第160話・夏のお昼時

side:久遠一馬


「ほう。素麺そうめんか」


「この汁が、また合うな」


 夏ということでわが家の今日のお昼は素麺です。夏だしね。


 信秀さんと信長さんの親子と政秀さんと一緒に……。


 例によってウチの殿様って何の前触れもなく来るんだよね。用があるなら呼べばいいし、料理を作ってほしいのなら命令すればいいのに。


 素麺の歴史は古い。なんでも奈良時代からあったとか無かったとか。


「大湊の商人が纏まった量を持ってきたんですよ。最近尾張では麺類が流行ってますからね」


 別に頼んだわけじゃないけどね。ウチでは小麦や蕎麦の粉料理を作るし、麺類をよく食べるのを調べた大湊商人が畿内から買い付けたらしい。


 当然高級品だし、未来のように暑いから素麺でというような気軽な物じゃない。


 とはいえ今の尾張で畿内から買うのって、米や大豆に麦や蕎麦なんかの雑穀が中心になる。


 反対に尾張から畿内に売るのはいくらでもあるが買うのは意外に少なく、抹茶とか素麺とか高級品を買わないと銀や銅に銭とかが貯まる一方になるんだよね。


 儲かるのはいいが交易をする以上は多少はバランスを取らないと、あちこち敵に回しかねない。


 畿内とは本格的に取り引きしてないし、当分する気もないんだけどね。正直畿内の商人もあまり印象が良くない。




「醤油の生産はいかがなのだ?」


「津島と熱田の味噌商人に造り方を教える方向で進めてます」


 素麺のつゆは未来の物に近い。醤油やみりんに出汁も取ってるしね。


 みりんはお酒造りをしてる津島の屋敷で生産を始めることにしていて、醤油の生産も信秀さんの命令でやることになった。


 現状だとウチが個別に信秀さんたちとか交流ある人に贈ってるだけなんだけど、あちこちから醤油が欲しいという話がたくさん来てるんだよね。


 畿内には味噌溜まりから造る醤油のご先祖様があるらしいが、あれも生産量は多くないし何より歴史の先取りをしてるウチの醤油は別格だ。


 ウチで造るのだと手が回らないし製法が一部共通する味噌職人なら、醤油造りを習得するの早そうだからね。




「これはいつもの羊羹ようかんと違うな」


「水分を多くしたんですよ。夏はこちらの方がいいかと」


 食後にはデザートも要求されたので、午後のデザート用の水羊羹を信秀さんたちに出した。


 練り羊羹に関しても完全にウチだけの菓子になってるんだよね。


 そもそも練り羊羹に使用する寒天がこの時代には存在しないから、真似しようとしてもできないみたい。


 信長さんはあちこちに土産として配ってるし、ウチでも贈り物にしてるくらいだ。まあ午後のおやつには時々作るから家臣のみんなは割と食べてるけど。


「甘うて美味いな」


 信秀さんは信長さんほど甘党じゃないけど菓子も食べる。水羊羹もお気に召したみたいだから、お土産に包まないと駄目だね。


 多分エルがすでに追加で作っていると思う。信秀さんも奥さんとかお妾さんが結構居るんだよね。奥さんと子供たちに配るにしても結構な量が必要だ。


 こういう時には余るくらいの方がいいだろう。未来と違い信秀さんクラスでも砂糖を使う菓子は高級品だからね。


 ああ。信秀さんや信長さんが菓子をよく持ち帰るからか、土田御前からは返礼の手紙をエルが何度か貰ってる。


 こっちに来て一番歴史のイメージと違うのはあの人かもしれない。なんか偉そうで信行君を溺愛して信長さんを毛嫌いするイメージがあったが、意外に気遣いの人なんだよね。


 信長さんとの関係は少し距離はあるが意外に悪くもない。互いに理解しようとしてはいるが、上手くいってないのではとエルが推測してるくらいだから。


 実際史実のイメージって、創作物のイメージだったんだろうね。


 土田御前は史実では信行が討たれた後は、普通に信長さんのもとに居たらしいし。実家に帰されたとかないから意外に関係は悪くなかったのかもしれない。




「桑名の会合衆はあちこちに織田との仲介を頼んでおるようでございます。されど、なかなか色よい返事がもらえておらぬようでございます」


 食後には信秀さんたちと桑名の件の報告を聞いているが、あちこちに仲介を頼んでると聞くと信秀さんは少し面白くなさげな表情をした。


 現状では願証寺と六角と北畠を頼ってるらしい。


「あそこは元々は禁裏の御料所でございます。朝廷に仲介を頼まれると厄介でございますな」


「織田は桑名と敵対してはおらぬ。よって和睦の意味などない」


 一言で言えばウチの商品を前と同じように、自分たちに回せと騒いでいるんだ。


 矢銭を払いしかるべきところに仲介をしてもらえば、それが叶うと思ってるらしい。


 実際桑名からは西に東海道が繋がっている。それは大湊にはない強みなんだろう。商品があれば陸路で伊勢や近江から京の都にも売れる。


 とはいえ江戸時代のように明確に東海道の宿場町を定めてるわけではない。確か熱田から桑名まで船で移動していたはずだけど。


 政秀さんは桑名が本来は禁裏の御料所。つまり朝廷の領地であることを指摘した。オレも最近エルに教えられるまでは知らなかったが、名目上は今も禁裏の御料所なんだろう。


 仮に桑名の支配権を得ても、今度は朝廷が返せと言う可能性がある。とにかく面倒なとこだね。


 将来的に伊勢を領有したら、桑名ではなく別の港を織田で作り東海道に繋げた方がいいかもね。


「ではこのまま放置で?」


「それが一番であろう」


 まあ現状で織田は桑名に対して何も要求してない。強いて挙げるとすれば今後も関わる気がないと言っているだけ。


 大きな町らしいしね。別にウチの物が流れなくても当分は東海道の要所としてやれるはずだ。


 ただ大湊に桑名。それと宇治とか山田とか伊勢の自治都市は、史実ではだいぶ織田の邪魔してるんだよね。長島一向一揆の時とかは特に。


 この世界でも将来的に伊勢の商人が敵に回る可能性は、十分にあるんだ。現状でも反織田の桑名は徹底的に弱体化させる必要がある。


「将来的には商人を統制する仕組みが必要ですね」


 ウチと織田の政策は重商主義の一面もあるから、商人は史実以上に統制していかないと何をするか分からない。


 商人は良くも悪くも敵も味方もなく、まして元の世界のような法の規制もモラルもない。


 自由で競争力溢れる経済は理想なんだろうが、管理して規制を設けないと平気で国ですら売るからね。


 商人の税も将来的には利益に応じた物にするべきなんだろうが、果たしていつになるのやら。オレが久遠一馬で活動してるうちには無理かもしれないな。


 現状では商人を保護して銭を手に入れるばかりではなく、将来を見据えて管理していく方策を考え準備するべきだろう。


「武家が商人を統制か。また寺社が騒ぎそうな策だな」


「寺社の既得権は本来は国家が持つべきもの。訳もあるんでしょうし過去を責めても仕方ありませんから現状は仕方ないですが、日ノ本の統一された国家で全て管理しませんと」


 既得権を切り売りしてきた朝廷のツケというか、寺社の上層部は朝廷の親戚や子弟ばっかりだからね。


 それがいつの間にか朝廷や幕府すら手を焼く存在になったんだから、既得権の恐ろしさを感じるよ。


 全部終わったら、寺社は仏や神の道から外れた存在だったときちんと歴史に残して教育していかないと。


 政治や学問にも口出し無用にしたいくらいだ。少なくとも規制は設けなくてはならないだろうね。


 本当に道のりは果てしなく遠いよ。


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