第284話・過去と現在の交差する時

Side:太田牛一


 婚儀も進み宴となった。織田の若様、平手様にも宴に先立ち、祝いの言葉を頂いた。殿も家中の皆も祝ってくれておる。


 これほどの婚儀で祝ってもらえるとは……。亡き父と母も草葉の陰でさぞ喜んでくれていよう。


「あら、くれるの?」


「うん! みんなで作ったんだよ」


 妻となったお藤が家中の子供たちから割烹着を頂いておる。あれは久遠家では奥方様たちが料理や掃除の際に身に着けておられるものだ。


 お藤は文字の読み書きができずに子供たちと一緒に学んでおったからな。仲がいいのだ。


「みんな、ありがとうね」


 織田の若様と平手様からは高価な着物を頂いた。特に織田の若様はご自身の友の妹であるお藤との婚姻を殊の外、喜んでくだされたからな。


 殿からは、本来は嫁が持参する嫁入り道具をお藤の実家からという名目で頂いた。


 今日は織田領をでると幻とまで言われる金色酒に、他国の澄み酒とはまったく味が違うという幻の中の幻と言われる尾張澄み酒が樽で飲み放題だ。ああ、ほかにも久遠家でしか飲めぬ梅酒や南蛮の酒が幾つもある。


 料理も豪華だ。久遠家では硝子瓶という透明な壺に季節の野菜や果実を漬けておるが、それも惜しみなく出されておる。織田の大殿や若様に幾ばくか献上して佐治水軍に褒美として与えた以外はまだ外に出しておらぬ代物なのだが。


 妹の雪に食べさせてやりたかったな。母の手作りの干し柿などの甘い物が好きでな。


 いかんな。涙が出そうになる。決めたのだ。過去を振り返らずに亡き家族に誇れる人生を歩むと。


 祝いの席で涙など見せるわけにはいかぬ。




 婚儀の翌日、某の家族を奪った従兄弟が討ち取られ、叔父と一族と元郎党がまとめて捕らえられたと、父の代から仕えてくれておる老家人が血相を変えて知らせに来た。


 いったいなにが起きたのか理解できなかったが、愚かな従兄弟が殿に近付いておったとは。


 殿ほど武士らしくない武士は珍しいかもしれぬ。大智の方様や今巴の方様の方が武家の者らしいほどだ。追放するはずの素破が自決してしまい、しばらく落ち込んでおられたのは家中では周知だ。


 そればかりではない。久遠の御家を頼り仕えたいと着の身着のままやってくる素破には食事と仕事を与え、追っ手から守ってやったこともある。


 尋常ではない。故に殿は甘いといつからか世評が定まってしまった。


 そのせいだろう。あの真次郎が付け入る隙があるとみたのであろうな。愚かな。殿が甘いのは、相手が素直に懸命に生きようとしておる者たちに対してだ。


 助けてほしいと頼み、過去を素直に反省したならば、結果は変わったのであろうが。


 愚か者や久遠家を単に利用しようとする者には武士以上に厳しいお方だ。それが理解できずに殿に近付くとは。それに殿はご自身より家中に手出しされるのを最も嫌がられる。




「旦那様、ここですか?」


「ああ、某が世話になっておった寺だ」


 更に翌日、某は妻となったお藤を連れて亡き家族の墓参りに来ておる。


 久々に訪れた寺は以前と変わらぬままだな。


「又助か。久しいの」


「ご無沙汰しております、和尚様」


 家族が眠るのは幼い頃に父の命で出家して以来、守護様に仕えるまで世話になった寺だ。すでに六十を超える和尚様に挨拶するが元気そうでなによりだ。


「いい嫁を迎えてよかったの。亡き両親も喜んでいよう」


 和尚様は某の婚儀も、太田家を乗っ取った叔父一家が捕らえられたことも知っておった。


 思えば某を導いてくれたのは和尚様であったな。


 両親と兄と妹が亡くなった時、下手人が従兄弟と叔父なのは葬儀の際にすぐにわかった。従兄弟の勝ち誇った表情と、狙ったように現れた坂井大膳が太田家は叔父が継ぐべきだと言ったことがすべてを物語っておった。


 すぐに仇を討つべく動こうとした某を止めたのは、葬儀に来ておった和尚様だった。


 いずれ機会は訪れると言い、今仇討ちを狙えば坂井大膳に某まで殺されてしまうと止めてくれたのだ。


「これは……」


「守護様と久遠様じゃよ。それぞれ別に来られたが、偶然にも重なってのう。守護様は久遠様にそなたの両親、家族を死なすことになったことを後悔しておるとおっしゃられておった」


 そのまま和尚様に案内されるように家族の墓に来るも、そこには誰か参った跡がある。和尚様に先に参った者を教えられるが、まさか守護様と殿だったとは。


 しかも、守護様は覚えておられたのか。某の家族のことを。もう三年も前のことなのに。


 親族も郎党、家人も誰も某を助けてくれなかった。守護様も当時はなにもおっしゃることはなかったのだが。




Side:久遠一馬


「ここが太田家の墓か」


 この日オレはエルと資清さんと共に太田さんの両親、家族が弔われていると聞いた寺の墓に来た。特に理由がある訳ではない。清洲で太田家の騒動の後始末をした後にふと来てみようと思っただけだ。


「これは偶然じゃの」


「守護様!?」


 一連の事態を終わらせたし、太田家の墓に手を合わせておこうと思ったんだけど、太田家の墓にはまさかの先客がいた。


「よい、楽にいたせ。しかし偶然とは面白きものよの」


 そこにいたのは守護の斯波義統さんだ。さすがに態度に気を付けないといけない人だし、すぐに控えるが義統さんは楽にするようにと告げるとオレたちに墓前を空けてくれた。


 その表情はなんとも言えないものがある。悲しみや後悔のようなものに見えるのは気のせいだろうか?


「守護様も太田家の墓に?」


「わしが殺したようなものじゃからな」


 オレたちが墓に手を合わせるのをじっと見ていた義統さんに、オレは声を掛けることにした。


 なんとなくそれを待っている気がしたからだが、その答えにオレは思わず言葉が詰まる。


「父が今川との戦に負けた時に斯波家は終わっておった。討ち死にでもすればまだよかったのかもしれん。今川は父を生かしたが、それは情ではなく斯波家をおとしめるため。捕らえられて生き恥を晒すように仕向けられたとわしは思っておる」


 冬の冷たい風が吹き抜ける中、寺の住職に誘われて宿坊の客間で義統さんと共に休憩することにするが、義統さんがおもむろに話し始めた内容に義統さんのお付きの皆さんが固まった気がする。


「力なき主君など邪魔でしかない。尾張は今川の策のままに衰退した。又助の家族はわしへの見せしめに殺されたのだ。坂井大膳によってな。その坂井大膳も弾正忠によって滅んだ。ようやくわしが尾張を治める時が来たと喜ぶ家臣たちを、弾正忠に鞍替えさせた時には家臣たちに随分と止められた。じゃが今川の策を終わらせるには、わしにはこれしかなかった」


 とつとつと語る義統さんの言葉をオレたちはただ聞いているしかできなかった。


 誰かに話したいんだろう。答えを求めてるようには見えないので、あえてなにも言わなかった。


「わしはな。家臣に死んでこいとは言えぬ。勝ち目のない争いで最後まで尽くしてくれた者たちを滅びかすのは忍びなかった。だが、わしも悲観してばかりおったわけではない。そなたたちはわしに今までにない道を見せてくれた。又助がそなたに仕えたいと言った時、又助ならばそなたの道についてゆけると思った」


 ずっと傀儡とされていた義統さんの思いは、オレなんかには想像もできないものがある。


 大和守家が途絶え、ようやく日の目が当たるかという時にそれを放棄するような決断はオレにはできないかもしれない。


「此度も見事であったな。又助の婚礼にこれ以上ない祝いになったであろう。又助のこと、これからもよろしく頼む。そして二度と今川に負けぬ国にしてくれ」


「心得ました」


 歴史ではわからないことがたくさんある。


 資清さんも義統さんも本来の歴史と変わった故に新しい一面が見えてきた。


 今川に負けない国。まさに斯波家の最後の悲願なのかもしれない。


 織田家がこの先どうするかはオレにもわからない。


 でもこの人もまた、歴史に大きな影響を与えるのかもしれない。 ――――――――――――――――――




 天文十七年冬、太田牛一が結婚した。


 相手は以前に悪徳商人から救ったお藤という娘で、当時の武家では珍しい恋愛結婚であったと伝わる。


 結婚式当日には太田の従兄弟であり、かつて太田家の本家家族を皆殺しにして家督と領地を乗っ取った真次郎が久遠一馬に取り入ろうと接触するも、一馬に非道卑劣な者だと見抜かれて断罪されて、牛一を裏切った一族や郎党が纏めて捕らえられたとある。


 同時代の資料では実際に動いたのは滝川資清と息子の一益だとあるが、お藤騒動からの一連の話は歌舞伎の久遠十八番のひとつになり現代でも有名な逸話になる。


 このお藤騒動の逸話は、いつしか恋愛成就の歌舞伎と言われるようになり現代でも恋愛成就を願う女子が観劇にくることがある。



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