第239話・北条家の皆さんとの別れ

side:久遠一馬


 関東滞在は瞬く間に過ぎた印象だったな。


 この日オレたちは尾張に帰ることになる。前日にはお別れの宴を開いてくれたし、西堂丸君と幻庵さんや小田原の人たちに見送られてオレたちは出発する。


「関東も悪くなかったな」


 遠ざかる小田原を眺めつつ、信長さんは少し物思いに耽ってるようにも見える。


 史実だと畿内には将軍に謁見するために尾張を統一した頃に行ったらしいが、関東に来たという話はない。


 信長さんに限らない。戦国武将は大半が畿内を中心に見ていて、関東や奥州は田舎や下手をすればオマケ程度の扱いでしかないように思える。もちろん九州、四国、西国を重視してもいない。


 ただ関東はやはり将来性はあると思う。オレたちが見たところもまだまだ開発の余地はあるし、この時代に残る香取の海と数多の河川を治めてできる広い関東平野は将来必ず必要になるはずなんだ。


 船団は一路、伊豆の下田を目指す。


 帰路も沖乗りで行くことになった。帰りは黒潮の流れに逆行することになるので航海日数は二倍から三倍は掛かるだろう。


 何人かはこの世の地獄にでも行くような顔で船に乗り込んでいたけど。船が苦手な人はいつの時代にも居るんだね。でも陸路では行けない。今回も今川が余計なことを言ったらしいから。


里見義堯さとみよしたかがどんな顔をしてるのか、見られなかったのは残念ですね」


「ふん。たわけ者の顔など見る必要はないわ」


 そういえば、里見に関しては誰も彼に協力しなかったらしい。里見は北条包囲網を作りたかったらしいが、肝心の里見が負けたことと、古河公方も河越の戦いの敗戦が尾を引いているのか動かなかったとのこと。


 全く無視されたわけでもないらしいが、里見のために動く気は誰もないらしい。


「意外にしぶといかもしれません。北条家も里見に全力は注げませんので。下総や上総の地盤は失うと思いますが」


 小田原では里見はもう終わりだなんて話も聞かれるが、北条家の優先順位はどうも関東管領の山内上杉らしい。


 北条家の反応と方針に史実の知識からエルが推測したところによると、里見の滅亡までこのまま一気に行くかは微妙みたいだ。


 今のうちに兵を挙げて叩けば滅亡するんだろうが、どうも調略で下総や上総の里見方の国人衆を揺さぶり水軍で圧力を掛ける以上はしないらしい。


 そうしているうちに地震も来るしね。宇宙要塞からの地質観測に予兆が出ているらしい。それに上杉憲政の領地を奪えば謙信が出てくる可能性が高い。



 この数年の間に里見がどれだけ水軍を再建して、勢力を回復できるかがポイントだろう。


「帰ったらまた書類が溜まってるだろうな」


 まあ里見はどうでもいいか。オレの問題は帰ったら溜まりに溜まっている書類の始末だろう。いちいち花押かおうというサインするのめんどいから判子にしたんだけどね。それでも内容の確認は必要だから、大変なのは変わらない。


 山の村はできたかな? そろそろ、椎茸の栽培とか養蚕とか準備しなくちゃならないはずだ。あとは武術大会も稲刈りが終わったらやる予定だったけど、準備はちゃんと進んでいるのだろうか。


 ロボとブランカの散歩も行かなきゃならないしさ。もふもふして一緒に昼寝もしないと駄目だしさ。


 やるべきことが山ほど溜まっている。


 縁談の話はとりあえず保留にした。言いたいことは理解するが、デリケートな問題だけによく考えたい。


「お昼は冷やしうどんにしましょうか」


「いいね。手伝うよ」


 水と食料は小田原で積んだけど、水は下田でも積めるから今日は遠慮しないで水が使える。数年は腐らない水は貴重だからなるべく取っておかないと駄目だけどね。


 相模湾はまだ波もそこまで荒くないし楽でいい。エルがお昼の準備をすると言うから一緒に手伝おう。


 特にすることないけど、昼寝も寝過ぎると夜に眠れなくなるからね。


 デザートにはパンケーキとかどうだろう。




side:北条幻庵


「行ってしまったな」


「はい……」


 帆を張った黒船の一団はあっという間に見えなくなった。


 思えば随分と長い間、共におったことになるな。他国の者とこれほど共に過すのは珍しいことじゃ。少々寂しさが込み上げてくるとはわしも思わなんだな。


 海岸には別れを惜しむ者が集まっておる。薬師の方が治療した者や、共に戦った水軍衆も船で見送りに来たほどだ。


「他国に赴き、別れを惜しまれるような武士となりたいものじゃな」


「はい。大叔父上」


 西堂丸も少し寂しそうであるな。何だかんだと三郎殿と久遠殿とは親しくしておったからの。良いことじゃ。


 気持ちのいい者たちであった。戦ではなく知恵で国を富ませていこうとするとは。誰もがその意味を理解できれば理想とするやもしれぬ。されど実際にできる者はいかほどにおろうか。


「足利のは終わるのかもしれん」


「駿河守殿!?」


「いや、終わらせたほうが良いのかもしれぬ」


 自ら主君を選び仕えられる立場ならば、わしも織田に久遠に仕えてみたいと思わせる者たちであった。


 あの者たちと共におってわしも多くを学んだ。 特に久遠殿は足利家にも幕府にも興味が全くないことには驚いた。むしろ冷ややかな思いがある。わしはそう見る。


 自ら集めた知恵と技を織田にもたらしながらも、それを足利や幕府にもたらして天下を纏めようなどとは全く思うておらぬのは明らかじゃ。


「かつて足利家は、世が荒れた元凶である鎌倉幕府執権、先の北条家を滅ぼした。今また世が荒れた元凶である足利家は、誰かが滅ぼさねばならぬのかもしれぬ」


「駿河守殿。そのようなことを口にされては……」


「構わぬ。年寄りの戯れ言じゃ」


 織田は……、いつの日か足利家と戦わねばならなくなるのやもしれぬ。彼らが望む望まぬに限らずな。


 足利家が全て悪いとは言わぬ。されど日ノ本を治められぬ幕府など害悪でしかないのかもしれぬ。


 さて、そうすると北条の取るべき道は……。


 まずは風魔の扱いから変えるべきか。久遠家の躍進には多くの理由がある。されど甲賀者の忠誠心にも目を見張るものがあった。


 家中には風魔を蔑む者も多いが、これからは何よりも目となり耳となる者が必要じゃ。殿に相談して何とかせねばならぬ。


 里見の二の舞いだけは避けねばならぬからの。




――――――――――――――――――

 天文関東道中記の最後は、北条西堂丸や長綱に見送られながらの出立で締め括られている。


 一行は小田原の人々に惜しまれながら帰ることになったと記されていて、実際に北条側の資料でも別れを惜しむ者が多かったことが記録にある。


 この天文関東道中記は長らく織田家や久遠家関係者が持つのみであったが、北条側の資料からその存在が推測され、両家当主の善意により公開される。その後、現代文訳で出版されると大人気となり、この道中記を基にした歌舞伎や創作物語などが多く生まれることになる。


 久遠ジュリアの八艘跳びや滝川慶次郎の弁慶比肩などの逸話は、歌舞伎や創作の元ネタとして用いられ長く人々に愛されて親しまれていく。


 歴史的に見てもこの時代の道中記は本当に貴重で、資料的な価値も国宝クラスとなっている。


 太田直筆の原本は三冊現存が確認されているが、うち二冊は織田本家と久遠家が今も保有している。


 




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