第269話・剣聖と脱穀
side:塚原卜伝
ああ、思い出す。若き修行の日々のことを。
力尽きるほど稽古を積み、つけられても勝てなかった亡き父や義父に挑んでおった頃を。
楽しかったといえば、怒られるであろうか?
わしも父や義父の歳を超えて強くなった。されど今でもあの頃の夢を見る。
止めたそうにしておる久遠殿には申し訳ないが、わしに止める気はない。
諸国を渡り歩き、
天の時・地の利・人の和。わしが築きあげてきたすべてを懸けて挑むのだ。
やはりわしはまだまだ未熟であったか。
生涯を掛けた『一の太刀』は打つ前に逃げられてしまった。
だが不満はない。これこそわしの剣の極意。到達した者にのみ許される極み。
これほどの時を与えてくれた天と地と人に感謝しかない。
わしはまだまだ強くなる。必ずな。
全て終わり弟子たちは驚いておるが、不満や憤りなどをもつ者はおらぬ。当然ではある。わしの『一の太刀』をかわした者を蔑むような者がおるならば破門だ。
「わしに学びたいと?」
「はい」
ただ若い娘に負けを認めたことに戸惑う者は少しおった。しかしそんな弟子たちを更に驚かせたのは、その日の内に今巴の方が柳生殿と共に剣を学びたいと来たことであろう。
「クククッ。おかしな話だな。わしは負けたのだが」
「駄目でしょうか?」
「いや。構わぬ。学びたいというならば喜んで教えよう。ちょうどわしも、そなたに学びたいと思うておったところだ」
勝った者が負けた者に師事を仰ぐ。おかしな話だが理解はできる。実はわしも日を改めて今巴の方に学びたいと思うておったのだ。
久遠流と名乗っておったが、今巴の方の武術は見たこともないものがある。南蛮の武術なのか分からぬが、学びたいのはこちらのほうになる。
まさか先を越されるとは思わなんだがな。これも若さか。
それにこの方ならば、わしの鹿島新當流を更に高みに導いてくれるかもしれぬ。
しかし女の身で剣など習うというのはよいのであろうか? 久遠殿がまた困ってなければいいが。
今回は少し勝手をし過ぎたな。日を改めて謝罪に行くか。
わしのせいで久遠殿と今巴の方の仲がおかしくなっても困る。
噂を聞く限りはあまり心配は要らぬとは思うが。
side:久遠一馬
「これを使うので?」
「ええ。試しに作らせたものですから、使ってみてください」
秋もそろそろ終わりのこの日は、農業試験村に来ている。
荷車で運んできたのは、
ただこの村ではそんなに後家さんも暇じゃないし、その労働力を買い叩く様なことはさせない。農閑期は女性も賦役に参加して軽作業をしているし、昨年から文字の読み書きと機織りのやり方を教えているからね。
村長さんに千歯扱きを渡して、さっそく使い勝手を試してもらおう。
「おっ!?」
「おおっ!?」
今度はなにをやるんだと興味深げに周りに集まり見ているのは、この村の人ばかりではない。
どういう訳か近隣の村の人も来ていて見せてほしいと言うので、許可して周りで見てるんだ。千歯扱きを通して稲から籾米を取っていくと、周りから驚きのような声があがる。
「もう少し改良した方がいいかな?」
「十分でございますよ!」
形はシンプルにしてある。安くするためにもシンプルなのが一番だ。歯の部分も工業村のおかげで生産は順調だ。
春に政秀さんが畿内から集めた職人や尾張国内の職人が、有り余る鉄を毎日加工しているからね。材料も依頼も山ほどあるから、なにげにブラックだ。でも報酬は弾んでおくから、ごめんね。
それに、桑名とか畿内からは今も職人の流入は少しずつ続いている。桑名からは元大湊の会合衆の湊屋さんが引き抜いてるんだけどね。
あの人はお金の使い方が上手い。他国の商人が寄り付かなくなったせいで景気が悪くなり苦労してる桑名に、一時金をばらまき商人や職人を引き抜いてくるんだから。
ただそんなことをしてるのはウチだけじゃない。大湊や宇治や山田でも桑名から職人なんかを引き抜いてるし、六角家も家臣か六角家自身かはわからないが商人を引き抜いたみたい。
資金力の違いから、大半がウチで引き抜いたけど。
冗談抜きに桑名は東海道を行く旅人のための単なる宿場町になりそうな雰囲気だ。まあ北伊勢に物を売ってる商人なんかは残ってるし、東海道の利便性を考えると盛り返すかもしれないけどね。
一時期は桑名の会合衆を引きずり下ろすと息巻いていた人もいたらしいけど、湊屋さんとか大湊がそんな有望な商人を引き抜いちゃったから。
ウチの方針が桑名の無力化であることを知った湊屋さんの手柄だ。ただあの人、銭より食べ物の褒美を欲しがるのはどうかと思う。
「これはあれだな。便利だけど、食えなくなるもんが出るな」
「ウチの村は久遠様から仕事を与えて頂いているからいいが……」
さて千歯扱きについて評価はいいみたい。特に試験村の人たちは脱穀が楽になると喜んでいる。
ただし近隣の村のお年寄りは、やはり便利になり仕事がなくなる人が出ることを心配してるな。この時代は村がひとつの共同体だからね。
やはり後家さんの仕事を、千歯扱きと同時にあてがう準備も必要か。
塩水選別と正条植えは弾正忠家の直轄地と、政秀さんとかウチと親交がある文官の領地で来年から始める予定だ。全部でなくとも一部の田んぼで試したいって人はそれなりにいるんだ。
「しかし久遠様がなにをなさるのかと思ったが、ずいぶんと米が採れるもんなんだな。草取りも収穫も楽になった」
「確かに……」
ちなみに近隣のお年寄りが一番不思議なのは、正条植えらしい。何故無駄に間隔を空けるんだと試験村の人が何度も聞かれたみたい。
今も見た感じでも多い収量に不思議そうに考え込んでいる。
正条植えは稲の成育が良くなるし、一株当りの籾の数も増える。それに夏場の草取りや稲刈りが楽になるのとかいいことは多いんだよね。
ただ塩水選別と一緒にやらないとここまで効果はなかったろうけど。天候とかにもめぐまれたのもあるし。
まあ来年から少しずつやってくれればいい。とりあえず興味のある村には試験村の人に指導に行ってもらえばいいからな。
ウチでフォローする必要はあるだろうけど、そんなに難しいことするわけじゃないしね。
千歯扱きなら他国も真似できそうだけど、中途半端にやると領地経営に失敗しそうだよね。下手に村の中で貧富の格差が広がると内部からゴタゴタの頻発になりそうだし。
まあ、他国は他国。オレたちでも全ては救えない。
「あっちに行こう!」
「ワン! ワン!」
ああ、ロボとブランカを連れてきたら、村の子供たちと遊びにいっちゃったよ。
大丈夫かな。二匹のリードを持ってる家臣がロボとブランカと子供たちに振り回されてるよ。
あとでお酒でも褒美にやるか。
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