第139話・忍びの掟
side:水口盛里
八郎様に急遽呼ばれて滝川家の屋敷に来てみれば、忍び衆と呼ばれておる甲賀出身の者たちが妻子や郎党を含めて全て集められておる。
四百、いや五百はおるか。随分多いのだな。
上座には八郎様がおられて、次席には望月出雲守様か。久遠家の重臣としては八郎様が上だが、家柄や元々の身分は出雲守様が上。上手くいっておるのであろうか。
「皆の者。よう集まった。此度は今一度、皆にはっきりと申し渡すことがある」
元々甲賀では
何があったのだ?
「久遠家では忍びといえど、家族郎党を含めて面倒をみる。これは殿が決められた掟だ。おかげで忍び働きのできなくなった者も他の仕事で食っていける。だがそれには守らねばならぬ、もう一つの掟がある」
話を始めたのは出雲守様だ。子供たちまで黙る中で久遠家の掟を改めて口にされた。
「裏切りと盗人の真似をしてはならぬ。それは皆に申し渡したはずだ。しかし、守っておらぬ者がおる」
出雲守様の言葉に末端の忍び衆がざわついた。一方で滝川家と望月家の者は一切の動揺すらない。
なるほど。家中に不届き者が現れたか。
無理もない。某が言うのもおかしいが、氏素性の定かではない素破を抱えておるのだからな。不届き者も出よう。
まして素破は元々は、僅かな褒美があるだけの下賤の存在。
足軽にまで見下されるのだ。気持ちは分からんでもないが。
「今から呼ぶ者を追放とする。速やかに家族と郎党を連れて織田領から立ち去れ。殿の恩情により命までは奪わん」
名を呼ばれた者は驚き、家族からは悲鳴にも聞こえる声が上がる。
「お待ちくだされ! ワシは敵地で敵に打撃を与えたまで。お家のために尽くしたのですぞ!!」
「黙れ! 盗人が!!」
真っ先に名を呼ばれた男は立ち上がると抗議の声を上げた。
血の気が多い男のようだ。何者か知らぬが敵地で不必要に暴れたのであろう。
しかし出雲守様の一喝に場は再び静まりかえる。
「盗人も掟を守れぬ者も久遠家には要らぬ。貴様の勝手な行動で潜入できなくなったところがあるのだぞ!」
盗人が現れれば当然ながら犯人を探す。真っ先に疑われるのは余所者だ。どういう身分で潜入したとて余所者が疑われるのだ。
銭に余裕がある久遠家が、わざわざ潜入を難しくするような真似を好まぬのは道理であろうな。
「殿は忍び衆の身分を認めさせようとされておる。そのためには我らは素破から抜け出さねばならぬのだ。それが分からぬうつけは久遠家には要らぬ。命までは取らぬことに感謝して去るがいい」
「待ってくれ! 今一度、機会を!!」
「ならぬ」
「クッ……。しからば……」
出雲守様の言葉に追放される者たちは
しかし諦めの悪い男も中にはおる。その男は全く聞く耳を持たぬ出雲守様に自らの脇差しに手を掛けた。
「後生で……ござる。我が命を以って……妻と子だけは……」
まさか乱心かと肝が冷えたが、男はなんと抜いた脇差しで自らの首を切り自害してしまった。
「……よかろう。その方の妻子と郎党は残ることを認める」
「ありがとう……ございまする……」
子供たちの悲鳴があがった。しかし見事な決断だ。家族を守るには他に方法はあるまい。
久遠家で働けば飢えぬうえに酒や菓子も食える。武芸や学問も学べるのだ。今更甲賀に戻り、飢えと戦う暮らしなど戻りたくないのであろう。
「しからば。拙者も。家族をお願い致しまする」
そのまま名を呼ばれた者は次々と自害した。全員だ。
伊賀者のように明確な上下関係のない甲賀者では、あり得ぬ覚悟と決断だ。
「よいか。失敗は構わん。成果が無くともな。忍び働きが合わぬ者は他の仕事をやる。だが掟は必ず守れ。よいな!」
自害し事切れた者たちを見ながら、誰一人騒がぬことに驚きと共に恐ろしさすら感じる。
この先この中から不届き者が出ることは、ないのかもしれぬな。
side:久遠一馬
追放するはずの人たちが全員自害したって報告がきた。いったいなにがあったの?
あんまり厳しくしなくていいって、言ったんだけどな。尾張から出ていってくれればそれで良かったのに。
「くーん」
「くーん」
ごろんと寝転んでお腹を見せているロボとブランカをブラッシングをしながら、命の大切さをこの時代の人にどう教えるか悩むな。
この時代は、あまりにも命が軽い。でも、元の世界でも「死をもって罪を償う」といって自殺しちゃう人がいるぐらいだからな……。教育だけではどうにもならないのかもしれない。死を美化する文化だとも海外からは言われてたし。
「……散歩でも行こうか?」
ブラッシングも終わり立ち上がるとロボとブランカも立ち上がり、尻尾をぶんぶん振ってる。そろそろ散歩の時間だからね。
西の空が夕陽に染まる頃。オレはロボとブランカと散歩に行くけど、当然ながら護衛の人が多く散歩なのに物々しい雰囲気なのがちょっと悩みの種なんだよな。
ああ、ロボとブランカは首輪とリードを着けての散歩だ。
自動車事故以前にこの時代には車なんてないけど、この時代だと犬も捕まえて食べちゃうから別の意味で危ない。
まあ那古野でロボとブランカを捕まえようなんて人は居ないと思うけど。
「子供たちは今まで通りで。あと、男手がなくて大変だろうから、そこはみんなで助けてあげて。家中の再婚ならすぐに許可できるし」
「はっ」
散歩をしながらいろいろ考えた結果、残された家族を守ってやることにした。
資清さんに子供たちが虐められたりしないように頼み、夫を亡くした奥さんには生活の援助をして再婚も勧めてあげねば。
この時代のシングルマザーはとても大変だからね。家事が未来とは桁違いに重労働なんだ。そのうえで働くのは楽じゃない。
それなりの身分になれば下働きの人がいるけど、自害した人たちの家族はそんな人がいない所も多かった。
「でも難しいね。敵領を荒らすのも確かに有効ではある。それは分かるけど……」
「無駄に評判を下げることは、久遠家の為にはなりませぬ」
「そこをみんなに理解してもらわないとね」
忍び衆の運用は相変わらず資清さんと出雲守さんにお任せだ。二人はオレたちのやり方を理解して合わせてくれてる。
任務で無理をさせないのは、命を大切にする意味もあるけど、報告が無ければ困るからでもある。成果が無いならば無いなりの報告があれば、次の策を考えられるからね。警備が厳重すぎて忍び込めなかったというのも重要な情報だ。
それに人を育てる時間と費用を考えれば、忍び衆を使い捨てになんてできやしない。
加えて評判の大切さは、資清さんたちも理解しているんだろう。
尾張でも忍び衆は下に見られてるから、滝川家なんかも武家からは軽く見られがちだ。まして久遠家自体が血筋とかないからね。
とはいえ領民には血筋や権威なんてあまり関係ない。
ウチの家臣だというだけで領民からの扱いが違うと、誰かが言ってたくらいだ。
「殿。それと風魔からも当家に仕えたいと申す者が出てまいりました。如何しますか?」
「盗人の次はウチに仕えたい人が来たの? なんかの策?」
「素破乱破などそんなものでございます。報酬と待遇が良いところに鞍替えするのはよくあること。上忍ならば多少なりとも忠義があるのでしょうが、下の者は関係ありませぬからな」
「そうでございますな。潜入するならば正体は明かしませぬ」
「どうしようか?」
家中の忍び衆は上手く纏まるだろうとのこと。風魔の盗人対策も討伐隊を編成して動き始めた。
しかしまさか今度は寝返りたい人が現れるなんて。何かあるのかと疑っちゃうね。
「さすがにすぐに受け入れるのは問題かと。別命あるまでは現状のままで居よというのはいかがでしょう?」
「うーん。そうだね。適当に駄賃でもあげてそうしといて。北条が支払う報酬よりは多めでね」
「駄賃を与えても、持ち逃げするだけになるかと思いまするが……」
「いいよ。風魔が駄賃を貰いに来るならあげればいい。それだけ北条への忠誠心とか無くなるでしょ」
「はっ。そうおっしゃるのならば……。適当な情報を聞き出して褒美に駄賃を与えまする」
忍びも鉄の掟とかないんだろうな。前に資清さんに聞いたけど抜け忍を処罰することはあるらしいが、わざわざ逃げた者を追い掛けて始末までは普通はしないそうだ。
一言で言えばそんな余裕はないらしい。残した家族や親族が罰を受けることはあるらしいけど。
ウチには最近では伊賀者も来てるみたいだしね。
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