第195話・幻庵旅道中記

side:北条幻庵


 翌朝。安祥城を出て尾張に向けて出発する。


 同じ三河にもかかわらず織田領の人々は表情が明るいのう。


「ほう。あれが噂の賦役か」


「賑やかですな。やはり、飯を食わせる効果は大きいのでしょうか?」


「そうであろう。場所によっては秋の収穫を前に食べ物が無くなるからの」


 途中で荒れた村を再建しておるところがあった。周辺の村人であろうか。荒れた田畑を直して家を修繕しておる。


 織田は賦役もまともにできぬとの噂があった。賦役にて人を集め仕事をさせるのは武士ならば当然のこと。報酬や飯を食わせる必要などないと考える者は少なくない。


 賦役は税でもあり、それは間違ってはおらん。


「恐らくは領民を食わせるために、賦役にしたのではないかと思う。放置すれば飢えるのだ。施すにしても働かせた方がよいのは確かじゃからの」


「つまり賦役のために飯を出しておるのではなく、食わせるために賦役をやっておると?」


「うむ。領民が飢えれば逃げたり近隣と争ったりと領内が荒れる。それに戦をするにも米と銭がかかるからの。ならば最低限食わせて領内を整える。考え方としてはそんなものじゃろうて」


 賦役に人を集められぬから飯を食わせるのではなく、飯を食わせるために賦役をやる。そう考えると納得がいく。


 飢えは人心を荒れさせる。誰もが争い奪いたいわけではない。


 今時は荒れた田畑など珍しくはない。されど直しておるところはあまり見ぬからの。誰もそこまでやる余裕はないのだ。


「それは織田が裕福だからできるのでは?」


「それもあると思う。されどこのまま争うばかりでは、いかようにもなるまい?」


 織田のやり方を理解できぬ者がワシの家中にもおるとはの。情けないわい。領民は草木とは違う。放置しておれば勝手に生えてくるわけではないのだぞ?


 確かに現在の北条家では難しい。周りに敵が多いからの。


「確かに……」


「こうして村の垣根を越えて皆で汗を流せば、争いになっても心証が変わろう。協力してやれるのならば、それを選ぶ者も現れるであろうしの。効果は目に見えぬが大きい」


 単なる損得勘定だけではあるまい。元々敵国だった三河を治めるうえでこれ以上ない策でもあろう。


 恐ろしい。織田は、とてつもなく恐ろしいことをしておる。


 これで戦になれば、領民は一向衆のように命を賭けて戦う死兵になるのではないか? 誰が飢える暮らしに戻りたいものか。


 金色砲とやらの噂や、南蛮船ばかりが騒がれるが、この事実に気付かねば織田には勝てぬぞ。




 そのままワシらは尾張に入り、途中の村で寺に泊まり、那古野へと到着した。


 風魔の調べた通り、那古野は普請や町の拡張が行われておって賑やかじゃな。昨年の今ごろはいずこにでもあるような城と村しかなかったと聞くが。


 ああ、あれが噂の尾張たたらか。城のように堀と壁に囲まれた中で鉄を作っておるという。外からは中の様子は窺えぬが煙が絶えぬことと、大量の鉄の元となるらしい石と作った鉄を、熱田と那古野の間で運ぶ川舟が見られるらしい。


「殿。あれは……」


「随分と鉄を使ったすきじゃの」


 尾張たたらは他所者よそものには見せぬようで、風魔も潜入できなんだ。見てみたいが無理であろうな。


 しかし、那古野の町の拡張をしておる普請場には珍しいものがあった。鋤やくわがほとんど鉄でできておる。


 柄の部分は木のようじゃが、なんと贅沢な。


「使い勝手は良さそうですな」


「羨ましいの」


 鉄は貴重じゃ。武具から農具に釘など使うものは多い。まさか尾張でふんだんに鉄を使った農具があるとはのう。


 やはり織田は領内の整備に力を入れておるな。南蛮船の利益を戦よりは領内の整備に使うか。


「そこの者。すまぬがここは神社かの?」


「いえ、違いますよ。こちらが久遠様の病院で、あちらが学校になります」


「そうか。わざわざ呼び止めて済まなかったの」


 他にも那古野の外れには神社のような大きな建物があったが、あれが風魔の報告にあった病院なる診療所と学校か。


 病院には武士ばかりか農民も訪れておる様子。久遠殿は貧しき者にも医術の治療をしておるとは聞いておったが、実際に来てみると驚くばかりじゃ。


 学校も武家ばかりか領民にも開放されておると聞く。


「殿。いかがされましたか?」


「お前たちもよく見ておくがいい。いずれ、お前たちは織田と戦うか同盟をするか従うか、選ばねばならぬ時が来るであろう」


 違う。何もかもが違う。


 南蛮船と商いの利益など問題ではないほどに違う。


 今川では勝てぬな。織田はこのまま東国の一勢力で終わるまい。


 良くも悪くも織田を中心に世が動くやもしれぬ。


 父上が生きておったら何というであろうか。




side:久遠一馬


「それは何だ?」


「味噌ですよ」


「ずいぶんと白いな」


「尾張の味噌とは少し造り方が違いますので。味見をされますか?」


 幻庵さんが今日にも清洲に来るので、清洲城ではエルとシンディが侍女さんたちと、もてなしの料理の支度をしている。


 普通は身分の高い人は料理する台所なんかに来ないけど、信長さんはよく来てはエルたちが料理する様子を眺めていることがある。


 この日も見てたんだけどね。いつもの豆味噌じゃなく白味噌を取り出したエルに、信長さんがさっそく興味を示した。


 尾張はこの時代でも豆味噌なんだけど、一般的には糠味噌みたいなんだよね。元の世界では様々な味噌があり、地方の独自の味もあった。


 中には古くからある物もあるようだが、あまり一般に普及してるわけではない。大半は戦国時代以降に全国に伝わり生まれた物らしいね。


 正直、味噌も領民にとっては高級品になるのだろう。食べ物にも困るこの時代には豆味噌も安くないしね。だから、糠味噌なんてものもあるんだろう。


 米糠ですら食べるような生活なんだよね。


 今回は、宇宙産の美味しい味噌を使って、幻庵さんを驚かせようということにしたんだ。


 基本的に料理の献立はエルたちに任せてるけどね。


「これはこれでいいな」


 気になったらすぐに食べたがる信長さんに、エルは味付けした白味噌を塗った焼おにぎりを出した。


 ご飯はさすが清洲城ということで余り物らしいけど、焼おにぎりにしたらあまり気にならないし、味噌が香ばしくて美味しい。ついでにオレも食べちゃったじゃないか。でも、食べ物を余らせるなんて良くないからね。オレは悪くない。


 複数の味噌料理で味の違いを楽しむ料理になる。


 幻庵さんは数日は滞在するみたいだしね。初日は馴染みある味噌の違いで驚かせたい。




 幻庵さんが到着した。ただ、オレは今日は顔を合わせることはなく裏方に徹する。


 今夜は信秀さんと政秀さんで接待するらしい。


 幻庵さんがウチの事やオレにどの程度興味を持ち、どう見てるか見極めたいみたい。焦らすとも言えるけど。


「少し味が濃くない?」


「夏場のこの時期に旅をして来ましたからね。みなさん汗をかいているでしょう、少し塩分を取った方がいいですから」


 今夜のメニューは西京焼き風の魚と粕汁に野菜の味噌炒めなどがある。


 日頃からダシを使い塩分を控え目にするエルにしては味が濃いけど、どうやら幻庵さんたちの体調を考えてのことらしい。


「これも美味いな」


「澄み酒を造る際に出る酒粕ですよ。古くからある物ですが、当家の酒粕は一味違います」


 粕汁は野菜や鮭が煮込まれていてご飯が進みそう。夏だし、鍋物みたいなのはどうかと思ったけど美味い。


 ところで信長さん。味見で一食済ませることになりそうなほど食べてるよね。


 土田御前に見られたら行儀が悪いと小言を言われるのに。


 今日は肉類や乳製品は使ってない。幻庵さんって一応お坊さんみたいだし。


 さて。幻庵さんは元の世界の料理に驚いてくれるかな?


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