第137話・病院と学校と分国法
side:久遠一馬
分国法は直ちに尾張の国人衆に書状で送られた。ちなみに、守護の
反応は様々なようだ。
よく分からないという者が多く、改めて臣従を迫ったのかと考える程度の者も居るみたい。
「反発は大きくないか」
「勝てませぬからな。大殿には」
ただオレが考えていたより静かな反応なのは、資清さんが理由を口にしたことではっきりした。
「結局はそこなんだね」
「そうでございますな。いろいろ理由を付けはしましょうが、最終的には多少の謀反では勝てませんので」
負担と規制のバランスとか真剣に考えたのにな。
よく見れば決して悪い法じゃない。困ったら助けるから常識の範囲内で土地を治めろ。そんな内容になってる。
やるなとは言わない。やる前に報告しろってだけの話。
報告・連絡・相談のいわゆる、ほう・れん・そうをやらせる法律なんて未来だと笑われるだろうな。
「立派な建物だね」
さて分国法の説明やなんかは文官衆にお任せするとして、オレたちは次の仕事に取り掛からねばならない。
町を拡大してる那古野の城下の、城から少し離れた場所にぽつんとある二つの立派な屋敷。オレはそこに信長さんとエルにケティとパメラと助手さん達の医療組と来ている。
屋敷の広さはウチの屋敷の倍以上ある。ここが病院と学校になる建物だ。
町から少し離したのは感染症対策で、そのために病院と学校の周りにも
設計はエルがして耐震性と免震性を重要視した、地上二階建ての建物になる。技術的に既存の大工では少し厳しかったらしく、熱田の宮大工に作ってもらった。口説くのに少し苦労したけど。
自分たちは宮大工であり、神社仏閣しか建てないとか言って嫌がったんだけど、工業村に続きなんとか引き受けてくれた。
歴史に熱田の宮大工の名が残る。その一言が引き受けてくれた理由らしい。
実際に歴史に名が残るだろう。日本初の近代病院なんだからね。
内部は未来の病院を意識してる。病室にはベッドがあり、診察室や手術室もある。
「これは何だ?」
「黒板です。こちらの白い石が白墨。これで字を書くのです。これならば一度に多数の人に教えられます」
一方の学校の方は昔の田舎の学校に見えるね。まあガラス窓がないので厳密には違うが。
信長さんが興味を持ったのは黒地の木製黒板だ。黒板自体は黒い板そのものだけど、当然チョークも用意した。
エルは信長さんに説明しながら字を書くと、信長さんや小姓や護衛の皆さんが驚きの声をあげた。
黒板は原型と言われる物がこの時代の頃からヨーロッパにはあるらしいし、黒い板に白いチョークで書くのは発想的にはこの時代にあってもおかしくない。
それに学校には必要だからね。
紙も墨も安くないから。チョークの原料は貝殻から作れるから、これも佐治さんに頼むか。
ここで使う分くらいならたいした手間じゃない。
「病院はすぐに始められる」
「学校は師と学徒を集める必要がありますね。書物も優先して集めてますが、全然足りません。本格的に始めるには少し準備期間が必要でしょう」
ちなみに学校は未来のような、腰掛けるタイプの机と椅子を用意している。
この時代だと正座とかさせるからなぁ。悪くはないけど勉強に集中してほしい。
病院の方は医療用具や薬を運べば近日中にも始められるけど、学校の方は教師も生徒もまだあまり決まってない。
ウチの家臣の奥さんとかケティの助手をしてるから、彼女たちとか家臣や孤児の中から医者の志願者を募り教える予定。
他には武家に対して領内統治に関わることとか、戦に関する座学とかやりたいけど、どこまで人が集まるのやら。
この学校は高等教育にする予定だから、警備兵の中からも基礎訓練が終わった者を中心に、行政知識や医術を教える計画はあるけどね。
side:織田家家臣
分国法とやらを布告すると殿より書状が来た。
いろいろ書いているが、どうやら決まり事を明確にしたらしい。
「して、内容は如何なるものなのだ?」
「一言で言えば、勝手なことをするなということだろう」
訴訟の決まり事や喧嘩両成敗ならば理解するが、朱印とやらの意味が分からぬ。家中の分かりそうな者に尋ねるが、内容は少し面白うない。
「勝手なことか」
「旧大和守家の家臣が問題ばかり起こしたからな。それに弾正忠家も大きくなった。家中を纏めるのにあれこれと命じられるのは当然だろう」
「今まで通りでは駄目なのか?」
「さあな。それは殿に聞いてくれ。利点もある。飢饉や水害の時には殿が領民や家臣を食わせてくれるのだ。欠点は問題を起こせば領地が召し上げられることか」
何故このような真似を? 今まで通りでいいではないか。上手くいっておるのだからな。
「また久遠殿の入れ知恵か?」
「知らん。だが分国法は今川にあるし、目安箱は関東の北条が既にやっておるそうだ。敵を調べておれば分かることだ。向こうは複数の国を治めておる。それを真似したのであろうな」
あの男が尾張に来てから織田は変わった。良くも悪くもな。
尾張統一は殿ばかりか家中の悲願だった。それを成し得たのは久遠家の力が大きく貢献したのは事実であろう。
されどあの男のやることはワシには理解できぬ。
「この領内の移動と職業の自由と言うのは何なのだ?」
「殿は無能者を嫌う。仮に久遠殿が南蛮の間者でも織田に従い働くならば罪に問わぬだろうが、無能なまま領内を荒らす者は忠義があっても嫌うからな」
「意味が分からぬ」
「岩倉や旧大和守家の家臣の領地から、人が逃げてきておったのは知っておろう。あれを認めるということだ。今までならば同じ家中ならば返さねばならぬが。人が逃げるのが嫌ならば、逃げぬように治めよということだろう」
何故そんなことを認めるのだ? 確かに殿は領民から慕われておるが。そんなことをして大変なことにならぬのか?
農民が逃げ出したら困るではないか。第一逃げるのを止めねばどうやって治めよというのだ。
「ワシには理解できぬ」
「そなたの領地は問題あるまい。領民と苦楽を共にしておるからな。飢えぬ程度に食わせておれば、問題にはされぬであろうよ。問題はそれができぬたわけ者が多いことだ」
確かにワシの領地から逃げ出す者はおらぬ。それほど大領とはいえぬし、領民はみな家族のような者だからな。
領民に槍を向けて働かせたところで、余計に働かなくなるのは言われずとも知れておること。
「それほど酷いのか?」
「召し上げられた領地に行ってみるがいい。我らの領地とは全く違うぞ」
「米の取れる量は変わらぬであろう?」
「変わらぬから殿の怒りを買ったのだ」
考えてみればワシも自領と近隣の領地以外は、ほとんど見たことがない。
清洲の町は年始の挨拶に行ったが、あとは自領で田畑を耕し武芸の修練に励むのみ。父から受け継いだ領地を治めるのは当然で普通に治めれば問題など起きぬはずなのだ。
後日。ワシは召し上げられた領地を見に行き、ため息しか出んかった。
同じ尾張の下四郡にもかかわらず村は貧しく、領民は殿の命で報酬の出る賦役をすることで食い繋いでおった。
田植えは辛うじてやっておったが、草や木の皮を煮て食い、命を繋いでおったとのこと。
「あれは……」
そして偶然にもワシは久遠殿の奥方を見掛けた。
泥と埃にまみれた貧民を一人ひとりを診ていく彼女を、領民は手を合わせて祈っておる。
以前流行り病の際にはワシの領地にも来た。
自ら病に罹ることも
理解はできぬことも多いが、久遠殿も必死なのだろうな。
少なくとも裕福な暮らしに溺れておるようには見えぬ。殿が気に入られたのは、そんなところもあるのかもしれぬな。
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