第267話・剣聖塚原卜伝

side:久遠一馬


 今日は学校にある体育館というか武道場に、武芸大会に出場した者を中心に武闘派の武士が集まっている。


 中心にいるのは塚原卜伝さんだ。


 武芸大会後も尾張に滞在している塚原さんは、希望者に稽古をつけてくれることになり、近隣で一番広い学校の武道場で行うことになったんだ。こんな時、隣が病院なのは都合がいい。


 ウチの家臣や警備兵からも結構来ている。希望者が多くて何回かに分けて稽古をつけることになったらしい。


 というか塚原さん、弟子や郎党を数十人は連れてるが、旅費とかどうしてるんだろう。不思議だ。


「さあて。どれほどの腕前か楽しみだね」


 男性ばっかり集まったむさ苦しい武道場に、女性はジュリアとセレスのふたりだけになる。ジュリアは『オラわくわくするぞ』とでも言いたげな表情をしてるが、セレスは相変わらず表情に変化はない。


 ただ、セレスもここに来た時点で興味があるんだろう。


 オレ? オレはジュリアとセレスの付き添いだよ。興味がないとは言わないが、あるとも言えない。


「さあ、来なさい」


 まずは塚原さんの弟子が相手をするらしい。名前を聞いたが知らん人だ。塚原さんの弟子は歴史に名が残らない人もたくさんいるみたい。


 四十才くらいだろうか。ジュリアいわく連れてる弟子では一番腕が立つ人らしいけど。


「クッ! もう一番!」


 こっちの順番は家柄とか実力を考慮して、身分が低く実力がない人から順番に稽古をつけてもらうようだ。あっ、手加減されて木刀で撫でるようにされた相手が未練がましい。おっ、今度はしっかり打ち据えられた。


 塚原さんは上座にて、信秀さんと信長さんと共に見てるだけ。


 オレたちは上座寄りの脇で見学だね。女性のジュリアとセレスを連れてきたからか、何人かには『女が何をしにきたんだ』と言いたげな視線を向けられちゃったよ。


 信秀さんが何も言わないから誰も文句は言わないけど。


「強いねぇ。新介でも勝てるかわからないよ」


 ジュリアとセレスは次から次へと挑んでは敗れていく人たちを見ながら、塚原さんの弟子の実力と剣術を盗んでいるようだ。


 よく見ると石舟斎さんや尾張の実力者たちも同様だけど、あのお弟子さんそんなに強いのか?


 ジュリアが石舟斎さんでも勝てないかもなんて言うほどだとは……。




「お願い致す」


 途中休憩を挟みつつ武芸大会の成績上位者には、塚原さん自身が相手をしてくれることになった。このクラスになると、流石に虚勢を張ったり見苦しいことはしないね。


 会場の空気が一段と引き締まったような気がする。


 しかし年齢はもう五十を超えてるだろう、塚原さんの実力はどうなんだろうか。元の世界の視点で考えても、すでにピークは過ぎた人にも思えるんだけど。


「凄いです。肉体的にはすでに衰えてるはずなのに……」


 塚原さんの足音はオレには聞こえない。相手のドタバタと床を打つ足音だけだ。時々木刀同士の打ち合うカンッと乾いた音が響くが、大抵その後に塚原さんの木刀の風切り音がビュッと鳴り、ビィシャッと聞こえる木が肉を打つ音が微かに聞こえ、勝負あり。圧倒的だね。そうして幾人かの打ち稽古が過ぎ、ずっと無言だったセレスが口を開いた。


 珍しく驚き唖然としてるレアな表情だ。


 実際、塚原さんは強い。どう凄いのかと言われてもオレには分からないけど、武芸大会で派手に戦っていた人たちが全く通用しないなんて。次々と病院送りだ。


「柳生殿と言ったか。柳生家といえば大和の国人かと思うたが?」


「父が大和におりまする。拙者は剣の道を目指して修行の旅に出ましたが。先日久遠家にてお仕え致すことになりました」


 今まで会話らしい会話もないまま、稽古をつけていた塚原さんだけど、石舟斎さんの番になると何故か自ら声を掛けていた。


 この時代のこの時期に、柳生家って有名なのか? それとも塚原さんが博識なのか?


「ほう。そうか。では来るがいい」


「はっ。参ります」


 会話にどんな意味があるのかオレには分からない。でも武道場の中が緊迫した空気なのは確かだ。


 先手は石舟斎さんだ。


 本気なんだろう。真剣な表情で打ち込む。


「こんな時代に剣で生きてる奴は違うね」


 石舟斎さんの一撃が、まるで分かっていたかのようにかわされると、塚原さんの優しいようにも見える一撃が石舟斎さんに簡単に当たった。


 難しいことをしたようには見えない。オレには普通にかわして反撃したように見えたんだ。だけど塚原さんが立ち位置を変える動きをしたのは、初めてだ。


 でも、ジュリアの顔が真顔に変わっている。


「若いな。羨ましいほどだ。わしには最早そなたほどの若さはない。だが……、ただ無駄に老いたわけではないぞ」


 静まり返った武道場の中に塚原さんの声が響いた。若さを羨ましいと言うが、そこには重ねた時の分だけ自信もあるように見える。


「もう、一番頼んでもよろしいか?」


「無論、構わぬぞ」


 石舟斎さんはまだやる気だし冷静だ。負けてショックを受けたり熱くなるほど柔じゃない。


 というかセレスやジュリアに弟子入りしている時点で、自分が一番強いなんて考えはないんだろう。でも打たれた所、痛くないの?


「ほう。冷静じゃな。結構、結構」


 二度目の手合わせは一撃では決まらなかった。石舟斎さんもちゃんと反応した。


 ただ塚原さんにはまだまだ余裕があるように見える。


 二人の木刀がぶつかり合う音が響く中、先程よりも長い戦いはやはり塚原さんの勝利で終わる。


「経験の差ですね。自らの体もよく知っている」


 やはり剣聖は凄かった。セレスは勝因を経験と言うが、自らの体をよく知っているというのは、どんな意味なんだろう。




「弾正忠殿。某からもひとつ願いがあるのですが……」


「なんだ?」


「手合わせをしたい者がおります」


 石舟斎さんの連敗でこの日の稽古は終わりらしい。見学の人も病院送りに成らずに済んだ人も帰り支度をしようとしている時に、塚原さんはとんでもないことを口にした。


「一馬。ジュリア。いかがする?」


 塚原さんの願いはジュリアとの手合わせだった。


 信秀さんはしばし考えた後に、オレとジュリアにそのまま丸投げしてくるし。本来ならば女との手合わせなどあり得ないはずだ。さすがに判断に迷ったか?


 いや、信秀さんはニヤリと笑みを浮かべて、面白がっているだけだよね!? 隣の信長さんの目も笑っている。ほんと似たモノ親子め!


「アタシは構わないよ。負けて失うモノはないしね。でもいいのかい?」


「負けて失うようなモノは、わしも持ち合わせておらぬよ」


 あの、お断りしたら駄目ですか? ジュリアもそんな挑発みたいなことしないで。


 剣聖だよ。負かしたら駄目だろ。


 終わったし帰ろうという空気が一瞬で変わった。ジュリアはすぐに稽古着に着替えに行っちゃうし、塚原さんはそのまま待つつもりらしい。


「塚原殿。本当にいいんですか? 女に勝ったところで貴方の名に傷がつくだけでは?」


「そなたが久遠殿か。駿河や遠江でもそなたと弾正忠殿の名は聞かぬ時はなかった。しかしそなたも若いな。負けを恐れてなんとする。わしは負けて傷つく名など要らぬ。負けてこそ高みを目指せるというもの」


 オレは塚原さんの決意に水を差すのを理解しつつ、止めた方がいいかもしれないと声を掛けたが、その返答に返す言葉はなかった。


 この人は後世で剣聖と言われるかもしれないことを知らない。でもそれを教えても答えは変わらないのかもしれない。


 史実では無駄な争いは避けるような人だと、なんかで見たが、強さと剣を極めたいとの思いは人一倍強いのかもしれない。


「もう、止められませんよ。誰にも」


 オレの気持ちを理解してくれるはずのセレスでさえも、止められないらしい。


 築きあげてきたモノを捨ててもジュリアと勝負したいのか?


 これが本物の剣聖なんだね。





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