第283話・太田さん泣く
Side:久遠一馬
太田さんの結婚式は大賑わいで朝まで続いた。お藤さんの両親も途中から打ち解けていたし、太田さんはお藤さんの両親を引き取ることにしたらしい。
お藤さん家は本家筋を名乗る親戚の小作人らしく生きるのが大変だということもある。太田さんには上級武士クラスの禄を出してるしね。お藤さんの家族を養うくらいは余裕だろう。
でもなんか仕事でも世話してやるべきかな。
「殿。ご迷惑をおかけ致しました」
「別に謝る必要はないよ。オレはなにもしてないし。八郎殿がみんなやってくれたんだ」
そして結婚式の翌日には太田さんの叔父と親戚と元郎党たちが纏めて捕らえられたことで、騒ぎになっていた。
当然、太田さんにも知られてしまったが、これは資清さんの配慮で、
資清さんは太田家の元領地を太田さんに返してもらえるように信秀さんに頼んだみたいで、正々堂々と領地を取り戻せるように考えたんだって。やるね。
それとこの件には今川が背後で関わっていたらしく、以前から要注意人物として監視していた商人が明確に繋がったから、さあ大変。
資清さんの進言でこれを機会に徹底的にその商人を調べているところだ。実は資清さんには言えないが、虫型偵察機でその商人が今川のスパイなのは確認済みなんだよね。
泳がしていたんだけど、エルもちょうどいいから捕らえてスパイを減らしたほうがいいって言うしさ。
資清さんの優秀さが光った一件だった。資清さんはエルに仕事を教わりながら、情報収集とかスパイ対策とか勉強してたからなぁ。
任せてよかった。
「ああ、大殿が元の領地を返してくださるって。八郎殿がわざわざ頼んでくれたんだよ」
「滝川殿……」
「亡くなった者は帰らぬが、これでご家族も草葉の陰で少しは安堵されよう」
結局、資清さんが一連の事態を太田さんに説明するが、太田さんは言葉少なく今にも泣きそうだった。
やはり亡き両親の領地を取り戻せたのは嬉しいんだろう。
従兄弟は捕らえる際に抵抗して斬られて首が晒されてる。あの人はウチばかりか織田家をも倒すとか言ってたみたいだから、完全に謀反人だね。
叔父は素直にすべてを話してるそうだ。家の乗っ取りをけしかけたのは坂井大膳。真次郎が博打と遊女に入れ込んで作った借金の一部を、棒引きにするようにと口利きする代わりにやれと命じられたらしい。
当時太田さんには兄が二人いたが、坂井大膳の専横に反発して目障りだったらしい。そんな時に仏門に入っていた太田さんが還俗して斯波義統さんに仕官した。
気に入らなかったんだろう。それに守護の義統さんが力を持つことを警戒していたようで、一家皆殺しだ。
ほかの親族や元郎党は後に真次郎が自慢げにそのことを話したのを、何度も聞いたんだって。
ただ坂井大膳が健在な頃はそれでよかったらしい。清洲の商人から金を貰ったりして羽振りがよく一族や家臣の暮らしも悪くなかったんだとか。領民は困窮していたらしいが。
それが変わったのは、坂井大膳が自死させられ、大和守家が
清洲入りした信秀さんに目通りが叶う前にケティが来て、流行り風邪対策に協力してほしいと頼んだ。連中もケティの噂は聞いていたみたいだけど、何様なんだと反発したんだ。
所詮はよそ者の商人。銭でも出して頼むのが筋だろうと考えたらしいが、ケティは相手にする時間も惜しいと無視して信秀さんに太田家が協力しなかったと報告だけした。
そうしたら信秀さんは怒って所領を取り上げたもんだから、ウチが恨まれてたみたいだね。
それまで坂井大膳のご機嫌をとって好き勝手していたし、周りがみんな従うから信秀さんも自分たちを無視できないだろうと勘違いしていたと。
領地を召し上げられて、チヤホヤしてた連中も潮が引くようにいなくなり生活が困窮した頃に、太田さんがウチに仕官したと聞いて上手く利用してやろうと考えたらしい。
元郎党とか親族はやばそうなことをしてるのを理解していたようで、関わらないように避けていたんだって。
というか目安箱とか作ったんだから知らせてほしかったな。そうすれば、元郎党や親族には温情措置を与えることもできたのに。やっぱり新しいものだから上手く活用できていないね。今後の課題だな。
叔父は打ち首。太田家の乗っ取りも元郎党から証言が取れたし、織田家への謀反も叔父が認めたらしい。幼い子もいないから、庇う理由もない。
叔父は今更大人しくなったらしいが、坂井大膳が生きてる時は従兄弟と一緒に好き勝手していたらしいし。太田さんの幼い妹まで手に掛けたらしいし同情の余地はない。
他の太田一族と元郎党は織田領外への追放になる予定だ。太田さんの気持ちを考えると近くにいないほうがお互いのためだろう。
この辺りは資清さんと政秀さんが追放にするよう強く進言していた。
許さないと領地が成り立たないならともかく、今の尾張だと領民はいくらでも候補がいる。それに領地運営はウチで手伝えば元郎党も親族も不要だろう。
「今川は、関与してないの?」
「はい。今回は東海屋の独断のようです」
太田さんへの説明も終わると人払いをして、エルと今回の裏側を話すことにする。でも、虫型偵察機の情報では今川は関係ないとは……。
「東海屋が何年も前から今川のスパイであることは確かです。それに今回の件も今川のためにやったことは確かですが、一言で言えば抜け駆けです」
「なるほど。今川もスパイをそこまでコントロールしてなかったんだね」
「この時代だとそんなものですよ。尾張の情報を駿河に流して報酬を得ていたようですが、東海屋はもともと尾張の人間です。今回に限れば今川が関与した証拠は出てこないでしょう」
なんだ。義元の命令じゃないのか。そうすると話が変わるね。
「なら東海屋は無罪になるの?」
「それはないですね。東海屋は用心深い男のようで、過去に今川に送った情報の控えと今川からの文を隠し持っていますから。それを見つければ終わりです」
今川が直接関与した証拠はないが、スパイなのは露見するのか。今川と通じていた証拠がある限り、今川からの命令が無くても限りなく黒だと尾張では見られるだろうな。
ちょうど関東の時に里見に加担した疑惑もあるし、正確にはあれは口約束で里見を利用したんだから黒と言えば黒だろう。
「今川との取り引きはどうする?」
「金色酒の値上げが適当でしょう。荷留は戦にまで発展しかねません。美濃とも和睦したので戦も可能ですが、まだ本格的な戦はしたくないですね。数年は内政に励み、戦をせずに領地を運営できる体制を領内全域に広げるのが理想でしょうか」
来年は、いよいよ田んぼの改革を広げる手筈になっている。農業試験村では史実を参考に、この時代でも育てやすい米の新品種を試験的に植える予定だ。
実は麦はすでに農業試験村で病害虫に強い新品種を植えてもらった。
米と麦に大豆や蕎麦なども増産する予定だし、新品種を領内に広げられれば尾張の状況は変わるはずだ。最近は、貧しさからだけでなく、米以外を食事の
馬鈴薯ことじゃがいもと小豆芋こと薩摩芋も、佐治さんのところで来年から試験的に植える予定で候補地を選定しているところだ。
知多半島は奥に行くと大きな街道もなく、また佐治さんは裏切る心配がほとんどないからね。領外に漏洩したら困る芋の栽培に向いてる。
同じ知多半島でも水野さんのところは三河で松平と接してるし、悪いけど佐治さんほどの信頼はまだない。
水野さんのところは流民対策に力を貸しているし、それでいいと思う。三河と尾張の国境近辺と知多半島の根元のほうには流民が開拓した村が幾つかある。
米はできないが、麦と大豆の二毛作でやる予定だ。
「なんかなりゆきのままに戦になりそうで嫌だな」
「可能性はありますよ。戦を望んでる者はそれなりにいますから。抜け駆けが日常茶飯事な時代ですし」
「その抜け駆けの習慣はなくさないと駄目だね。どっかの軍みたいに有耶無耶のうちに開戦して泥沼なんて困るよ」
「支配体制の構築と命令系統の明確化はまだ時間が掛かります。はっきり言えば数世代の教育が必要かもしれません」
他人事じゃないね。抜け駆けに謀略がよくある時代だから。
織田も味方の国人衆が抜け駆けしないとは限らない。伊勢守家の内乱の切っ掛けになった人みたいな国人衆が一定数はいる。
うーん。どうなるんだろう。
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