第217話・大海原の旅

side:久遠一馬


 大湊に一泊して二日目。船はいよいよ大海原へと進む。さすがに沖に出ると結構な波があるね。


 太平洋西部域を南から北に流れている黒潮に乗るには、紀州の潮岬よりも沖に出る必要がある。


「孫三郎様。大丈夫ですか?」


「この程度の揺れなど心地いいくらいだ!」


 やっぱり今日になると船酔いをしてる人がちらほらと出ているけど、人一倍元気なのは信光さんだ。たださすがに今日はマストに登るのは遠慮してもらっている。


 帆掛け舟とは違う帆船の常識としてマストや帆の回りは素人が触れるのは危険だと昨日の夕食の時に説明したんだ。幸いなことに佐治さんも同意してくれて、波が穏やかな内海だから昨日は練習として登ったと言ってくれた。


 ただ信光さんは海が好きなようで、今日は命綱を着けてまで甲板で海を眺めている。


「昔は津島や熱田に行ってよく船を眺めておったものだ。幼少の頃は水軍の長になりたかったくらいだからな」


「そうだったのですか」


「あの頃は織田も小さくてな……。まさか織田弾正忠家が尾張を統べるとは思いもしなかった。父上に水軍の長になりたいと言ったら笑われてな」


 見えるのは四方の海と空だけ。陸地が見えないことに不安そうな人も居るのに信光さんは楽しそうだ。


 船と波がぶつかる音をBGMに信光さんは昔話を聞かせてくれた。まだ先代の信定のぶさださんが生きていた頃の話だから貴重だ。多分歴史には残らないような話だと思う。


「今の津島や熱田、そして尾張の賑わいを父上が見たら、さぞ喜んだであろうな」


 そうだよね。織田の基礎を作ったのは信長さんの祖父の信定さんだ。それを信秀さんが育てたから今がある。苦労を知る信光さんからすると、こうして尾張を代表して関東に行くのも感慨深いものがあるんだろう。




「さすがに久遠家の者はみな元気ですな」


 そのまま無言で海を眺める信光さんと別れ、船の中に戻ると、こっちではまた信長さんがトランプやってるよ。暇なのもあるんだろうが。駆け引きとか楽しんでるのもあるみたい。


 他にはメルティが鉛筆で絵を描いていて、幻庵さんと慶次が隣で教わりながら一緒に描いている。


 好奇心が強いんだよね。幻庵さんも慶次も。題材はトランプをする信長さんたちか。絵を描くのはいいけど頼むから後世に残さないでね。


 あとはケティは本を読んでるし、エルは冬に向けて編み物をしている。尾張も冬は寒いからね。エルはみんなにマフラーを配ろうと編み始めたんだ。


「今日はまだ波は穏やかな方ですよ」


 ちなみに船の中では、ランタンというかカンテラというかオイルの照明を使っている。明かりとりの窓はあるけど船だからそんなに大きくないし、やっぱり船室は照明がないと暗いからね。


 落としても簡単に壊れないように頑丈に作ったみたい。船だと揺れるから火気の物って危ないからね。ウチの船は耐火コーティングしてるけど。


「しかし、こうして陸地が見えぬ海を船で走るとは……。南蛮人は勇敢なのですな」


「勇敢ですか。確かにそうかもしれません。ただ、目的は富を得ることや領地を得ることです。やってることは日ノ本の者が戦に行くのとあまり変わりませんよ」


 ああ、佐治さんも元気だ。黒潮やこの時期に吹く南からの風などの説明を受けて、海図や羅針盤を見ながら沖乗りの実習として、学ぼうとしている。


 佐治水軍の船に合わせて航行しているが、あちらも今のところ順調だ。佐治さんいわく『見える範囲にウチの船がある』のが安心できていいんだそうだ。


「やはり日ノ本には外海に出る水軍が必要だな」


「……三郎殿は日ノ本のことを考えておられるので?」


「地球儀と言うたか。あの丸い大地を見れば駿河守殿も考えるであろう。日ノ本の外には数多の国があるのだ。内輪で争う間に攻められでもしたらいかがするのだ?」


「それは確かに懸念されますな。しかし過去の先例からも日ノ本の武士ならば負けぬのではないですかな?」


「戦で勝つより戦になる前に勝つ方が良かろう。織田はかずにそう学んだ」


 南蛮人を勇敢だと語る佐治さんにオレは南蛮人の主要な目的を語るが、それに反応した信長さんと幻庵さんが日ノ本について語り出した。


 信長さんは明らかに変わった。戦で勝つのは元より、戦になる前にいかに勝つか。それを考えていると公言するほどに。


 史実の織田信長は父信秀公亡き後に、苦労して失敗もしながら学び成長したはずなんだ。その証拠に尾張統一と美濃併合に長い年月をかけている。


 史実の織田信長が日ノ本の未来を考えるようになったのはいつなんだろうか。


 幻庵さんの目は真剣だ。信長さんを見極めようとしているんだろう。


 オレたちのせいで史実より更に合理的な考えになっちゃったんだよね。海や海外に興味を抱いた分だけ幕府や畿内への興味は薄いのかもしれない。





side:佐治水軍の船乗り


 周りは見渡す限りの海だ。とうとう陸地が見えなくなった。お天道様と羅針盤と海図とかいう地図を見ながらひたすら船を走らせるしかない。


 ただ、海では黒い船体に白い帆はよく見える。特に久遠様の船が見える限りは心配ないって思える。


 まるで嵐の日の時化しけのように波が高く船が揺れるが、まだ今日は穏やからしい。久遠様たちはこんな中で船を走らせていたんだな。


 操船方法は今まで訓練してきたものと変わらない。かしらは海の地図を見ながらあたまを抱えていたけど。慣れれば大丈夫だって言われた。


「おーい。飯だ」


 そういや飯の食い方も沖に出る時は変わるらしい。先に一人が毒見役として飯を食って、しばらくしたらみんなが交代で食うのが習わしなんだと。まるで身分の高えお武家さんみてえな食い方だ。


 昨日は久遠様の用意してくれた弁当だから良かったが、みんなで腹を壊さないように、そうするんだって。いろいろ考えてるんだって感心しちまったよ。


「今日も白い飯があるのか」


 今回の道中の飯は久遠様が用意してくれた物だ。ほしいで作った雑炊に、梅干しと炙った魚の干物。それと酢漬けまであるじゃねえか。


 船ん中でも安心して使える火鉢を、久遠様より頂いたみたいで、それで作ったらしい。


 長え航海だと水の確保が難しいのだと言われた。普通の水だと何日もしねえうちに腐るんだと。久遠様は長持ちする霊水と普通の水を使い分けてるようで、うちにも今回は帰りの分の霊水を分けてくれた。


 ただ、やっぱり水は貴重らしく、金色酒を水の代わりにと積んだみたいだ。雑炊も海の塩水を水で薄めて作ったらしいが、干した野菜も入ってるし味はまずまずだな。しかし、あの金色酒より水が貴重なのかね?


 俺たちからすると梅干しも安くねえんだけどな。酢漬けも美味えな。


「おい、あのみかんの砂糖漬けはねえのか?」


「明後日だ。それにあれは普通じゃ銭出しても買えねえもんだからな。帰りの分も残さなきゃなんねえ」


 まあ一番驚いたのは、初めて見た透き通った壺に入ってたみかんの砂糖漬けだ。


 まさかあんなものがこの世にあるとはなぁ。織田のお殿様にもまだ献上してねえ代物らしい。昨日の夕飯で試しに少しずつ食ったが、あまりの甘さと美味さに言葉が出なかった。


 砂糖が貴重なのは俺にも分かる。あの透けてる壺だってそうだろう。


「明日くらいにはもっと波が高くなって、雑炊も作れねえかもしれんらしいから感謝して食えよ」


 今日はまだ雑炊を作れたらしいが、明日になるとそれも難しいのか。でも糒はあるし見たことねえビスケットとかいう物もある。何より食えるだけで俺たちは満足なんだがな。


 近頃は久遠様の仕事で飯が食えるようになったが、俺たちの村は米もあまり作れねえからな。米があるだけでご馳走だ。


 魚ですら久遠様から頂いた大きな網で、今じゃ余るほど捕れるから食えるようになったが、そん前は貧しくて魚すら食えない奴も居たんだ。


 久遠様は俺たちに北条との交易船を任せたいと言ってたらしい。


 遠方行きの船は久遠様が出しているが、さすがに近場にまでは手が回らないんだとか。関東が近場ってんだから凄えよな。


 これからは、俺たちがあちこちに荷を運ぶようになるのかもな。




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