第237話・戦勝の宴

side:上杉憲政うえすぎのりまさ


「里見は負けたか」


「はっ」


「引き分けたとの文が届いたが、ずいぶんと都合良き引き分けだな」


 期待はしておらなんだが、伊勢に痛手を与えることもできんとは。そもそも、あやつも里見を名乗っておるが、素性が怪しいのは皆が知っておること。そういう意味では安房の里見は伊勢と変わらん。


 そもそも小弓公方を伊勢狙いの矢面として利用するだけ利用して、見殺しにした奴に誰が期待しようか。


 奴からは引き分けたので挙兵を、と促す文が届いたが、物見に出した者の話では噂の織田の黒船と三浦水軍に散々にやられただけだと言うではないか。


「南蛮船を手に入れ、伊勢を叩くと言っておったのに、伊勢に余計な勝ちを与えただけではないか」


 里見め。織田と伊勢を近付けるような真似をしおって。


「殿。挙兵はいかがしましょう」


「やめじゃ。伊勢の矛先が里見に向くなら問題ない」


 伊勢が大敗でもすれば挙兵も考えておったが、これでは戦などできぬわ。


  伊勢が里見と争うておる間にこちらは態勢を立て直さねばならぬ。河越と信濃と負けが続いておるからな。


「それにしても斯波は何を考えておるのだ? 臣下を押さえることもできんのか?」


「殿。斯波はすでに名ばかりの守護でございます。尾張は最早織田の領地となっておりますれば」


「嘆かわしい。かつては三管領の一家であった斯波武衛家が、臣下の傀儡とは」


 そもそも織田は何をしに関東に来たのだ? 伊勢と同盟でも結ぶ気か?


 挨拶にでも来るかと待っておったが、来る様子もなく里見と戦をするとは。


 まあ、織田も斯波もいかようでもいい。


 里見は滑稽よな。あちこちに威勢のいい文を出しておきながら散々に敗れるとは。そのうえで引き分けたなどと嘘を重ねて、わしを自らの手駒にでもする気か?


 古河公方や今川にも文を出したようだが、誰も動くまい。


 伊勢がこれ以上大きくなるのは困るが、水軍を失うほどの大敗を喫した里見に味方するなど誰もせんであろう。




side:久遠一馬


 宴会は賑やかなものになった。里見水軍にはやはり悩まされていたようだ。


 互いに相手の領地を襲い略奪を繰り返してたようだが、里見水軍の方が上手だったみたい。ズル賢さというかゲリラ戦は向こうの方が上かな?


 憎しみの連鎖を止めるべきなんて綺麗事を言う気は更々ないけど、無いなら他から奪えばいいという戦国クオリティを変えなきゃ、関東も本当の意味で統一は無理かもしれないって思う。


「いつもと味が全く違いますな」


「これは美味い。よう味が染みておるわ」


「このような味の煮物があったとは……」


 今回も料理はウチで習った人が作ったみたい。ちゃんとダシを取って灰汁あくを取り除くとかしてるし、砂糖とみりんも使ってる。


 砂糖とみりんは控えめだけど、この時代の料理にしては格別の味だろう。歓迎の宴に呼ばれてなかった北条家の皆さんは驚きや喜びながらも味わってるね。


 これが数多の料理人の感性や積み重ねを経て、いつか史実の関東風の味に近いものになっていくのかと思うと感慨深いものがある。ただ京風だけは元の世界と違って残らないかもしれないな、完成昇華した味を尾張に持ち込んじゃったから。


「しかし、これで背後を気にしなくて良くなった」


「上杉も胆を冷やしておろう」


 北条のこれからについては各々で意見はあるらしいが、義堯にとって幸か不幸か、北条にとっては里見よりも敵は関東管領の上杉らしい。


 まあ放置はしないだろうが、調略と水軍で当面は弱体化をさせるような話を宴会に参加した家臣の人たちがしている。


「そういえば、そろそろかの?」


「はい。そうですね」


 さて、宴会を盛り上げる余興にと持参した花火を打ち上げることにした。


 今回の戦勝の宴には北条に臣従する国人も集まっているらしく、初日に歓迎の宴を開いてくれた時より圧倒的に人数が多い。どうもオレたちの来るのが早すぎて集められなかったみたいだね。仕方ないよね。元の世界では関東平野と言うけど、戦国期の関東は河川かせん湖沼こしょう葦原あしはらが大半をおおっているから、普段の交通は小舟が基本と言っても過言じゃないんだ。


 花火に関しては当然ながら事前に氏康さんの許可を取り、告知をしているし、小田原の町人にも予定時刻には海側の夜空を見るようにと触れを出したようだ。


 宴会をしている部屋の外側の格子遣り戸と内側のこの時代では高価な障子しょうじが開けられると、外から涼しい風が入ってくる。いつの間にか夜風が冷たくなったな。


 秋の気配がすぐ近くまで来ているのをひしひしと感じる。お酒もだいぶ入り騒がしかった宴の席が、驚くほど静かになっちゃった。


 その瞬間だった、一筋の光が空へと駆け昇る。


「……おおっ!!」


「これは……」


「本当にこれが人の成したことなのか?」


 一瞬で花開くように咲き誇り消えていく花火の美しさに、酒の入った盃を落とした人もいるみたい。


 氏康さんも幻庵さんも西堂丸君も言葉なく、ただ夜空を見つめたまま固まっている。


「やはり花火は、いいものだな」


 花火は事前に告知した。それでも固まるだけのインパクトがあるのだろう。さすがに織田のみんなは二度目だから落ち着いている。


 信長さんはそんな北条家の人たちを見ながら、一瞬してやったり顔をした後に静かに花火を眺めていた。


 夜空に咲く花火に小田原の人たちが何を思うのか楽しみだ。


 願わくば戦で火薬を使うのではなく、花火で火薬を使う時代を目指してほしい。




――――――――――――――――――

 小田原花火大会は、天文17年に小田原を訪れた織田信長が小田原にて花火を打ち上げたことを記念して、近代になり行われるようになった花火大会である。


 本来は友好のために久遠一馬が持参した花火であったようだが、予期せぬ里見との海戦で戦勝の祝いに打ち上げることにしたと記録されている。


 北条氏康から小田原の庶民に至るまで一様に驚き、戦勝の祝いに大きな華を添えたと天文関東道中記にはある。


 織田の黒船と言われた南蛮船の力と、花火による文化的なサプライズは北条家に多大な影響を与えたと言われ、関東にも大きな影響を与えることになる。



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