第208話・流民の新生活
side:とある本證寺領の元農民
「ここが清洲か。凄い町だな……」
故郷の村を逃げ出したオレたちは、とうとう尾張の清洲にたどり着いた。他にも、三河の松平様の領地からの流民たちと一緒にだ。
与えられた家は清洲の長屋になる。故郷の家よりは少し狭いが家族八人で暮らせないこともない。何より、銭もないオレたちに家を貸してくれたことには感謝しかない。
「あんたたちも三河からかい?」
「はい。食べていけなくて……」
「そうかい。良かったね。ここまで来れば大丈夫だよ」
長屋の隣は数ヵ月前に同じく三河から来た一家らしい。あまり表沙汰にはしてないが、尾張には周辺から流民が集まっているんだとか。
織田のお殿様の命令で荒らされて放置してある村を再建している者や新しい村を作ったりしている者も居るらしいが、オレたちは清洲の普請場で働くように言われている。
なんでも織田のお殿様の城を改築して、清洲の街も広げているんだと。賦役だと言うが、働けば銭や食べ物が貰えるらしい。
本證寺だと賦役は何も貰えんかったが、織田のお殿様の領地では、賦役での稼ぎで飯を食う者も結構居るんだと。
「小さい子どもは、そこの玄さんが預かってくれるよ。若い頃に戦で怪我して働けないから、子守りして食ってる人だからね」
まだ働けぬ子を近所の人に預けて、オレたちは翌日から普請場で働くことになった。
場所は清洲の町の外になる。町を広げるために湿地を埋めて土地を整えるらしい。
「あの、妻と子どもたちは……」
「心配するな。女たちと子どもたちは別の仕事だ。男と同じ仕事をさせるなと言われておるんだ。子どもたちには読み書きも教えてくれるからな。ありがたい限りだ」
だが現場に着いて早々、妻と子どもたちは別の場所に連れていかれてしまった。慌てて近くの兵に、妻と子どもたちのことを尋ねると驚くべき答えが返ってきた。
女たちは力の要らん仕事と昼食の準備をさせるらしい。子どもたちに至っては土を入れた土地を踏み固める仕事を与えられた後に、簡単な文字の読み書きを教えているという。
三河の村では、長老衆でも
「おーい、新入り。休憩だ」
「あっ、はい? 休憩ですか?」
「ここだと、昼の他にも二回休憩がある。あっちに物売りも来てるから、銭があれば何か食ってもいいぞ。あと、白湯ならただで貰えるぞ」
「いや、オレは……」
「真面目に働けば、そのうち食えるようになるさ」
仕事は大変だった。離れた場所から土を運ぶことや、堀を掘ることもやらねばならない。
ただ、ここの道具は故郷の村とは全く違う。
それと驚いたのは、休憩があることだ。昼の前に一度と、昼の後にも一度休憩があるらしい。賦役と言えば朝から晩まで休みなく働くと思っていたが、尾張は違うらしい。
休憩の時になると、物売りが普請場に姿を見せていた。麦湯に魚や握り飯などを売ってるみたいだ。
「控えよ!」
休憩の時も残り僅かとなった頃、普請場の感じが険しくなった。兵達の様子が変わり緊張する気配が辺りを支配した。
「どなた様なんでしょうか?」
「ありゃ織田の若様と久遠様だな」
何事かと思いつつ周りに合わせて控えていると、おかしな格好をした若侍と商人のような男。それと見たこともないような髪の色をした女たちがやってきた。
若様たちはどうやら普請場を見に来たようで、あちこちの説明を受けている。
「あなた。新入り?」
「ははっ!」
「お昼食べたら那古野の病院に来て」
「えっ!?」
「へい! 必ずいかせます!」
オレたちは若様たちが帰るまで控えているのかと思ったが、若様たちの侍女にしては着るものが上物の若い女に声を掛けられてしまい、どうしていいか分からず戸惑ってしまう。
偶然一緒に働いていた男が代わりに返事をしてくれたが訳が分からない。病院とはなんだ? オレは何をさせられるんだ?
「あの……」
「久遠様の奥方様のケティ様だ。南蛮のお医者様で、尾張だと知らねえ奴は居ねえほどのお方だ。仕事はいいから病院に行ってこい」
「でも働かないと食べ物が……」
「心配するな。ケティ様に呼ばれた奴は病だから食わせてもらえるし、家族も気にかけてもらえる」
お医者様なんて初めて見た。まだ十代の娘にしか見えんのに。
そもそも銭もない流民のオレを、お武家の奥方様が何故診るんだ? 故郷だとお坊様ですら、銭がないと診てくれないのに。
「若様から水飴を頂いたぞ! 今から配るから並べ!」
「みっ、水飴!?」
「今日はついてるな。若様たちは時々差し入れを持ってきてくださるんだ」
それに若様たちが帰ったと思ったら、水飴!?
ついてるという程度の話なのか? オレは水飴なんてこの歳まで食べたことがないぞ。
甘い……。
こんなに甘い物が世の中にはあるんだな。妻と子どもたちも辺りを見回して探すと、それぞれに女衆や子ども同士で水飴を食べていた。
涙が出そうになる。
実際に泣いてる者もいる。一緒に三河から来た男だ。
年老いて逃げられないおっ母を置いてきたと旅の途中で話していた。せめてお前たちだけでも逃げろとおっ母に言われて、泣く泣く家族を連れて逃げてきたらしい。
男の悲しみがみんなに伝わったのか。少ししんみりとした
何んで仏様に仕えるお坊様は、オレたちにあれほど厳しかったのだろう。
何んで尾張の織田のお殿様は、オレたちにこんなにも良くしてくれるのだろう。
昼は味噌味の雑炊だった。しかも、ただの雑炊ではない。麦や蕎麦に魚まで入っている贅沢な雑炊だ。
お代わりもできるようで大きな鍋に、いくつも作った雑炊は瞬く間に無くなっていく。
「あの、病院に来るように言われたのですが……」
「行ってこい。ただし、家族には話してから行けよ」
食った後にオレは同じくケティ様に声を掛けられた者たちと一緒に那古野の病院に行くことになった。
どうも、ここではケティ様に声を掛けられてた者が、病院に行くのがよくあるらしい。銭がないことも言ったのだが、銭は必要ないとのことだ。
「これが病院?」
「城みたいだ……」
清洲から那古野まで歩き、着いたところは、お城かお寺かと思うほど立派な建物だった。
「そこの井戸で手足を洗い泥などは落としてください」
「あの……銭がないのですが……」
「銭は必要ありません。お方様の診察に呼ばれるまでは中で待っているように」
あまりに立派な建物に、オレと一緒に来た連中は門の前で入っていいのか分からず立ち尽くしていたが、中から侍女のような女が出てきて案内された。
脇差しと荷物を預けると身を綺麗にして、言われた通り建物の中に入る。
中には老若男女様々な人が居て身分も様々だ。オレたちは邪魔にならないように隅の方で大人しく座っていよう。
「この薬を食後に一日三回飲んで。五日後の午後にまた来て」
オレを診てくれたのはケティ様だった。あまり嗅いだことのない不思議な匂いのする部屋で診てくれたが、何も説明されないままに薬を出された。
「オレは何かの病でしょうか?」
「大丈夫。薬を飲めば治る。だからちゃんと薬を飲んで」
結局ケティ様は何の病か教えてくれなかった。だが銭を取るわけでもないので、騙してるわけではないと思う。
「暮らし向きに困っているのですか? 少し痩せすぎてますね」
「昨日清洲に来たばかりなので……」
「そうでしたか。少し食べ物を融通します。よく食べて薬を飲んでください」
ケティ様に診ていただいた後には年配の女にどこに住んでいるかや、日頃は何を食べているかなどいろいろ聞かれた。
わざわざ紙に記すほどのことなんだろうか。
逆らえる身分でもないので素直に従うが、帰りには野菜や鶏の卵に魚の干物などを貰えた。家族が多いと説明したからか結構な量だ。
「早く体を治して、しっかりと働いて恩を返しなさい」
さすがに申し訳なく遠慮しようとしたが、年配の女に叱られてしまった。厳しい言葉だがその通りだ。
三河から清洲までの旅の路銀や飯代は全て織田のお殿様から頂いたものだ。オレはその恩を返さないといけない。
しかし、不思議だ。尾張と三河は隣国でしかもオレの故郷の村は、織田のお殿様の領地と目と鼻の先にある。それなのにここまで違うとは……。
口には出せないが思う。
お坊様が村を治める必要があるのかと。
お坊様は何かにつけて罰が当たると言うが、あれは本当なのかと。
分からない。
分からないが、オレや家族が故郷の村に帰ることも、本證寺のお坊様を頼ることも二度とないだろう。
オレはここで、尾張で生きていく。
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