第210話・久遠家の日常と海の向こう

side:久遠一馬


 砂浜には数百人の人がいる。ウチの家臣や忍び衆とその家族に牧場村の領民と孤児院の子供たちもいるからね。


 この人たちの生活と未来がウチに掛かっていると思うと、責任感を持たなきゃいけないって思う。


「海に遊びに来るのですか……」


 ああ、今日はゲストとして西堂丸君とお付きの皆さんもいる。


  関東に行くと、帰ってくる頃には秋になってるからね。もう一度みんなで海に遊びに来たんだ。


 西堂丸君たちは不思議そうにしている。この時代って海に遊びに来ないしね。それに家臣の家族はもちろんだけど、家臣の郎党や領民まで遊びに連れてくるなんて誰もしないからなぁ。


「私たちの故郷の風習なんですよ」


 ウチの人間はみんなさすがに慣れてきたからか、自由に遊んだり泳いだりしている。ふんどしまげがなんか違うけど、海で遊ぶ人たちは元の世界とあまり変わらない光景にも見える。


 ただ女性陣には前回と同じワンピースタイプとビキニタイプの水着に、水着の上から着る浴衣のような着物をみんなに貸し与えた。


 なんかみんな水着を南蛮の服だと誤解してるっぽいが、オレたちの故郷の服だってことにしている。そんなに身分の高い人は居ないしね。みんなエルたちが着るならと着ている。


 強制はしてないんだけどね。ウチが普通じゃないのに慣れてきたのか、偉い人に合わせてるのかは少し微妙だ。


「潮湯治のようですな」


「ウチの故郷でも元々はそうだったようですけどね。いつの間にか余暇になったんですよ」


 西堂丸君たちはどう受け止めるべきか迷うらしいが、それなりに自分たちの価値観で受け止めているみたい。


 今日は信長さんも居ないしね。西堂丸君の相手はオレがしないと駄目だなぁ。




「久遠殿は何故織田家に仕官をしたのですか?」


「それ時々聞かれるんですけどね。家督を継いで世の中を見るついでに遊びに来たら、若様に仕えろと言われましてね。それだけなんですよ」


 西堂丸君は海で泳がないみたいなんで、砂浜には日傘をさしてのんびりとしてると根本的な質問をされた。


 まるで珍獣でも見る心境なんだろうか。時々同じような質問をされる。まあこの時代の人から見ると変人なのは自覚しているが。


「それで織田家に……」


「私は武士らしくできないですから、一度はお断りしたんですがね。若様がそれでもいいからとおっしゃいまして」


 西堂丸君とお付きの皆さんは唖然としている。


 信長さんは天下を自ら纏めるために、オレたちは自分たちの生存圏を確立するという目的があったことは悪いけど今は言えない。


 ただ、本当は歴史の登場人物になる気はなかった。名も無き商人で良かったんだ。ほんの少し歴史を近くで見ていたかっただけ。


「世の中には私が南蛮の間者だなんて噂もありますけどね。私が守りたいのはここに居る人たちと本領の人たち。あとは尾張の人たちくらいです」


「久遠殿……」


 でも。オレはもう後戻りはできない。


 得体の知れない余所者を受け入れてくれた、織田家のみんなや尾張のみんなを見捨てるなんてしたくない。


「西堂丸殿。私などが貴方にお教えできることなんて多くありません。海の向こうは……、日ノ本の外の方が圧倒される程に広いということくらいですよ。日ノ本の外に行けば残念ながら北条家や将軍家どころか、朝廷ですら大差ない程度の存在でしかありません。日ノ本など小さな島の中のことなんです」


 時代が違えば西堂丸君とはいい友達になれただろう。だけど、もしかしたら敵として戦わなければならないかもしれない。


 ただ……、願わくば新時代を築く一翼を担ってほしいと思う。北条家と西堂丸君にはその可能性は十分にある。


 そうだ。北条家へのお土産に地球儀を入れておこう。西堂丸君が目先の利益と敵に惑わされないように。


「ワン!」


「どうした? ロボ。一緒に遊んでほしいのか?」


「ワン! ワン!」


 まるで別世界に居るかのように静まり返った西堂丸君たちは、オレの話に何を思うんだろうね。


 一緒に遊ぼうと駆け寄ってきたロボに促されるように、オレは立ち上がるとブランカと遊ぶ子供たちの輪の中にロボと一緒に入っていく。


 海でも見ながらゆっくり考えるといいよ。西堂丸君には今なら間違っても助けてくれる大人が居るんだから。




side:北条西堂丸


 海の向こうの国。正直なところ私は考えたこともなかった。


 明があり朝鮮があり南蛮があるとは教わった。日ノ本はいにしえの頃から明やその前身の国などを手本にしてきたとは聞いたことがある。


 でも、そこがどんな国かなんて考えたことはなかった。


「……明や南蛮はそれほど広いのですか」


「ええ。広いです。ただし、南蛮とは一つの国ではありません。元々は南から来る蛮族という意味なのはご存じだと思います。しかし、海の向こうには数多の国があるのですよ」


 南蛮人が鉄砲を日ノ本にもたらしたのは知っている。されど南蛮とはどんな国なのかは知らなかった。大叔父上は知っているのだろうか。


 子供たちと遊ぶ久遠殿を優しげな表情で眺めていたエル殿は私たちに海の向こうの話を更に教えてくれた。


「では天竺もその一つなのですね」


「はい。正確には天竺という国は滅んで今はありませんが。日ノ本が天竺と呼ぶ場所には現在も彼らの子孫と言える人の住む国はあります。ただ現在は仏教はほとんど信仰されていませんが」


「天竺がない!? しかもすでに仏の教えが途絶えておると!?」


「かの国は複雑です。王の系譜が変わることも過去にはありました。あと仏の教えは場所を変えて残っていますよ。ただ仏や神は国や地域により様々です。他にも南蛮人の信じる神などは御仏とは全く別の存在になりますね」


 私が知るのは明と朝鮮に天竺くらいだ。しかし、エル殿いわく、天竺という国はすでにないらしい。信心深い供の者などはその言葉に驚き、信じられないと声を荒らげてしまっている。


 エル殿を責めても仕方なかろうに。


「止めぬか。エル殿が仏の教えを途絶えさせたわけではないのだぞ」


「確かに。申し訳ありませぬ」


「いえ。お気に為さらず」


 さすがに止めに入ると、声を荒らげた者も自身の非に気付いたのか素直に謝罪した。さすがに大叔父上の家臣なだけはある。


「つまり海の向こうでも、戦もあれば滅ぶ者も居るということであろう? そもそも仏と坊主を一緒にするのは間違いだ」


「確かにそうですな」


 そう。神や仏と神職や僧侶は別の存在だと大叔父上は言っておられる。坊主というだけで安易に信じるなとも言われた。


 大叔父上は今も僧籍に身を置く立場として思うところがあるのだろう。特に一向宗には是とせぬ立場だ。


「皆様も南蛮人という者たちにはお気をつけください。特に南蛮の神に仕えると称する者たちは自分たちの神以外は神と認めません。むろん日ノ本の神や御仏も決して認めませんので」


「都では坊主どもが争い、問答で収まらずに戦をしたと聞く。南蛮の坊主とてそれと大差ないのであろう?」


「その認識で概ね間違っておりません」


「ふん。破戒僧はいずこにでもおるということか」


 皆は自然とエル殿の話に聞き入り、事の意味を理解していた。しかし気付いていようか。エル殿がいかに聡明かを。


 私たちに合わせて話している彼女の言葉に飲まれていることを、皆は気付いているのだろうか。


 そういえば大叔父上も久遠殿の奥方たちの聡明さに驚いていた。まるで真の学徳がくとくを積んだひじりか百戦錬磨の武将のようだと溢しておられたな。


 話の真偽は分からぬが、これほどの世情を何故私たちに教えたのだろうか。


「いずこも戦ばかりか。世も末だな」


 供の者たちは日ノ本の中も外も変わらぬことに複雑そうな表情をするが、もしかするとエル殿は明や南蛮を安易に信じると危ういと教えたかったのだろうか。


 五郎左衛門殿が教えてくれた。久遠家の南蛮人は南蛮から追われた者たちなのだと。彼らは久遠殿の本領が故郷であり他の南蛮人とは違うのだと教えてくれた。


 南蛮に思うところがあるのだろうな。


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