第218話・洋上の夜

side:山科言継やましなときつぐ


内蔵頭くらのかみよ。また織田か?」


「はっ。季節の挨拶とのこと」


「伊勢の神宮からも良しなにと知らせが届いたが……」


 織田から季節の挨拶として酒や食べ物に絹織物や白粉おしろいなどが届いた。春に持参したばかりの織田が今度は商人を介して荷だけ贈ってくるとは。


 しかも、伊勢の神宮にまで寄進と珍しき奉納品と供物を納めたと言うのだから、主上も気にしておられる。神宮の現状にはだいぶ御心を痛めておられたからの。


 前回の献上品はことのほか評判であった。主上は金色酒を大層気お気に召されておられた。それに白粉や絹織物ですら貴重で皆に下げ渡されたほどだ。


 清廉をむねとされる主上はあまり狙いが透けて見える献金は好まれぬが、狙いが分からぬのもまた気になるのが本音であろう。


われに届いた文によれば南蛮の坊主には気を付けるように書かれておりました。近年には日ノ本に近きところまで来ておるとか。かの者たちは日ノ本の神や仏を決して認めず、己の信じる神でなくば神ではないとまで語るとか……」


「真か?」


「明の者に問うたところ似たようなことを語っておりました」


 ただ、織田からは相変わらず官位の打診はない。すでに三河守に叙してはおるが、表向きは幕府の守護殿の臣下だ。そう軽々と自分だけ昇位をと言いにくいのかもしれぬが。


 挨拶状代わりに送られてきた書状には日ノ本の外の話が書かれておった。南蛮の坊主の危うさと、背後には南蛮の国が銭や軍を出しておるとの噂があるらしい。


 念のため顔見知りの明の商人にも確かめもした。その商人は、直接は知らぬとのことだが似たような噂はあるようで、南蛮の商人も厄介な者共なのは確かだと言うておった。


「そのような者共がおるとは……」


「日ノ本の外もなかなか大変なようでございます」


 ただ、明の商人はそこまで危ういとの認識はしておらぬ様で、織田の文にも気を付けるようにと書いておるだけなので、直接の障りはあまりないのかもしれんな。何も知らずに対応するは危ういという程度の認識なのかもしれんな。


「織田三河守は仏と噂されておるというのは真か?」


「はっ。真のようでございます。領民を飢えさせぬように取り計らっておるとのこと。更に病の際には手厚く治療もしておるようでございます」


「……武家にもそのような者がおるのだな」


 武家に限らぬ。幕府や寺社ですら武力による戦に明け暮れる昨今に、織田のような者は確かに珍しいのかもしれぬな。


 そろそろ新たな官位でもと思うが、他は武家の方から官位が欲しいと打診があるが織田からはない。現状で織田は上手くいっておるのでそれほど官位が必要ではないのか。


 主上も少し考え込まれておられるようだ。幕府や大樹には必ずしも勤皇の志があるとは思えぬ。かといって現状では何もできぬのが歯痒いのであられような。


 無論のこと織田だけが特別良いとまでは思わぬ。


 しかし、官位を欲するときだけ銭を献金する者たちとは違うのは明らかだ。残念なのは織田は畿内にあまり興味がないことであるな。


「この度は金平糖なる南蛮の菓子も届いております」


「そうか。織田三河守には良しなにな」


「はっ。心得ております」


 あまり悪いことばかり考えても仕方あるまい。此度は硝子という玻璃に良う似た珍しい物や南蛮の菓子もある。しばしでも主上の御心が休まればよいのだが。




side:久遠一馬


 初めての洋上での夜を迎えていた。夜の海は真っ暗で漆黒の闇のように見えて不気味だ。『板子いたご一枚下は地獄』なんて言葉があるが夜になるとそれを実感する。


 実際にはすぐ真下の海中には無人潜水艦が随伴しているから、万が一船が沈んでも助かるんだけどね。


「よく星を見て場所など分かるな」


「あの星。あれが目印となる星です。あれが常に北に位置していて基準となる星なんですよ」


「ほう。しかし星ばかりで、いかにして見分けるのだ?」


「昔から人は星に様々な形を当てはめて、見てきたそうですよ。南蛮やお隣の大陸では遥か昔から、暦も星を見て作っていると聞きますしね。ウチには明や南蛮の星の知識がありますから」


 佐治さんはエルに天測の実地指導を受けている。まだまだ陸地から近いしね。そこまで天測が重要でもないんだが練習には持ってこいだろう。


 信長さんたちや幻庵さんたちも天測について知りたがったので簡単に説明してあげよう。北極星と北斗七星くらいならオレにもすぐに見分けがつく。


 なんかこうしてると小学校の時の星の観測会を思い出す。懐かしいな。


「周りに何もない海では星を見て、場所を知るしかないのか」


「まあこの辺りではそこまで気を使う必要はないんですが。西や北に行けば陸地がありますから」


 立場を気にしてか幻庵さんたちはあまり疑問を口にはしない。他家の秘伝とでも考えてるのかもしれない。ただ、ざっくりした天文知識と航海術くらいなら別に知られても構わないだろう。


 水深などが書かれた海図と潮や風の流れの知識がないと沖乗りはできない。船も一から造るのは相当苦労するだろうしね。




 夜も更けて当直の船乗り以外は休むことになるけど、面倒なのは部屋割りだったりする。 信長さん・信光さん・信安さんには個室に入ってもらったし幻庵さん一行も同様だ。


 あと女性陣もエルたちと侍女さんたちで広めの部屋を割り当ててる。


 ウチの南蛮船は、この時代の本物の南蛮船には無かった水密隔壁もあるから個室は本物より多い。普段は荷物室になってるんだけどね。


 ちなみに水密隔壁は、この時代だと明のジャンク船には既にあるらしい。本当にこの時代の中華ってすごいよね。


「一馬殿は遠慮なさらず、奥方たちと一緒でも、誰も文句は言いませぬぞ」


「ありがとうございます。ただ平手様も一緒ですから」


 個室を政秀さんは辞退していて、オレも政秀さんや可成さんとか若い衆と一緒に雑魚寝になる。


 みんなはエルたちと一緒でいいって言ってくれるけどね。政秀さんも雑魚寝になるんだからオレだけ個室ってのもね。


 それに千代女さんとか侍女さんたちも居るしさ。気を使って落ち着かないよ。ただ、一般的に武家だと侍女さんとかは妾候補だからなぁ。


 対外的にオレって女好きに見られてるから、千代女さんたちも妾に見られてるからね。特に千代女さんクラスになると家柄もあるしウチでの地位も高いから、他家からの縁談がウザくて断るの大変みたい。以前にそれとなく妾の立場を匂わせて断ったこともある。


 その辺りは望月さんとエルに任せてたからオレも詳しく知らないんだけど。そもそも侍女は一般的には正妻の下に付くらしくウチではエルが管理しているんだ。


 ジュリアとかメルティは人の管理とかしたがらないし。ケティやセレスはそれぞれ病院や軍事関係の管理以外は手控えてる。千代女さんたちは結婚相手も探してやらないと駄目だからね。管理するのも大変なんだよ。


 揺れる船と波の音を聞きながらの就寝だ。


 ……誰だろう。イビキが凄い人が居る。


 オレもこの船で雑魚寝なんて初めてなんだよね。眠れるかな。





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