第220話・関東副将軍
side:大湊の会合衆
十隻の黒い南蛮船が関東に行った。六隻は佐治水軍の船らしいが。少し前から噂になっていた佐治水軍の南蛮船がもう使えるとは……。
やはり伊勢の海の水軍で織田は頭一つ以上抜けたな。佐治水軍は久遠の援助で鉄砲や焙烙玉も潤沢にあると聞く。
久遠も本領からすぐに四隻も船を呼んだようなので、相当な余力があるということだろう。
「それにしても桑名はいったいどうしたというのだ?」
「まさか織田が攻めてくると騒ぐとはな」
「怖いものだな。明日は我が身だ」
まあ織田はいい。先日も関東に行く際には大湊に寄ったほどなのだ。良好な関係を築けているのだからな。
問題は桑名だ。桑名は気でも狂ったのかと本気で心配したくなる状況だ。願証寺は元より北伊勢の国人衆や六角どころか、北畠など伊勢の勢力にあちこち声をかけた結果、大恥を晒した。
さすがに六角や北畠は動かなかったが、北伊勢の国人衆の中には戦かと準備をした者も居たとか。
恥さらしだと切り捨てるのは簡単だ。だが奴らには奴らの考えがありそれなりに確信もあったはずだ。
「幾ばくかの者はすでに桑名を離れている。織田も桑名を優遇することは二度とあるまい」
大人しくしておれば、頃合いを見計らい和睦の道もあったであろうに。今回の件で、桑名が織田に刃向かうのだということを、改めて証明してしまった。
蟹江の港ができれば商いはそちらが主流になるであろう。桑名は熱田か蟹江から船で乗り継ぎ、東海道を行く宿場町として生き残るしかあるまい。
それでも、桑名が北伊勢の一番の町であることは確かだ。織田ばかりを見ずに北伊勢との連なりと商いを模索すれば良かったものを。
「一度得た自らの立場と富を手放したくはなかったのであろう」
織田と久遠も落ちる時が来るやもしれぬ。だが、当分はあり得ぬだろう。久遠の支援無しに南蛮船を造る技術と沖に出る技術を他の水軍が獲得し、交易を始められるようになるまでには数十年はかかるだろう。
久遠とてそれは承知のはず。他が久遠の交易を真似て物にする頃には、久遠は更に大きくなっているのやもしれぬ。
桑名は……、我慢できなかったのであろうな。
格下であった尾張の織田や新参者の久遠に商いを奪われるのが。
「とはいえ武家に商いをするなと、言える立場でもないからな」
そうだ。武家であれ寺社であれ、商いが利になると知れば利を手に入れようとする。自然なことだ。
織田と久遠が他所と違うのは、商人を使い銭だけを巻き上げるのではなく、直接自分たちで商いをすることだろう。
我ら商人は困るが、向こうからすれば当然のことであろうな。
「幕府も現状はあれだからな」
本来ならば幕府が日ノ本を治めるはずが、応仁の乱以降、幕府の威光は畿内から出ればあってないようなものだ。
「桑名を無視して目の前を悠々と走りゆく黒船を見て、桑名から逃げ出す商人が更に増えたのは当然だな」
「集めた牢人が不満で暴れていると聞く。久遠の船には富が山ほどあると。煽り立てて集めた牢人だからな」
現状の桑名は、商人が逃げ出し牢人が暴れている、最悪の状況らしい。
さて、あとは願証寺がいつ痺れを切らすかだな。これ以上の混乱は願証寺としても困るであろう。
「やつらのせいで伊勢商人は欲張りで信用ならんと笑われておるぞ!」
「構うな。我らとは関係ない」
困るのは我らも同じか。諸国からは同じ伊勢商人と見られるからな。とはいえ関わってもいいことなど何一つない。
本当に困ったことばかりしてくれるわ。
side:
「噂の南蛮船か」
「はっ」
夏も終わろうかという頃。相模より面白い噂が流れてきた。
長綱めが同盟相手を探して尾張に行ったと。関東では伊勢の輩は余所者。心から臣従しておる者などおるまい。
同盟相手は甲斐の武田など関東の者ではないか、関東でも渋々従う者のみ。同盟を結ぶ相手にも事欠き、尾張まで行ったのだと笑っておったのだがな。
風向きが少し変わったか。長綱めを送るために尾張の織田が南蛮船を出したと噂が流れてきた。まさか伊勢の輩と同盟を結ぶ気か?
河越城では関東諸将が氏康の卑劣な手に後れを取ったが、関東では伊勢の輩は未だ余所者だぞ。
そもそも織田などどこの馬の骨か知らぬが。
「殿。いかが致しますか?」
南蛮船など恐るるに足らぬ。我らは伊勢の海で腑抜けておる軟弱な水軍と違うのだ。一気に叩いても構わぬが。
「しばし様子を見られてはいかがでしょう。向こうから挨拶に来ぬとも限りませぬ」
「雷を喚ぶ金色砲か。下らぬ噂を流されて信じるほど坂東武者は甘くはないわ! 沈めてしまえばいい。伊勢の輩と誼を結ぶ者がどうなるか見せてくれようぞ!」
家中の意見は割れたか。どうも織田の噂は誇張された嘘ばかりに思えるからな。
飢える者には施しを与え、病の者には薬を与える。戦になれば雷を喚び、瞬く間に城を落とすなどと下らぬ噂を広めおって。
とはいえ尾張からは貴重な酒や食べ物に、絹などが入ってきておる。献上品を持ってくる商人とでも思い、使うのも悪くはないか。
「討つのは帰りでも良かろう。こちらに挨拶に来ればよし。来ぬならば討てばいい。関東の海を誰が制しておるか見せてやるわ」
できれば噂の南蛮船が欲しいな。上手く手に入れられぬものか。挨拶に来ればそのまま召し上げればいいか。
来ぬならば一戦交えて奪うのみ。我らが南蛮船を手に入れて、明や南蛮と商いをすれば、伊勢の輩など一捻りよ。
「誰か物見を相模に送れ。南蛮船がいかなる船か見て参れ」
「はっ! ではさっそく」
伊勢の輩の水軍など物の数ではないわ。いくら南蛮船とて地の利はこちらにあるのだ。大型の船ならば小早で一気に距離を詰めれば楽勝であろうな。
伊勢の輩ごときに騙され負けた古河公方と関東管領も落ち目だ。上手くいけば、我が里見が海から関東を制することも、叶わぬではないかもしれぬ。
ふふふ。運が回ってきたな。
side:久遠一馬
下田は町というよりは漁村に近いところみたいだ。西から来る船がここに立ち寄るのは江戸時代とそう変わらないようだけど、生憎と船が江戸時代と比較しても発達してないから、立ち寄る船はそう多くはないみたい。
他にも水軍と各地の土着勢力が好き勝手に税を取る影響で交易も楽じゃないからだろうね。
「そういえば北条家は里見と争ってるんだっけ?」
「そのようですな。現当主は
下田の湊の地形と立地はいい。もう少し整備して流通の拠点にしたらいいと思うが、ここから少し行った
史実では謙信なんかと組んで最後まで北条と敵対していた大名だ。無能でもないんだろうけど、強いのか弱いのかよく分からないとこだね。水軍が結構強いのは有名か。
一益さんに忍び衆が調べた情報を聞くが、概ね史実通りかね。
「関東は足利家と管領の上杉家の内紛が大半の争いの元凶ですからな」
現状でオレたちが気を付けるべきなのは里見に近い海賊の襲撃だ。いろいろ原因や因果はあるんだろうが、争いの元凶は足利家の御家芸である内輪揉めか。
なんでみんな足利家を担ごうとするんだろうね。オレには理解できない。この時代だと朝廷はほんと空気みたいに存在感がないしさ。まぁ、朝廷に存在感が無いことが戦国時代を生き残れた理由なんだから、一概に悪いとも言えないけど。
「あまり心配は要らぬでしょう。明日からは北条水軍が付くようですしな」
オレたちの船は明日からは北条水軍の案内で小田原を目指すことになった。慣れない海域だしね。その方が安全だ。まあ、実際は織田がお客さんになったから好き勝手は駄目だということだろう。
ちなみに下田と言えば金目鯛だよね。夕食に期待したけど無かった。エルいわく金目鯛が名物になるのはずいぶん未来の話みたいだ。
あれ深海魚の一種みたいで、この時代の沿岸漁業だとまず捕れないんだとか。しかも、時代的に淡白な魚が好まれるからなぁ。捕れても下魚で嫌われて終わりらしい。残念。
「小田原かぁ。どんな町かな」
「大きな港はないようですね。そもそも北条家は現状では水軍が強くなくて、史実では紀州出身の
「へぇ。名前だけはなんとか知ってるけど」
「私たちと同業と言っても差し支えないかと。武装商人のようですからね。この時代ではまだ仕官はしてませんが、紀州から関東に荷を運んでいるようです」
夜が更けるとあてがわれた寝所で明日以降の打ち合わせをしなくてはならない。もちろん聞き耳を立ててる者が居ないのを確認してからだけど。
北条家は水軍にあまり力を入れてないのか。
「戦のメインは陸上ですからね。しかもこの時代の城は山城が多く、海運は遠州灘などの難所のせいで多くありません。水軍は主に里見家と江戸湾近隣の水軍を相手にするしか役割がありませんので」
うーん。関東はどうしようね。史実同様に争わせて時間を稼ぐか北条に協力して東の守りを期待するか。
「現状では多少支援しても、そこまで大きな影響はありませんよ。越後の長尾家がそう簡単に弱体化するわけではありませんので」
ただあれだよね。織田による天下統一を目指すにしても味方は増やしていかなきゃだめだよなぁ。どっかのゲームじゃあるまいし大名を根こそぎ滅ぼして統一なんて現実的じゃない。
でも、史実の江戸幕府よりは中央集権にしたいんだよね。ただ、北条家は残してもいい気もする。少なくとも史実の越後長尾、後の越後上杉を見るとあそこを残してもあまり役に立たない気もするし。
まあ、氏康さんと会ってからだね。歓迎されてるか分からないしさ。
ところでケティさんや。エルたちのスタイルを羨ましげに見つめて不満そうにするのいい加減に止めなさい。エルたちが困ってるじゃないか。
ちゃんと平等に接しているでしょ?
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