第310話・信長さんの結婚式・その二
Side:斎藤義龍
思えば他国に来たのは初めてだ。尾張に入ると道中では多くの領民がわしらを見物しておる。
「凄い賑わいだな」
清洲の町は大賑わいだ。もう夜になるというのにあちこちでかがり火が焚かれておって、まるで祭りでもあるかのように人が集まっておる。しかも皆がわしらを歓迎して騒いでおるようだ……。
美濃では考えられぬかもしれぬ。父は成り上がり者の謀叛人だと陰で言われておるし、美濃から出ていった守護家も決して領民から好かれておったわけではない。そもそも他国との婚姻は領民にはなんの関係もないではないか。
「清洲の町は随分変わりましたな」
戸惑うのはわしだけではない。供の者たちも驚いておる。
「左様なのか?」
「はっ、もともと街道が集まる要所ゆえ栄えてはおりましたが、町の様子は様変わりしておりますな」
年配の者は昔に来たことがあるようで、当時のことを語ってくれた。
昔と比べると町は拡張されて道が随分と広くなったそうだ。城を改築しておるとは聞いたが、城下の町も変えたのか。しかし、随分と広く真っすぐな道だな。攻めやすそうなのにいいのか?
噂の清洲城にたどり着くも、ここはまだ改築途中のようだな。平城で稲葉山と比べると心もとない。しかしあれは石か? 堀の壁や城の周りに大きな石を積み囲んでおるのか? しかも城を囲む城壁も漆喰で固めて堅固のようだ。
攻められぬこともないが、それなりに考えてはおるのか。
清洲城に到着したが、嫁入り道具を運ぶ先は那古野だ。婿の三郎殿の城は那古野だからな。ただ、婚礼の儀は清洲で行うらしく、見届け人のわしと花嫁である帰蝶は清洲に留まることになる。
「たいしたもてなしは出来ませぬが、ごゆるりと休まれよ」
清洲城でわしを迎えたのは平手殿か。三郎殿の守役を務め、今はその筆頭家老となり、久遠家の後見人とも言われておって、今の織田家中では随一の実力者だ。
出された酒は金色酒か。当然といえば当然だが。
「まるで儀式の本番のような馳走ですな」
「確かに……」
わしと共に見届け人として来た者たちは出された膳の料理に驚く。鮭の焼き物に椎茸と凍り豆腐の煮物、ほかにも刺身や山菜の和え物などもある。
「若、毒見を致しましょう」
「不要だ。ここで毒など盛るまい」
供の者が毒見をしようとしたが、わしはそれを制して料理に箸をつける。まずは汁物からだが……。
「なんだこの味は?」
「若、味がおかしいならば……」
「違う。おかしいのではない。なんというか、今まで食べたことのない味だ。お前たちも食えばわかる」
なんという味だ。塩で味付けしたすまし汁のように透明な汁なのに、今までに食べたことがないほど美味い。味が
「これは……」
「なんて美味いんだ……」
ほかの者も恐る恐る、同じすまし汁を飲むと驚き顔を見合わせる。そういえば昨年秋に和睦をした際に父の供をした者が、尾張の料理はまるで極楽浄土のようだと言っておったと噂を耳にしたが。
長井隼人佐が尾張に内通した愚か者と罵っておったが、あれはこのことだったのか?
金色酒も美濃で飲むより濃いかも知れぬが、これがまたよく合う。
「これは……、なんだ?」
次に箸を付けたのは白身の刺身だ。稲葉山は尾張には近いゆえ刺身は食えぬこともないが、これもまるで味が違う。
「恐らくは噂の久遠醤油かと思いまする」
「いや、醤油ではない。この魚のほうだ。なにか味がついておる」
醤油の味が違うのはわかっておる。美濃では醤油自体が滅多に手に入らぬ。尾張で噂を呼び、幻とも言われる久遠醤油などわしも初めてだが、気になったのは魚のほうなのだ。
臭みが一切なく、なにも付けなくてもいいほど味があるのだ。いったいなんの魚にいかな味付けをしたのだ?
刺身に少し醤油をつけて食べると、これがまた初めて食べる味になる。口に広がるうま味と醤油が魚をまったく別物の味にする。こりこりと新鮮な歯ごたえも相まって本当にいい。
ああ、山菜の和え物も煮物もまた別格な味だ。酒が進むが気をつけねばならぬな。さすがにここで酔うて失態を演じるわけにはいかぬ。土岐家の家臣と同類となるわけにはいかぬからな。
それにしても織田は京の都から料理人でも召し抱えたのか?
正直、世の中にこれほど美味いものがあるとは思わなかった。
だが負けてはおられん。美濃に帰ったらさっそく京の都から料理人を召し抱えるか。斎藤家とて晴れの日くらいはこのような馳走を用意出来るはずだからな。
Side:帰蝶
とうとう清洲なのですね。
美濃を出る前に父上と兄上が和解したのは本当によかった。ここのところ父上はらしくないほど変わられてしまいましたから。
すべての元凶は織田です。蝮が仏に毒を抜かれたなどと言われるほど。あれほど苦労して美濃を纏めたのに、織田の大垣支配を黙認して、私を織田に出してまでも和睦を求めるなんて。
ただ織田の力は私もわかっているつもりです。輿の中からみた織田の領民の表情を見れば尚更のこと。されど勝てぬほど力の差があるとは思えません。
私は……、私は男に生まれたかった。男ならば、父上も家も守ってゆけたのに……。
でも私は女。ここからが私の戦。斎藤家と織田家が共に栄えるようにしなくては。
「姫様」
共に美濃から付いてきてくれた侍女の雪の言葉で私は気付きました。いつの間にか夕餉の支度が整っております。
随分と贅沢な夕餉ですね。織田は見栄を張ったのでしょうか?
今夜はひとりでの夕餉にもかかわらず、武家にあるまじき行為です。武家というのはいつ戦があってもいいように、質素倹約で備えるべきなのに……。
近頃の織田は勝ち戦続きのうえ、南蛮船を手に入れたことで驕っているのでしょうか。驕れる者の末路など決まっているというのに。
「姫様?」
……でも美味しいです。
こんな贅沢は身を滅ぼしてしまうかもしれないのに、美味しいです。
そういえば父上も織田の料理は大層気に入ったようで、料理番に言って同じものを作らせようとして出来なかったとこぼしていましたね。
それにしてもまったく口にしたことがない味です。なにかよからぬ薬でも入っているのでしょうか?
「おいしゅうございましょう?」
「はい」
「本日は大智の方様がお作りになられましたから。織田家でも特別な日でなくば食べられませぬ。雪殿の分もあります。あとで
静かな夕餉が続く中、私の心境を察してか織田の壮年の侍女が柔らかい口調で声を掛けてきました。
その話には興味があります。大智の方の噂は美濃にも届いております。久遠家の正妻にして稀代の知恵を持つ者と。なんでも戦にも通じていて殿方を凌駕するとか。かの者は料理も自ら作るのですか。
「それほど違うのですか?」
「ええ、近頃では料理番の者も学んでおるので美味しいですが、やはり大智の方様の料理は別格でございます」
雪が少し不思議そうに違いを尋ねると、壮年の侍女は笑顔で教えてくれました。
久遠を召し抱えて以来、朝夕の
やはり織田は少し驕っているのでしょう。私が引き締めてやらねばならないかもしれません。嫁ぎ先が贅沢をして滅ぶなどとなれば末代までの恥です。
でも……、出されたものは残さず食べねば。明日はゆっくり食べられないかもしれませんから。
美味しいものは美味しいんです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます