第238話・久遠家の御家事情と北条家の御家事情

side:久遠一馬


「花火は大成功でしたね」


 戦勝祝いの花火は大成功だった。


 織田は夜空に華を咲かせた。まるで昼のように明るくなったと小田原では大評判になっている。


 北条家の皆さんは主な原材料である火薬の大まかな使用量を教えたら、真顔で青ざめていた人も居たけど。


「贅沢な物ですからな。花火は」


 食べるのに精いっぱいで奪い奪われる世の中で、高価な火薬を大量に使う花火は最高の贅沢品になるのかも。


 花火自体は織田から北条家への友好の贈り物としておいた。本当はあまり軽く見られないためにも用意したんだけど、戦で大勝しちゃったからね。むしろ、軽く見られるどころか、恐れられたかもしれない。


「でもまあ、交易船の税の免除に金銀と銭もくれるとは。北条家は大丈夫かね?」


 そうそう。戦の謝礼は交易船の税を免除することと、金銀と銭もくれることになった。ただ、金銀と銭は今後の交易船の水や食料の費用と修理費などに充てるために、一部を持ち帰る以外は北条家に預ける形となった。


 このあたりは政秀さんが交渉した。あくまでも友好関係の確認と商いの拡大が目的であり一時金が欲しいわけではない。


 あとは伊豆諸島への寄港許可もついでにもらった。水と食料の提供も受けられることになったし、報酬としては悪くないだろう。


 できれば伊豆諸島ならウチが欲しかったんだけどね。あのまま里見の城のひとつやふたつ落とせば交渉もできたんだが。信光さんも言った通りに退き際なんだろう。


「厳しいと思いますよ。帰る前に交易に関する打ち合わせをしておきます。交易が北条領の商いや物作りを圧迫しないようにしませんと」


 金銀なので正確な価値は算定しないと分からないが、鎌倉沖海戦の実費以上にはくれただろう。北条家のプライドもあるんだろうね。安房沿岸での艦砲射撃の実費は織田家でも現状では無理だしね。


 エルと政秀さんは幻庵さんと北条側の担当者を交えて話をして、今後の交易船について話を詰めるみたい。


 当面の交易はウチのガレオン船も出さないと駄目だろう。佐治水軍にも船団を組んでもらうつもりだけど、佐治水軍だけだとまだ不安だしね。


 あとは蝦夷に出してるウチの船を北条領に寄港させて、蝦夷の産物は直接売る方がいいかもしれない。


 尾張への帰還は一週間後を目処にしている。本当は里見の水軍を潰した今のうちに香取神宮とか鹿島神宮に顔を売っておきたいが、秋も近いし戦までしちゃったから、これ以上あちこち刺激するのは止めたほうが無難だろう。


 オレたちは梅酒の作り方を教えたり、明や南蛮に畿内の話をしたりして帰還まで過ごすことになると思う。




「もうすぐ秋だな。牧場と試験村はどうなってるんだろ」


「尾張に行くのではなく帰ると思えるようになりましたね。少し不思議です」


 小田原にはそろそろ秋の気配が見えてきている。


 温泉に行ったし鶴岡八幡宮とか箱根権現とか早雲寺にも行った。楽しかったけど少し尾張が気になり出したし、行くのではなく帰るのだと自然に思えるようになったのが、オレやエルたちにとっては大きな変化になる。


 いつの間にか尾張に来て一年になるんだね。


「ねえ。お清さんと千代女さんのこと。そろそろ嫁ぎ先を考えてあげないと」


 この日は船で人払いをしてエルとメルティと細かな打ち合わせをしていたのだが、一通り話が終わるとメルティは滝川家のお清さんと望月家の千代女さんの話を始めた。


「好きな人とか居ないの?」


「多少好意を持つ相手なら居ると思うわ。例えば旦那様とか」


「オレ?」


「おかしくないわよ。優しくて裕福なんだもの。でもそれを受け入れると今後の血縁外交を断るのが大変になるわ」


 確かにこの時代だとそろそろ結婚適齢期なんだよね。二人とも。


 以前から二人には縁談の話があちこちから来てるけど、ややこしい親戚は要らないし二人のためにもならないから、資清さん、望月さんと話し合って、断っているんだけどさ。


 正直オレとしては家中で好きな相手を見つけてほしいんだけど。結婚の斡旋ってなんか抵抗がある。


「一般論とすれば、二人は互いに滝川家と望月家に嫁がせる方がいいと思うわ」


 この時代でオレが一番嫌いなのは血縁外交かもしれない。女性を駒のように扱うこの習慣が好きじゃない。


 信長さんにもそのあたりは話してる。家族を利用するくらいなら島に帰るって。


 エルたちは将来的に子供を欲しいみたいなんだけど、男の子はいいとしても女の子はいろいろ問題になる可能性がある。もちろん産み分けはできるけどそこまでしたくはない。


 まあ信長さんは好きなようにやればいいとしか言わないけど。オレの気持ちを理解する部分とできない部分があるみたいだ。


 状況がはっきりしないことと、まだ年齢的に早いから避妊して子供ができないようにはしてるけどさ。


「本人たちの意思を聞くのが先じゃないか? オレからするとなるべく家中から選んでほしいけど」


 デリケートな問題だけにメルティもエルも少し困っているのは確かだろう。時代的に自由恋愛が難しいのは理解している。


 でもここまで好きにやってきたんだ。古い習慣を少しでも変えていきたいじゃないか。




side:北条氏康


「殿。今川は里見の話など知らぬと言うておりました」


「元々里見の話に乗る気などなかったのであろう」


 捕らえた里見の兵や武士からはいろいろ面白い話が聞けた。


 上杉や今川に密書を送っておったのは知っておるが、返事も悪くなかったようだ。勝った暁には挙兵するとの話もあったと騒いでおった。


 とはいえ約を交わした誓紙や書状があるわけでもなく口約束でしかない。義元のことだ。初めから里見などに付き合うつもりなどあるまい。


 念のためと釘を刺すために使者を出したが、やはり知らぬと言われて終わりか。まあいい。今川にはこちらが織田と友誼を深めておることを認めさせたようなもの。


「恐らくは南蛮船の力を知りたかったのでは?」


「そうであろうな。うつけがちょうどよく騒いだので適当に合わせた返事をしただけであろう」


 義元が里見にそれなりの返事をしたのは織田の力量を測るためか。あの男の考えそうなことだ。しかし、今ごろ頭を抱えておるのではないか? 織田の力量は測れたが、結果として北条と織田の友誼を深めることの一助となったのだからな。


「それにしても織田には驚きましたな。まさか礼の銭を置いていくとは……」


「だがこれで向こうは銭を持ち歩かずに来られる。悪い話ではないのだろうな」


 そんな義元の上を行くのはやはり織田だ。苦労して先の戦の礼を用意したが、向こうから預けたいと言うてくるとは。


 関東での買い付けや、船の水と食料、時には修理の費用にしたいので預かってほしいと頼まれた。さすがの叔父上も驚いておったな。


 恐らくは気を使ったのだろう。こちらとしても商いの優遇は当然ながら南蛮船の玉薬の実費くらいは出さねばならぬ。しかしあまりに高い礼金を持ち帰れば、友誼に障りが出るかと懸念でもしたのであろう。


 織田とすれば一時の銭より友誼と商いを優先したか。


 下手に気を使ってはこちらの誇りを傷付けることになろうと思うたのであろうが、商いの資金として預けたいと言われれば断れん。船に銭を積まねばより荷を積めるからな。それに、我らがその銭を横領でもしようものなら北条は信用ならぬ者だと大々的に言いふらすであろうからな。


 恐ろしい。他家との交流はこうするのだと教えられておるようではないか。


 儀礼にこだわる体裁ではなく実利で、他家との関係を構築して大きくなる気か。今川が動かぬ訳がわかった気がするわ。


 いったい誰の知恵だ? やはり久遠家の者か? 武士の考えることではない。全てが織田の思惑なのは気になるが、北条としても悪い話ではないので反対する必要もない。いや、反対する必要が無い状況を作り出したこと自体が織田の策なのか。……本当に恐ろしい相手だ。叔父上や西堂丸が織田を格下と見下さぬ理由がようわかったわ。


「そういえば薬師の方は評判ですな。町中にて町人にまで治療を頼まれたら快く引き受けたとか。しかも費用もほとんど受け取らなかったと評判です」


 それと久遠家と言えば薬師殿の評判がまた凄い。


 頼まれると嫌な顔ひとつせずにあちこちに出向き、途中で領民に頼まれると寄り道して治療に行ってしまう。前にも狙われたことだし危ういと警護の者が困っておるくらいだが、本人が行くと言って聞かぬとは。


 聞けば尾張でもよくあることで久遠家の警護の者は慣れておるのだとか。まあかの者の評判が上がるに従い、評判を落とすのは襲った里見なので構わぬのだが。


「やはり駿河守様の見識は確かですな。あの織田を見ればこちらから出向いた価値があるというもの」


 最早家中に織田を侮る者はおるまい。孫九郎など今巴殿に南蛮渡りの武術を習うのだと言っては家中の者を連れ出しておるくらいだ。


 尾張に戻る前に友誼を更に深めねばならぬな。


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