第264話・柳生一門困惑する&名古屋名物

side:柳生宗厳やぎゅうむねよし(石舟斎)


「新介様。お受けになられたのですか?」


「断ったのだがな。家督を継ぐまででもよいと言われては断りきれなんだ。禄は百貫頂いた」


 久遠殿、いや仕えると決めた以上、殿とのだ。殿のもとを辞してくると、共に柳生の里から離れてまで、付き従ってくれた者たちが案じてくれておった。拙者たちは名のある武芸者を訪ねては教えを請い、修行をしながら諸国を巡ってきた。


 中には仕官に誘われることもあったが、大和に所領があると伝えて断ってきた。だが、断りの訳を丸ごと呑み込まれて、誘われたことは今回が初めてだ。断りの訳を条件に変えられては、拙者の負けと言うもの。


「ひゃ……」


「百貫とはまた……」


 むろん悩んだが、拙者に付いてきてくれた者たちにもここらで名をあげて仕官をする機会は与えてやりたいと思うたまで。


 しかし新参者にいきなり百貫とは、さすがは伊勢にも名の知られた久遠家ということか。百石や二百石は、とは思うたが、豪儀さが日ノ本の武家とは違った。


 だが、これで皆に苦労を掛けずに済む。筒井に降った父上に銭の無心をするわけにもいかず、牢人らと共にあちこちで日銭を稼ぎながらの旅は辛いものがあったからな。


 皆も素直に驚き喜んでくれた。百貫もあれば拙者と皆が生きていくには十分過ぎるからな。


「おお、新介殿。ここにおられたか」


「八郎殿。何かご用でしょうか?」


「うむ。殿より禄と屋敷の世話を任されたのでな」


 しかしそこに八郎殿が訪れると、皆は戸惑いの表情になる。禄の話は百貫ではないのか?


「禄は百貫と聞き及びましたが……」


「百貫は新介殿のもといの禄じゃな。だが、久遠家で働く者には陪臣、郎党、奉公人、いずれでも皆に殿から常の褒賞とも言える禄がでるのだ。無論、新介殿の柳生家の家人としての立場は変わらぬがの」


 あまりの好条件にまさか騙されたのかとの不安が込み上げてくるが、八郎殿の話はまったく逆だった。


「いや、それは……」


「戸惑う気持ちはよくわかる。わしもここに来るまでは甲賀の土豪でしかなかったからの。新介殿からも禄は出すのであろうが、働いた者には殿からも禄が出る。その代わり久遠家では土地は与えられぬがの」


 拙者ばかりではない。皆が驚き理解できぬと言いたげだ。


 拙者たちの戸惑いを理解するのか八郎殿は苦笑いを浮かべながら説明してくれる。


 詳しく聞くと久遠家で働く者には、陪臣や小者どころか女子供に至るまで久遠家から禄が出されるらしい。しかも、額も決して低くはない。


「それと禄から里に援助するのも構わぬ。もし、酒や物を送るならば、家中の値で融通する故に一声かけてくれればよい」


 信じられぬ。その一言に尽きる。だが、久遠家ではそれが当たり前らしい。


「屋敷に関しては済まぬがしばらくは殿の屋敷に住んでくれ。今の那古野に空きの屋敷などなくての。建てるにも大工が忙しく少し時がかかる」


 拙者を筆頭に供の者も、誰もが口をけぬじゅを受けたかと思うた。ほうけの様に口を開いたままの面相めんそうの者もおる。あまりの待遇に少し怖くなったのかもしれぬ。


 剣や戦ではない怖さは初めてだ。桑名の商人が久遠家をののしりながらも恐れておった理由がわかった気がする。


「八郎殿。本当に受け取ってよろしいのでしょうか?」


「構わぬよ。なあに、すぐに慣れる。それに酒や食べ物も別に頂けるからの。この程度で驚いておっては疲れるぞ」


 戸惑う拙者たちに八郎殿は笑ってすぐに慣れると語った。


 一先ひとまずやることは今までと変わらぬ。修行をしつつ若い者やわっぱたちに武芸を教えればよいらしい。


 セレス殿やジュリア殿……いかんな。主と仰ぐとなった御方の奥方様なれば……。御両人様がおられれば十分な気もするが、久遠家は急に大きくなり人が足りぬのも事実であろう。


 そういえば久遠家には甲賀から続々と人が来ておる。素破すっぱと言うのはここでは禁じられておるらしいが。


 待遇に違いはあろうが、おそらく甲賀者もほかではあり得ぬ待遇に集まってくるのであろうな。


 父上や里の者たちになんと報告をすればよいのであろうか。




side:清洲のとある町衆


「おやじ。いつものうどんを頼むぜ」


「へーい!」


 やれやれ。やっと八屋の前にあった行列がなくなったな。武芸大会が終わってもここだけは、あちこちからきた奴らが飯を食って帰りたいと行列が絶えなかったからな。


 まあ店の中は相変わらず混んでるけどな。


 ここじゃぁ酒や食べ物に菓子まであるが、暴れたり難癖つける奴は尾張者おわりもんの中には誰もいねえ。この店が久遠様の店なのはみんな知ってるからな。ここで暴れたらただじゃすまねぇ。


 それに、客にもお偉いお方が混じってたりするから、町の暴れ者でも大人しくなる。


「おまちどおさまです」


 これだよ。これ! 安くて美味い。うどんだ!!


 しち面倒めんどうくさい話はどうでもいい。これが食いたかったんだ。うどんって西国にあるって噂の麺料理。拉麺もうめえが冬は温まるうどんがオレは好きだ!


 中でも八屋自慢の一品、味噌煮込みうどんは痺れるくれえにうめえ!


 土鍋に濃いめの味噌でぐつぐつと煮込まれた麺には、味が染みててこの世の物とは思えねえ味になる。


 拉麺と違い太い麺をふうふうと息を吹き掛けて少し冷ますと、一気にすするのがつうの食べ方だ。


 もちもちっとした歯応えのある麺は食べごたえがあるし、味噌のつゆがよく染みててうめえんだ。


 どうも聞いた話だと味噌も久遠様から仕入れてるらしく、他じゃぁ真似しようとしてもできねえんだと。


 途中で濃いめのつゆをれんげで飲むと、外の冷たさに冷えた体の中を通るのがわかるほどだ。


「ああ……うめえ」


 近頃だと八屋を真似した料理屋が清洲に増えてるが、ここの味を知ると他じゃぁ物足りなくて駄目だ。


「仕上げは……っと」


 麺があっという間になくなると、つゆに飯を入れて食うのがまた美味い。


 雑炊なんて食い飽きてるが、これは別格だよなぁ。飯の味がこれほど味噌に絡むと美味いなんて思わなかったほどだ。


 味噌のつゆとよく混ぜた飯を熱々のまま頬張るのがいい!


 寒かったはずなのに汗をかいてくるほどだ。


「しかし清洲も変わったな。一年前とは大違いだ」


「確かにな」


 はふはふとつゆに混ぜた飯を食ってると、ふと隣の奴らの話が聞こえてくる。


 確かに清洲は変わったな。威張り散らしていた連中はみんな消えるか大人しくなった。


 こんな繁盛してる店があれば、難癖を付けて銭をせしめようとする武士や商人が何人もいたんだがな。


「店主。代金はおいていくぞ」


「ありがとうございました。またお越しくださいませ!」


 そんな時、奥の座敷から出てきた武士たちに店が少し静かになった。


 小さなお子を連れた守護様だ。ここの常連だって噂は本当だったみたいだな。


 店のおやじたちが並んで見送ろうとしたが、守護様は『それには及ばぬ』と言うとそのまま帰っていくじゃねえか。


 守護様くらいになればもっと美味いもの食ってると思ったんだが、違うのかね?




――――――――――――――――――

 味噌煮込みうどん。


 名古屋名物として知られる味噌煮込みうどんの歴史は古い。


 戦国期の西国や畿内ではすでに現在のうどんに近いものはあったようだが、名古屋の豆味噌を使った味噌煮込みうどんを最初に出したのは、当時は小料理屋だった料亭八屋であることが明らかになっている。


 八屋発の料理は多く、大半は久遠家から学んだ料理だとも言われているが、味噌煮込みうどんは初代店主の八五郎が久遠家より学んだうどんを用いて自ら作り出したと言われている。


 その味には一馬が来店して食べた際に、大層驚いたという逸話が残っている。


 


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