第265話・信秀と一馬

side:久遠一馬


 冬の足音が聞こえる頃になって来た。ウチでも冬支度が進んでいる。


 武芸大会で干し柿用の渋柿を買ったので、軒下には干し柿がずらりと並んで秋風に揺れている。


 あと、きのこも干したり塩漬けにして保存できるようにしている。この辺りは資清さんの奥さんを中心にみんながやってくれている。オレたちのよく知る保存法とは違うからね。


「そなたを猶子にしたいと考えておる。本領の者にも知らせて考えてみてくれぬか?」


 そんなこの日は信秀さんがウチに来ていたので、温かい麦茶と先日収穫したジャガイモと小豆芋ことさつまいものチップスでお茶にしていたら、突然信秀さんにとんでもない話を切り出された。


 この場には、信長さん、資清さん、エル、ジュリアが同席している。信長さんとジュリアはさっきから去年作ったリバーシをやってただけなんだけど。


「猶子って確か……」


「大殿の御子となることでございますな。大殿が殿をおのぐうするに相応ふさわしきとおみとめになるということ。日ノ本では古くからあるもので、お受けになれば織田一族として認めるということかと」


 初耳なんですけど。聞き慣れない言葉に少し記憶を掘り起こしていると、資清さんが解説してくれた。


 ああ、秀吉が関白になった奴か。イメージ悪いなぁ。


「わしや三郎とそなたなら不要ではあろう。だが先のことは何が起きるかわからぬ。伊勢守の件も覚えていよう。伊勢守は自ら野心があるわけでもないが、戦にすべきか随分と悩んだそうだ。この先は望まずとも対峙せねばならぬこともあるかもしれぬ。つまらぬ戦などごめんだからな」


 誰か嫁が来る話なんかが持ち上がるのは覚悟してたけど、猶子か。信秀さんなりに考えたんだろうな。


 元の世界の感覚からすると認めたからどうなんだってなるが、実の子でも疎まれたら家臣扱いしたり養子に出してしまう時代だからなぁ。


「家督には手を出さぬと誓紙を交わしてもよい。古い権威や血縁を好まぬそなたには、あまり嬉しくないことなのかもしれぬがな」


 信秀さんは気付いていたか。オレが血縁同盟や婚姻外交とか好きじゃないの。武田とか一部の人には通用しないけど、血縁や婚姻って意外に有効なんだよね。


 特に子供ができて当主になったりすれば。


「前向きに考えます。少し時を下さい」


 この場で返事をしてもいいが、エルたちと少し考える時間があってもいいだろう。


 何より戦とか無用な対立を避けたいとの考えからの猶子だからね。もし仮に断るにしても、猶子や縁談に変わる何かしらの関係が必要だろうし。


 ここで断ると子供の代にツケが回る可能性もある。そんな先のことはどうなるかわからないけど、猶子程度ならば受けねばならないんだろうな。


 理想は血縁による政治はなくしたいんだけど。無理だろうな。元の世界でも価値は薄まっても完全になくなりはしなかった慣習だ。


「今後、美濃へ及ぶ我らの力は更に強まるであろう。畿内の争いにいつ巻き込まれるかわからぬ。織田を狙う者が真っ先に目を付けるのは久遠であろう。我が子になればワシも守ってやれるのだ」


 そう。すでに織田家と久遠家は、切り離せないほど密接になってるのは確かだ。伊勢湾から東の対外貿易はウチがほとんど独占している。


 それに一年掛けて作り上げた経済的な勢力圏の維持には、織田家と久遠家が力を合わせるしかない。


「美濃はやはり荒れますか?」


「荒れるであろうな。今日明日ではないにしろ。あのたわけ者の家臣がそなたの奥方と揉めたのもよくなかった。此度こたびは守護様が収められたが、たわけ者はそなたに詫びも入れずに帰ったからな。織田としては今後あやつに甘い顔はできぬ」


 ただ気になるのは信秀さんが美濃をわざわざこの場で口にしたことだ。あの土岐頼芸がそのうち騒いで対立するのはわかりきっているけど。


 原因はリリーの件か。土岐家と織田家の今後にそんなに影響するとは。意外な件が美濃の行く先に影響するね。


「紙芝居、しばらく延期した方がいいですかね?」


「紙芝居? まさかあの件を紙芝居にしたのか?」


「ええ」


 メルティが多色刷りの版画による紙芝居を作ってるんだよね。子供を守る武家と子供を斬ろうとする武家を皮肉った。


 もちろん土岐の名前は出さないよ。さすがにそこまでするのはやりすぎだし。ただし、リリーの件の噂が広がった状況で紙芝居を見れば一目瞭然だろうけど。


「……迷うところだな。所詮、騒ぐのは変わらぬと思うが」


 紙芝居の影響は大きい。信秀さんもあんまり早く土岐頼芸が暴発したら困ると言いたげだ。


 エルは紙芝居で一気に傀儡にしてしまえばいいと言ってるけど。今なら暴発する力もない。


「山城守殿の娘御の輿入れが終わったら出す、心積こころづもりだったんですよ」


「そなたたちも容赦がないな」


 時期は信長さんと濃姫の結婚成立後。道三もどうせもて余すだろうしね。織田と道三で傀儡にする策の予定だったんだけど。


 信秀さんに容赦ないって言われるとは思わなかった。ちゃんと土岐の名前は出さないし、物語としてフィクションにしてるのに。




side:願証寺の僧


「皆に改めて言い渡す。王法為本おうほういほんを忘れてはならぬ」


 尾張からの招きに遣わされた我らが戻ると、上人は主だった者を集め、改めて説法をなさった。理由は尾張にあろう。


 尾張から武芸大会へ招待された時、我らは誰もが織田が自らの力を誇示するための誘いだとおもった。


 とはいえ招かれて理由もなく行かぬのでは角が立つ。上人は自身が信頼する者を中心に尾張に行くように命じた。


 拙僧もその一員として尾張に行ったが、本当に行ってよかったと思う。


 確かに織田の力を誇示していたが、拙僧が考えていたのとはまるで違った。領民が自ら参加し共に武芸大会を観覧するなど誰が考えようか。


 清洲には万を超えるであろう領民が各地から集まり、大湊どころか堺や京の都かと疑うような賑わいであった。


 織田はすでに尾張のみならず、美濃と三河の支配地も十全に自らの領地としておる。本気になれば万の兵を集めるであろう。




「本證寺は来なかったな。あやつらは何を考えておるのだ?」


「何も考えてはおるまい。所詮は三河の田舎者」


 上人の方針に反対の者はいなかった。服部や桑名の二の舞いはごめんだ。


 説法も終わり上人の姿がなくなると、誰からともなく話題になったのは三河の本證寺のことだった。


 僧のひとりやふたり出せばいいものを、誰も来なかったのには驚いた。


「織田の不興を買っては桑名の二の舞ぞ」


「織田もあまり関わりたくないのであろう。誰も話題にも出さなかったからな。しかし危ういな」


 三河では今川と睨みあっておるし松平もおる。織田も本證寺など相手にしたくないのはわかるが……。


「聞けば本證寺の寺領は織田方の領より貧しく、人が逃げ出しておるそうだ」


「織田は例の賦役に本證寺の人は使わぬか。寺領から人が逃げ出すとは、その意味をわからぬのか。連中は?」


「織田は従う者には寛大だが、敵対するような者には冷たい。本證寺は信用されておらぬのであろう」


 誰もが危惧する訳は美濃の斎藤山城守が織田に接近したからであろう。頭の軽い守護はおるが、織田と斎藤が手を組めば織田は三河に専念できる。


 北条とも誼を結び、三河攻めの準備が着々と整っているのがわかるからだ。


 織田が三河を制すれば本證寺のあの態度は問題になろう。


 別に寺領を寄越せと言うておるわけでもあるまいに。何故あのような敵対とも受け取られかねぬことをするのか、皆が理解に苦しむのだ。


「このままでは本證寺が一揆を起こされるぞ?」


「拙僧たちの言葉も聞き流しておるからな。関わりたくもないわ」


 本證寺は武家を甘く見ておるのか? 関東にて一向宗が追放された件を知らぬわけではあるまい。


 加賀とて決して上手くいってるわけではないのだぞ。


 幸いなことは三河で何があろうと、拙僧たちは巻き込まれるおそれがあまりないことか。


 同じ一向宗とはいえ親密なわけでもない。向こうが一揆で荒れようと追放されようと拙僧たちには関係ないことだ。


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