至るまで万民に治療を施すお方だとか。美濃でも知らぬ者はいないでしょう。一度会ってみたいと思っていましたが、こんなに早くに会えるとは。
私も医師には見ていただいたことがありますが、薬師の方殿はほかの医師とはまったく違います。なにより三郎様に堂々と意見をしていたことが驚きです。
家臣の、しかも妻の身分で、主君の奥向きのことに口を出すなんて……。
三郎様に不便はないかと問われた私は、そんな薬師の方殿に促されるように不安だったことを言いました。
「面白きものを見せてやろう」
織田家は銭で国を治め、国を広げるのだと語った三郎様に、薬師の方殿と私が連れてこられたのは滞在している清洲城の金蔵でした。
「これは……」
広い蔵にところ狭しと置いてあるのは、銭と金銀の入った木箱です。どれにも銭や金銀がいっぱいです。稲葉山城にもこれほどはないでしょう。これはいったい……。
「ここのほかにも那古野の城や久遠家にも銭はある。あの程度の婚礼をしたとて織田に問題はない」
ここが織田のすべてではない。あの程度の婚礼? あまりの豪華さに兄上が大人しくなったほどの婚礼が?
「帰蝶。覚えておけ。銭を使って国を富ませることで、織田は大きくなった。ああ、ケティの医術もあるがな」
銭を使って国を富ませる? そんなことができるの? 近くに控えている侍女の雪に視線を向けますが、わからないと首を横に振られました。
無論、兵糧を買うにも武具を買うにも銭が必要なことはわかります。でも富ませるとはどういう意味でしょう?
「裕福な人が増えれば、多くの税が入る。だから税を増やすには多くの人を裕福にさせる必要がある。そのためには、まずは飢えないようにする。賦役で民に銭を払い、田畑を整えて、
私が戸惑うのを感じたのでしょう。薬師の方殿が三郎様の言葉を補うように説明をしてくれますが、そんなことができるのでしょうか?
「そして民が豊かになって、物を買う人が増えれば、商人も商売の儲けが増えて、織田家も更に豊かになる。それを実行するために銭は使うべき」
飢えないようにする。それはわかります。義父となった弾正忠様がしておられることですから。
正直まだ十全には理解できませんが、織田家は今までとまったく違うことを始めたということなのでしょう。
「それで織田が豊かに……」
「金色酒に続くものを増やすのだ。あれで織田は莫大な銭を得たからな。近頃は鉄も売れておるが」
私としたことが、戸惑いを見せてしまいました。三郎様はそんな戸惑う私に金色酒を例えとして説明してくださいます。
口数は多くありませんが、お優しい方なのですね。
しかし父上が織田家に下る決断をしたわけが、やっとわかったのかもしれません。
織田家の力はすでに斎藤家を遥かに超えています。織田の商いを止めぬ限りは、織田の力は衰えないのかもしれません。
少なくとも銭の心配は不要のようです。
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