第138話・忍びの現実

side:久遠一馬


 梅雨も半ばを過ぎただろうか。尾張では分国法の説明会が行われていた。


 一族や重臣たちには信秀さん自らが評定を開き説明を行い、その他は文官衆が説明をすることになった。


 明文化はされてないが一族や重臣の困惑した様子に信秀さんは、最初は警告をするので突然処分は下さないと明言した。ただし警告は二度はないとも言ったけど。


 それと分国法や統治に関する意見があるならば申し出よとも言っていて、今後も必要に応じて加筆修正して改善していくことを明言してる。


 個々の領地ばかりではなく皆で尾張全土のことを考えよと促したのは、偽らざる本音だろう。




「警備の兵を増やした成果があったか」


「はっ。清洲と那古野において盗みや殺しなどが減りましてございます。特に清洲では以前と全く違いまする」


 それと警備兵についてもこの機会に説明していた。ちょうど効果が出てきてたからね。


 まず犯罪が明確に減った。夜も見回りさせてるし、見回りのコースも同じにならないように工夫させている。


 まあ犯罪の減少は尾張の好景気も関係していて、健康ならば貧民でさえ働く仕事がある。不届き者はどこにでも居るが、食えれば犯罪が減るのは確かだった。


 ただまあ、それで問題が全て解決するほど単純でもない。


 戦や病で満足に働けない者や老人が捨てられることは今も無くなってはいないし、そういった人々は河原や町中の裏通りなどに居るから犯罪や伝染病の原因にもなりかねない。


 ケティたちが定期的に診察をして、治療して働けそうな者には仕事を与えてるけど。働けそうにない者には今のところ粥を定期的に振る舞うことしかできていない。


 彼らのような者は扱いが難しい。施設を作ればあちこちから大量に働けない者が集まる可能性がある。


 未来のようなセーフティネットを構築するのは、現時点では無理だった。


 もちろんウチの技術と財力ならできないこともないけど、やるなら健常者や子供たちが優先だ。命に優先順位は付けたくないけど、現時点では子供たちへのセーフティネットの構築を計画している段階だ。


「一馬。病院と学校ができたそうだな」


「はい。病院は近日中には治療を屋敷から移します。御家中の皆様には引き続き往診をしますので、必要とあればおっしゃってください。学校は現在準備中です。師となるお方とその教えを受ける学徒を集めなくてはなりませんので」


 最後に学校と病院のこともみんなに報告だ。この時代で異端なウチの改革が大きな反対がないのは、信秀さんの力と医療行為のおかげだろう。


 医者としての腕前が他と違うのは明らかだからね。病院のアピールもしておかねばならない。


「師か。沢彦たくげんだけでは足りぬか?」


「沢彦様には、他にも面倒を見ていただいてるので」


 目下の問題は学校の師のことだ。技術や知識はエルたちに頼むとしても、この時代の礼儀作法や武士に必要な知識などは得意ではない。


 信長さんの師である沢彦宗恩たくげんそうおんさんは協力してくれてるけど、信長さんや若い衆の教育も任せてるから忙しいんだよね。


「学問の師ならば瑞泉寺ずいぜんじにて高徳で知られておる、明叔慶浚みんしゅくけいしゅん殿はどうでしょう。領民の相談にも乗っておりますし、人柄も素晴らしいですぞ」


「それはいいですね。是非一度お会いしてみたいので紹介を願えませんか?」


 そんな説明をしてると重臣や一族の皆さんから、地元のオススメの師の名前が何人か挙がる。お坊さんばっかりだけど……。


 正直オレは名前を聞いても知らないけど、この時代の教育をするならば大きな問題はないだろう。


 ウチの教育と合わない心配はあるけど、あまり気にしすぎると何もできないし。少し調べて会ってみようか。


 お互い話して、ちょうどいいやり方を見つけたいね。




side:滝川資清


「風魔か。そろそろ来ると思っておったが……」


「調べるだけならばまだいいのですが。厄介なのは連中は盗人紛いのことをしておることでございます」


 最近尾張に姿を見せておる素性の分からぬ素破が、まさか北条家に仕えるという風魔だったとは。


 風魔は畿内には姿を見せぬので調べるのに苦労したようだが、さすがは望月家というところか。


「連中は騒ぎでも起こす気なのかな?」


「いえ、ただの勝手な行動だと思いまする。お抱えと言っても扱いは素破ですので」


 まあ風魔が来るのは仕方ない。だが連中が尾張で盗人紛いのことをして騒ぎを起こしておるのは見過ごせぬ。


 我らも似たようなことをしたことがあるのだ。気持ちは分からんでもない。されどこのまま捨て置くわけにはいかぬ。


「それと残念でございますが、配下の忍びも使えぬ者がおりまする。騒ぎを起こすなと言うて報酬を出しても、同じく盗人紛いの行動をする者がおります」


「うーん。手癖の悪い人ってどこにでも居るんだね」


 問題は味方にもある。以前から懸念しておったことではあるが、人が増えれば勝手なことをするたわけ者が現れる。


 元々素破など報酬が満足に出ぬからな。敵地で奪えというのが当たり前だ。


 いかに我らが禁じて報酬を出しても、欲を出すたわけ者が出るのは分かっておったこと。


「仕方ありませんね。追放しましょう」


「始末しなくてよろしいので?」


 殿は残念そうな表情をされておる。誰よりも忍びを高く買っておられたからな。決断されたのはエル様か。だが甘いと思うのだが。


「始末したところで同じような者は出ます。念のため手練れに尾行させてください。もし織田の領内で不届きなことをするならば……始末してください」


 確かに見せしめをしても不届き者はいくらでも出ような。奴らにとって忍びの地位を上げることなど興味はないのだ。今日奪える物を奪い明日を生きるだけ。


「風魔はいかがしますか?」


「北条は敵に回したくないなぁ。でも放置もできないか」


「舐められたら、またやられますぞ」


「警備兵だと力不足かな。忍び衆から腕利きを集めて討伐隊を編成しようか。ただし領外に逃げるなら追わなくていい」


「はっ」


 全ての素破を把握して討伐するのは難しいが、やはり追っ手がおるとおらぬでは段違いだ。


 怪しき者は尾行させるしかあるまい。


 それにしても忍びの地位を上げるには、我らがそれに見合う誇りを持たねばならぬな。


 武士とて決して誉められた存在ではないが、我らは必ずや久遠家の名に恥じぬ者でなければならん。


 今一度、家中を引き締めるべきか。放逐する者の件は忍び衆を集めてしっかりと話して罪を認識させねばなるまいな。


 まあ、その辺りは望月殿に任せよう。素破の扱いや選別はやはり慣れておって上手いからな。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る