第268話・塚原卜伝VSジュリア
side:久遠一馬
ジュリアが着替えてくるまで十数分だろうか。武道場は異様な雰囲気になっていた。
関東の件もありジュリアの実力は知られつつある。
しかし大半の武士は、所詮は女だと思っているようで、里見水軍も随分と過小評価されている節がある。
現段階では剣聖とまでは言われてなくとも、著名な武芸者・兵法者である塚原さんの目に止まったのが女のジュリアであることに嫉妬する者は少なからずいるらしい。
「お待たせしました。もう少しお待ちいただいてよろしいでしょうか?」
「無論構わぬ」
武道場に戻ってきたジュリアに周りが息を飲んだのがわかる。
男勝りで姐さんのようなジュリアが、元の世界の弓道で着るような稽古着にて現れると、まるで別人のように変わっていた。
普段のジュリアには無縁に思えるような気品というか、
そのままジュリアは塚原さんに一言断ると、石舟斎さんを指名してウォーミングアップを始める。
石舟斎さんに戸惑いはない。ただし、周りで見ている者たちは大半が戸惑った。武芸大会にて優勝した石舟斎さんがジュリアに押されてるのがわかるんだろう。
実際に動きを見ると、さすがに認めざるを得ないようだ。
「お待たせしました」
数分に渡るジュリアと石舟斎さんのウォーミングアップを塚原さんはじっと見ていた。
石舟斎さんが下がると、いよいよ本番の手合わせとなる。
武器は木刀だ。長さも同じで条件は一緒。それでもジュリアの方が背が高く、手足も長い。元の世界の剣道レベルの話ならジュリアが有利だ。
冬の先駆け、晩秋の冷たい風が開けた窓から吹き込む。
両者共に対峙したまま所定の位置から動かない。でも珍しい。ジュリアが待ちの戦いをするなんて。
どうするんだろう。アンドロイドの身体能力でごり押しすれば負けることはないが、さすがにやらないと思うが。
「……なっ!?」
誰かの驚きの声がした。
先に動いたのが塚原さんだからか? どちらかと言えば今までは待ちに徹して後の先で戦っていたんだ。
塚原さんの最初の太刀をジュリアは紙一重でかわすが、次の瞬間誰もが驚いた。
更に一歩踏み込んだ塚原さんに対して、ジュリアが大きく距離を空けるようにバックステップで退いたからだろう。
「某の負けでござる」
塚原さんはそんなジュリアに何故か笑みを浮かべると、あっさりと負けを自ら認めた。
ジュリアは喜んではいない。むしろ顔色が悪く見えるくらいで、顔色だけを見ればどちらが敗者かわからないほどだ。
「セレス?」
「あのままではジュリアが負けていたかもしれません。だから退いたのでしょう」
多分ジュリアは身体能力を、人間の女性の限界に合わせて制限している。しかし、それでも能力値的にはこの時代で老齢とも言える塚原さんを上回っているとは思う。
でも何故塚原さんが負けを認めたかオレにはわからん。
そもそもジュリアが一対一の勝負で退くなんて、オレも見たことがない。セレスとの稽古で
セレスに説明を求めるが、まさかジュリアの負けの可能性を口にしたことにオレはただただ驚くしかない。
「なにがあったのか、聞いてもよいか?」
「はっ。今の某に打てる
正直、会場のほかの人も訳がわからないんだろう。信秀さんがさすがに気になったのか塚原さんに訊ねるが、それは常人には理解できない次元の試合だった。
「弾正忠殿、久遠殿。そして今巴の方殿。某のわがままを聞き届けて頂き、本当にありがとうございまする」
周りはみんな、勝負を続けていたらどうなったんだという顔をしている。
でも塚原さん本人は満足したらしい。
深々と頭を下げる塚原さんはまるで子供みたいに楽しかったと言いたげな笑みを浮かべている。
ジュリアもどうやら落ち着いたらしい。こちらも楽しかったと言いたげな表情に変わってるね。
「とんでもない奴だったよ。斬られる姿が見えたくらいだ」
塚原さんとジュリアの手合わせも終わり、那古野の屋敷に戻ってきた。ジュリアは充実感の中に珍しく疲れた表情を見せている。
「珍しいな。一か八か勝負に行くもんだとばっかり」
「わからないね。体が自然に引いていたんだよ」
温かい紅茶を飲みながらジュリアとセレスと石舟斎さんと先程の稽古と手合わせについて語るが、ジュリアが斬られる姿が自ら見えたと言うのはさすがに驚きだ。
しかも何故退いたのか本人もわからないとは。
アンドロイドは不老ではあるが、不死ではない。ここがゲームの世界なら復活もあり得たのかもしれないが、リアル世界であるここでは死ぬこともある。
それが無意識のうちに影響したのだろうか?
それとも塚原さんの剣には、ジュリアを退かせるなにかがあったのだろうか?
しかしあれだね。塚原さんには旅に出る前にお願いしておかないと。
あまり旅先でジュリアのことを話されても困る。名声欲しさの武芸者が集まっても面倒だし、足利義輝あたりが興味を持っても困る。
そういえば信秀さんは猶子にしたいって言ったけど、オレの場合は朝廷だろうが幕府だろうが納得がいかなければ従う気はない。
足利義輝は武士としては武芸を磨いて立派らしいけど、統治者としては微妙としか思えない。武芸者と統治者では必要とされる素養が全く違うからね。
仮に足利義輝が安易にケティを呼んだり、ジュリアを見せ物にしようとしたりするなら対立してでも従わない。
そのあたりは先に話しておく必要があるね。織田に迷惑がかかる可能性もあるし、そうなった場合の対応は事前に決めておくべきだろう。
「うん。決めた。アタシ、あの人に剣を習ってくるよ」
「へっ!?」
少し今後のことを考えていると、ジュリアは突然立ち上がり、とんでもないことを言い出した。
いや、別に習わなくてもさ?
「アタシやセレスの技と日ノ本の武術とは違う。せっかくあんな男がいるんだ。習ってくる。新介、行くよ」
「はっ」
呆然とするオレを放置したまま、ジュリアはこれまた嬉しそうな石舟斎さんを引き連れて塚原さんに剣を習いに行ってしまった。
相手の都合とか先のこととか、もう少し考えてから行動しようよ。
「ジュリアは楽しそうですね。本当にこの時代が一番合っているのかもしれません」
ジュリアを見送るセレスは、少しだけ羨ましそうに見ている気がする。
同じ戦闘型アンドロイドだけに、共感するところがあるのかもしれないな。
今更だけど、みんなはもう生きてるひとつの命なんだ。自由に好きなことをしてもらうのがいいかもしれない。
フォローくらいはしてやろうじゃないか。お互いに助け合って生きていかないと。
エルたちにジュリアのフォローを相談しておくか。
――――――――――――――――――
天文十七年晩秋。剣聖塚原卜伝が尾張で稽古を付けたことが記録に残っている。
この時に稽古を付けた相手には後の世にも名が知られている者も多いが、同時に戦国最強の女とも言われる久遠ジュリアと立ち合ったことも記されている。
太田牛一の残した資料には卜伝が自らジュリアを指名したとあり、また卜伝が自身の負けを認めたともある。
実際、卜伝の弟子もそれを聞いたと伝わるが、この負けがどのような意味かは今も議論がわかれている。
ジュリアがこの後すぐに卜伝に弟子入りしていることも議論が起きている理由であり、諸説ある理由となっている。
ちなみに卜伝とジュリアはこれを切っ掛けに親交があったようで、織田家と久遠家との交流もあった模様である。
現代に伝わる久遠流武術では様々な流派の剣も教えているが、塚原卜伝の
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