第312話・信長さんの結婚式・その四

Side:久遠一馬


 時刻は深夜になっていた。撃沈した人たちが次々と宴の部屋から運び出されて消えていった。新郎の信長さんまでもが撃沈しちゃったよ。お酒弱いのに無理しちゃって。


 顔見知りで残っているのは信秀さんと信光さんくらいで、新婦の帰蝶さんと義龍さんも残っている。帰蝶さんはお酒に強いらしいが、義龍さんはあまり飲んでない。


 まあ、見届け人の立場とかを考えて控えたんだろう。真面目そうな人だし、斎藤家を代表してきた見届け人が醜態を晒すわけにもいかないしね。


 オレも酔ってるが、どうもこの体はアルコールに強いらしい。元の世界のリアル側の身体だとそこまで強くもなかったんだけどね。生体強化が関係してるんだろうか?


「新九郎殿、貴殿は見事だったな」


 人が減ったので残った人が席を寄せる形で飲んでいると、物静かな義龍さんに信秀さんが声を掛けていた。


「兄者、見事とは?」


「国を守ろうと動いたこころざしと、駄目だとわかり、引く決断をした頃合いが見事だった。気持ちはわからんでもない。だが、あの元守護殿は駄目だからな」


 突然のことに義龍さんは驚き、帰蝶さんも少し表情が動く。義龍さんが返答をしないうちに、信光さんが言葉の真意を訊ねていた。


 信秀さんは自身に対抗しようとした義龍さんを思いのほか評価したみたいだ。


「和睦をしておきながら、申し訳ありませぬ」


「よい。若いのだ。そのくらいの気概があるほうがいい。あの元守護殿はわしも持て余しておった。じかにお会いして、山城守殿が追放した訳がわかったわ」


 予想外に褒められた義龍さんだが、その場で膳から少し下がると深々と頭を下げて謝罪した。思うところはあるかもしれないが、嫌々謝罪した様子はない。和睦を一方的に破ろうとしたことはよくないと思っているようだ。


「知っておるか? 本人の差し金かは知らぬが、久遠家に謝罪しろと内々に元守護殿の家臣が来たのだぞ。一馬になんの非がある? せっかく和睦で全てを水に流したというのに」


「そんな話、わしも聞いておらぬぞ!?」


「八郎が内々に処理したからな。一馬もそれを良しとした。家中に知られれば戦になりかねなかったが、あの元守護殿との戦は不要だ。いかにせよあの御仁には国は治められぬ」


 信秀さんは白磁の盃に入った金色酒を飲むと、頭を上げた義龍さんに、以前ウチから内々に信秀さんへ報告したことを打ち明ける。


 あの件は家中にも明かさなかったから信光さんも知らなかったらしく驚いているが、義龍さんと帰蝶さんも驚いているね。


 まあ、当然か。守護なんて存在の価値が暴落している時に、あえて戦の口実になりかねないことをしたんだから。


 織田は斯波家の家臣であって、土岐家の家臣ではない。必要以上に土岐家に折れる必要はどこにもない。まして、主家である斯波家の名で纏めた和睦を、僅か数か月で反故にするような真似が露見したら、斯波家の面目がつぶれてしまう。織田としては主家の面目を保つために戦をするしかない。


「土岐家は名門でございますが……」


「兄、甥、息子と身近な血の繋がった者でさえ、片っ端から気に入らぬと排除しようとする者に先があると思うか? 六角も表向きは見捨てることはないのであろうが、歓迎まではしておるまい」


 守護家の価値を義龍さんは名門という言葉を使い、それなりにあると考えているらしい。信秀さんはそれに対して否定はしなかったものの、土岐頼芸の過去を語り、あの男では人が付いていかないと言い切った。


 六角は迷惑だろうな。頼芸がいないとはいえ、いつまでたっても落ち着かない幕府を西に抱えて東まで敵には回したくはないはず。


「新九郎殿も覚えておくがいい。世の中とは常に変わるものだ。それを否定したところで誰にも止められぬ。いかにして生き残り、いかに次の世代に繋ぐかだ」


 みんな土岐家の没落には思うところがあるんだろう。信秀さんの話を神妙な面持ちで聞いている。


 世の中は変わる。この時代だってみんな理解していることだ。時間は戻らないんだから。でもその中心にいるはずの信秀さんが口にすると、言葉の重みが全く違う。


 史実と違う形で織田と関わる義龍さんは、信秀さんの言葉をどう受け止め、どう対応するんだろうか。


 それにしても、信長さん、初夜に酔いつぶれちゃったけどいいんだろうか? お酒強くないのにみんなにお酒を注いで回り、お返しにと返されたら飲んでいたからね。


 まあ、信秀さんが笑っていたから問題ないんだろうが。




Side:斎藤義龍


 婚礼の儀一夜目が終わった。刻限はすでに丑三つ時だろうか。


「若、いかがでしたか?」


「ああ、つつがなく終わった」


 ほかの者も起きて待っておった。話を聞く限りこちらにも宴と同じケイキと料理が振舞われたようだ。


「父が織田には勝てぬと考えたわけが、わかったかもしれぬ」


 ふと障子を開けると星が見える。ああ、恐ろしかった。心底震えがくるような相手は父以外では初めてかもしれぬ。


 織田弾正忠という男は自らに刃を向けたにも関わらず、童の失敗でも許すかのようにわしを許した。


 久遠家に謝罪させようとしたとは聞いておらぬ。誰のはかりごとかは知らぬが、斯波家と織田家の顔を潰すようなことをしてなにがしたかったのだ?


 背筋に冷たいものが走る。織田は最初から戦をする気がなかったとは。元守護様が勝手に自滅することまで読んでおった様子だ。


「それにしても凄い料理でしたな。堺や京の都でも同じものは食えぬかもしれませぬ」


「そうなのか? 京の都に行けばある料理ではないのか?」


「いえ、残念ながら。京の都というならば我が斎藤家の料理番は京の都で学んだ者。織田の料理は明や南蛮の知恵がある久遠家の料理だと聞き及びました。清洲には久遠家の料理を出す店があるようですが、ほかでは食べられませぬ」


 なんと。城の料理番は京の都で学んだ者だったとは。会ったこともないので知らなんだ。


 家臣たちに織田の料理が特別だと教えられねば、また父になにも知らぬと呆れられるところだったわ。


「確かに味噌汁一杯ですら味が違ったからな」


 あのケイキという見たこともなく大きな菓子も凄かったが、味噌汁ですら初めての味だった。伊勢海老は食べたことがあるが、なんというかそれ以外にも根本にある味の深みに違いがある。


 酒にしてもそうだ。金色酒はわかるが、知らぬ酒が当たり前のように振舞われておった。美濃では金色酒ですら年に何度も飲めぬというのに。


「あのケイキという菓子を持ち帰れぬか? 母上たちにも食わせてやりたい」


「はっ、少し聞いたところ、いかにもケイキは日持ちがせぬようで無理な様子。なにか別な菓子を頼んでおきましょう」


「ああ、代金は言い値で構わぬ」


 あまりみっともない真似はしたくはないが、わしの母と帰蝶の母である小見の方の土産に欲しい。織田でしか手に入らぬと言われれば尚更。ふたりは織田に嫁ぐ帰蝶の身を案じておったからな。


「しかし、亡くなった元守護様と長井殿は織田をいかに押さえる気だったのだ? こちらの兵にまで豪勢な飯をふるまい、菓子と酒を土産に寄越したような相手だぞ」


 それとわしらを一番驚かせたのは、嫁入り道具を運んできた兵たちの待遇だ。さすがに金色酒はなかったらしいが酒と飯を余るほど出したかと思えば、土産に酒と菓子を寄越したと慌てて知らせが来た。


 五千だぞ? 五百はわしらの護衛として残したが、僅か一夜の滞在で高価な菓子を雑兵にまで振舞うとは聞いたことがない。いったいいくら使ったのだ?


「なにも考えてはおらなかったはずだ。わしも聞いたことがないからな」


 先日の美濃での米の売却で織田も相当儲かったはずだが、それを考えてもあまりに桁が違いすぎる。


 長井隼人佐はなにも考えておらなかった。ただわしが起てば国人衆も付いてくると、根拠のないことを言っておった。織田が来る前に父を討ってしまえばいいと言って、織田の対策など考えておらなかったと思う。


 織田弾正忠殿はそのことは言及されなかったが、あの様子だと想定しておったのであろうな。織田が本腰を入れ兵を寄越せば西美濃は織田に味方したであろう。東美濃はよくて中立か。本当にいかがする気だったのだ?


 婚姻にしても同じだな。もし仮に同盟にしておって織田から嫁を迎えたとて、婚礼の内容で大恥を掻くではないか。いずれにしろ格の違いを見せつけられたのであろうな。


 父が何故あの条件で収めたのかよくわかった。力の差があり過ぎる。


 織田弾正忠殿ですら、生き残ることを考えておる。美濃すら纏められぬ斎藤家では織田に従うのは仕方ないことなのかもしれぬ。



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