第221話・礼砲

side:久遠一馬


 翌日はいよいよ小田原に出発だ。ここからは効率を重視しないで沿岸を北条水軍の先導に従い移動する。こちらの巡航速度に向こうが付いてこられないから仕方ない。


 外海での船酔い地獄を経験したみなさんはホッとしているみたいだね。


 小田原城は戦国時代でも屈指の名城だろう。秀吉の小田原攻めの際には町を囲む総構えにて、全長九キロにも及ぶ土塁どるい空堀からぼりを作ったのは有名だ。


 謙信や信玄も落とせなかったのか落とす気を無くすほど堅固だったのかは分からないが、史実では結果として籠城して撃退に成功した城になる。


 まあその成功体験が、秀吉に対しても籠城を選択するという過ちに繋がった気はするけど。


 現状ではそこまで改築はしてないだろうが、海に面している城と城下町としての価値は高いだろう。尤も港らしい港はないみたいだけどね。


 この時代だと天然の地形を利用した港が大半で、わざわざ港を作るなんて滅多にしないみたいだからなぁ。




「見えてきましたな」


「おお! やっと着いたか!」


 この日のうちに小田原に着くことができたみたいだ。町が見えると喜びの声が上がる。


 うーん。明らかに船から降りることを喜んでる人が居るね。帰りは船が苦手な人は陸路にした方がいいかな? とはいえ『船が苦手だから陸路を』とは言えないだろうなぁ。


「しかし、本当によろしいのですか?」


「殿には許可を頂いておりますので御心配なく」


 あまり陸地に近付き過ぎるとウチの船は座礁すると、表向きには言ってあるので、浅くなった浜辺からは離れた場所にガレオン船とキャラベル船を停泊させると、幻庵さんからとんでもない提案をされる。


「ちょうどよい余興ではないか」


「そうだな。ただ黒いだけだと思われても面白くない」


 信長さんと信光さんは賛成か。信安さん政秀さんは無言だ。反対はしないが賛成とまでは言えないのかも。


「分かりました。若様」


 失敗だったかも。船の中で信長さんたちや幻庵さんに、空砲を撃ち、って礼砲にする話をつい口を滑らせてしまったんだよね。


 さすがにこの時代にはない。久遠家では長い航海から戻ると空砲を撃って無事に帰還したと知らせる習慣があると辻褄を合わせた。


 撃つのはガレオン船とキャラベル船だけじゃない。佐治水軍にも抱え大筒や鉄砲を撃たせることにしてる。これは信長さんと信光さんのアイデアだ。やるなら派手にやろうと言い出したんだよね。


「よし。礼砲用意。 ……撃て!」


 号令をかけるのは信長さんの役目だ。指揮系統ははっきりさせておかないとね。信長さんたちだけじゃない。佐治水軍のみんなもやる気になってる。


 タイミング合うかな?




「おお! なんたる迫力!」


「これが南蛮船の力か……」


 間近に居たからか大気を揺らすほどの轟音が響いた。


 織田側の人でさえ大砲の発射音を聞くのは初めての人もいる。清洲攻略の時は参陣してなかったり、臣従してなかった人たちだろう。佐治水軍は服部友貞との夜間海戦の際にセレスが空砲を撃ったので知っているけど。


 先に知らせの使者を上陸させて、許可を取ったみたいだけど……。大丈夫かな? 史実の黒船みたいな騒ぎは要らないよね。




side:北条氏康


「なっ……なんたる轟音か……」


「これほどとは……」


 西堂丸と叔父上を出迎えるついでに、織田の一行も出迎えようと海に来たが、叔父上から南蛮船の砲を撃たせてみたいとの使者が来るとは。


 南蛮船の持ち主である久遠の習わしだと言われると駄目だとも言いにくい。


 それに国人衆や関東全域に南蛮船の噂を広めたからな。予想より到着がかなり早く、まだ多くは集まってはおらぬが皆が注目しておるはずだ。


 その力。見せてくれるならばと喜んで許可を出したが。予想以上の武威であった。小田原の町中に響き渡ったであろう。事情を知らぬ者たちには、すまぬことをしたかもしれん。


「とんでもない船を連れてきましたな」


「左様。あれほど大型の船は我らには作れませぬ」


 しかり。砲の音だけではない。特に一番大きな船は関東には存在せぬ大きさだ。これでまだ船足が遅いならば敵ではないが、叔父上の寄越した使者の話と実際に到着した日にちを考えると驚くべき速さで来たことになる。


「伊勢の海の水軍衆が大人しくなるわけですな」


 正直なところ家中には、織田のことを軽く見る者も少なくなかった。


 斯波の家臣に名を連ねておったのは知る者もおるし、尾張の虎はそれなりの者は知っておろう。しかし、所詮は守護代家でもない分際とそしる者が出るのは仕方のないことだ。


 まして久遠など誰も聞いたこともない新参者の商人と思うておったからな。


 黒船の数は十隻。あれが全てではあるまい。それに叔父上の文には佐治水軍の船も六隻含むと記してあった。


 恐ろしい。織田が海から力を得て大きくなったのもよくわかるというものだ。


「織田は関東での商いを増やしたいのでしょう。これは是非とも当家で仕切り、商いの取り引きを増やさねば」


 しかり。織田の狙いは今川の牽制と商いの拡大。言われなくとも分かる。だが商いの拡大は当家が得るものも多い。


 難所ばかりで、わずかな商人の船しか来ぬ関東に、尾張からの船が増えれば、今までは今川や武田の顔色を伺いつつあがなっておった物も手に入りやすくなる。


 織田は今川とも取り引きをして三河で優位に動いておるようだしな。今度は織田の顔色を窺わねばならぬが、選ぶ伝手は多い方がいいのは明らかだ。


「あの船。欲しいな」


「さすがに無理でございましょう。同盟でも結べば、もしやはありまするが……」


 南蛮船は無理でも佐治水軍の使っておる船くらいならば、我らでも造れるのではないか? よく見ると形が我らの船と近い船があるではないか。


 だがあの船は織田の力の源泉。そう簡単に他所には出さぬか。


 懸念は武田と今川だな。今川は確実に不満に思うであろうし、和睦をしたばかりゆえ、いかに動くかわからん。それに今川に敵する同盟だと思われれば和睦を仲介した武田の顔を潰すことになりかねん。


 関東管領がせっかく信濃に介入致したことで、上杉と武田が敵対致したのだ。こちらは武田を敵に回したくはない。


 まあよい。織田の一行を見極めてから改めて考えることとするか。




――――――――――――――――――

 礼砲。


 現在、日本圏にて行われている礼砲は、久遠家が長い航海から帰還したことを祝い、空砲を撃ったのが元祖と言われている。


 日本での礼砲の最古の記録は、織田の黒船船団が小田原に到着した際に、送り届けた北条の使節団の帰還を祝い撃ったのが最初である。


 これは天文関東道中記にも北条家の資料にも記されていて、快晴の空に織田は雷様を呼んだと小田原から関東や奥州にまで噂が広がったと伝わる。


 なお、欧州では久遠家は東ローマ帝国の末裔だとの説などが割と信じられていて、礼砲も元祖は欧州だとの説がある。しかし当時の欧州の資料には一切記載がなく、日本圏では久遠家の東ローマ帝国説を否定しているので礼砲の元祖に関しては議論すらされてない。


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