第243話・柳生の現実
side:
「新介様が……こうもあっさりと……」
「南蛮の女は皆これほど強いのか?」
負けた。しかも女に。供の者は驚き南蛮の女は皆が強いのかと口走っておるが違う。この者たちが強いのだ。
「やるねぇ。手合わせが楽しいのは久々だよ」
「セレス殿と同じ流派か」
妖術の類いではない。確固たる
ジュリア殿と言ったか。流派はセレス殿と同じだが、中身は全く違う。戦いを楽しむ
「ああ。そうだね。久遠流武術とでも名乗ろうかね?」
「剣術や槍術ではないのですな」
「生き残るための
太刀より短めの木刀にて、拙者の木刀の攻撃をすべて受け流されてしまった。 おそらく無手でも拙者に勝てるのかもしれぬ。
あの日。拙者は見たのだ。セレス殿が無手にて酒に酔い暴れた狼藉者を叩き伏せる姿を。
最初は後ろで護衛に守られておったが、狼藉者の中に少し腕の立つ者がおった。護衛の者では荷が重いと感じ、拙者も助太刀に入ろうとした時、セレス殿は自ら前に出て無手のまま狼藉者の一太刀をかわすと殺すことなく取り押さえてしまった。
見ておるだけで背筋が寒くなった。間合いも動きも技も見事であった。本来ならばその場で手合わせを願いたかったが、相手が噂の久遠家の奥方なのは容姿から明らかだ。
無礼はできぬと日を改めて一手教授を願うと瞬く間に一手戴いてしまった。更なる修練が積みたく弟子入りを志願すると、意外なことにあっさりと受け入れられた。
それから拙者はセレス殿に稽古をつけてもらったが、一度も勝てたことはない。まさか同じように勝てぬ女がまだおるとは思わなんだがな。
「いいね。あんたのその腕前。修行ついでにウチの若い連中に稽古をつけてやっとくれ。報酬は弾むよ」
「拙者は構いませぬが……」
「強い奴との稽古はいい経験になるからね」
伊勢にもその名が轟いておった久遠家だが、噂の多くは南蛮船と商人としての力であった。
しかし来てみると意外に手練れが多いことに驚かされる。若い者が多いが、才の有りそうな者も多く、他の武家にも決して劣らぬ。
特に関東から戻ってきた者たちには、気になる者が何人もおるほどだ。
「しかし、桑名の牢人にあんたたちみたいな者も居たなんてね。油断できないね。本当」
「関東ではご活躍だったと聞きましたが?」
「アタシを見て鬼だと騒いで、逃げ出した腰抜けが居ただけさ。戦場で冷静さを失うなんて愚かな連中だったよ」
関東と言えば織田家は向こうで里見を相手に大勝したとか。特にジュリア殿は今巴御前と
本音を言えば羨ましい。拙者も剣の腕には自信があったが、世に知られるほどの手柄はなかなか上げられぬ。父は筒井に負けて臣従した。個人の武でできることなど限られておると感じるが故に。
久遠家にあり柳生家に足りぬ物はなんなのであろうか。
ここ久遠家はなにもかもが違う。拙者はここで心身共に鍛え直さねばならぬ。
side:久遠一馬
書類の整理が一段落すると、あちこちに帰還の挨拶に行くことにした。牧場村・工業村・農業試験村はもちろんのこと、蟹江の普請場の視察にも行かなきゃならないしね。
「ここも賑やかになったな」
まずは工業村に足を運んだ。工業村の外にある銭湯街は旅人は元より周囲の領民も集まり賑やかになっている。
内部も高炉に使う鉄鉱石やコークスを運ぶ男たちや、彼らの家族に遊女などの住人で賑わってるね。こっちは新しい反射炉に、以前要望があった祭祀の場となる合同寺社の建築も始まっていた。
工業村の中に寺社が無いことで不便を感じている人が多く、エルとか政秀さんと相談して仏教の宗派とか神社にとらわれない宗教施設を建築してる。
元々神仏混合が進んでる時代だし抵抗があんまりないらしいから、特定の宗派や神社ではなくみんなが使える施設として建築することにしたんだ。
管理はウチでするしかないけど、尾張領内の寺社とは良好な関係だから、信用のおける僧侶や神職を交代で常駐させる方向で話を進めてもらっている。
「殿様だ!」
「おかえりなさい!」
牧場村の方は夏野菜の収穫が終わっていた。この日は領民や子供たちが収穫を終え耕し直した畑に、秋冬用の作物を植えてるみたい。
オレが姿を見せると笑顔で駆け寄ってくる子供たちを見ると、本当に帰ってきたんだなって思う。顔にまで土を付けながらも農作業をしてる子供たちの元気な姿にホッとするね。
そうだ。関東の旅を紙芝居にして見せてあげようか。みんな紙芝居好きだからな。あとでメルティに頼むか。
「おかえり~」
「留守中なんかあった?」
「ううん。ここは平和だったわよ~」
牧場村を任せてるリリーは相変わらずマイペースだ。ウチが管理してる場所だとここが一番安定してるんだよね。
畑にはそろそろ収穫を迎えるさつまいも畑もあって、オレが帰ってきてからみんなで収穫しようと待っていたみたい。
前に運んできたヤギや乳牛も元気で、サイロには冬に備えて牧草が備蓄されている。
「殿様! 戦の話、聞かせて!」
「聞きたい!」
そのうち羊でも運んでこようかと考えてると、子供たちに関東の話をねだられた。一緒に関東に行った人があちこちで話してるみたいで、すっかり話題になってるんだよね。
「じゃあ、休憩にしましょうね~」
「やったー!」
「リリー様ありがとう!!」
うーん。紙芝居にしてあげようかと思ったのに、そこまで待ってくれそうもないな。みんな関東の話が聞きたいのか集まって来ちゃった。
まあ話すのはいいんだが、オレは活躍してないんだよね。命令しただけで。
しかたない。麦茶と肉まんをおやつにしながら、みんなに旅の話をしてあげようか。
ウチの領民の間では里見家は卑怯で情けないとのイメージが定着しそうな気もするけど。まあ、いいか。
――――――――――――――――――
現代において安房里見家は二つのイメージがある。
南総里見八犬伝の題材となった前期里見氏と、織田家による関東天文道中記に記された後期里見氏になる。
南総里見八犬伝に登場する前期里見氏は善良な一族とした勧善懲悪の物語として書かれているため善良なイメージがあるが、関東天文道中記に記された後期里見氏は逆に里見義堯による医聖久遠ケティの誘拐未遂、里見の朝駆けなど愚行を繰り返した卑怯者・愚か者として知られている。
実際、南総里見八犬伝は創作であり事実とは異なるが、創作から生まれた前期里見氏の善良なイメージと、後期里見氏である里見義堯の家督継承に纏わる逸話から久遠ケティの誘拐未遂などによる卑怯者・愚か者という対照的なイメージにより、皮肉なことに戦国史でも有数の名が知られている一族である。
なお、南総里見八犬伝や関東天文道中記が有名になる前の時代では、久遠家が紙芝居やかわら版にて鎌倉沖海戦を伝えていた影響もあり、すでに里見家は卑怯で愚かなうつけとして全国的に有名だったと言われている。
里見の朝駆けという言葉もその当時に生まれたと言われ、一説にはあまりに評判の悪い里見氏を憐れんで南総里見八犬伝が創作されたとも言われるが真相は定かではない。
【里見の朝駆け】
情報収集をろくにせずに目の前の儲け話に飛び付くこと。
対義語【石橋を叩いて渡る】
由来・戦国時代、里見義堯が久遠の黒船を手に入れようと碌に情報収集もせず、援軍が揃うのも待たずに朝駆けを行い大敗を喫した故事から生まれた。
現在の小学校では、必ずこの出来事を子供に教え、物事を実行する前の情報収集の大切さを学ばせている。
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