第119話・望月さん

side:滝川資清


 殿が意外に頑固であられることを知る者は少ない。


 わしと彦右衛門や織田の大殿と若様くらいであろうか。本来ならば家老は織田一族から来ていただく方が、久遠家のためであろう。


 現状でも尾張の久遠家は織田弾正忠家の次に裕福なのだ。尤もそれは大殿と若様などは知っておるし、土産物や四季の贈り物を受け取っている者は承知のことだろう。


 厳しい言い方をすれば、分不相応な銭と力が久遠家にはあるのだ。ワシは織田の大殿に疑念を抱かれたらどうするのかと、一度だけ聞いたことがある。


 殿のお答えはあっさりしておった。疎まれたら尾張から出ていけばいいと。我ら滝川一族郎党くらいならば、面倒を見るからと言われたら、それ以上は何も言えなかった。


 思えばわしは久遠家、そして本領の力を何も知らぬとあの時、悟った。南蛮船をあれほど保有し、交易のために遠方まで船団を派遣できる久遠家の力を全く理解していなかったのだとな。




「出雲守殿。何故わざわざご自身が尾張に。弟殿でも良かったはずでは?」


「わしでなくば仕官は叶うまい。地位も領地も捨ててこそ、信じていただけるはずだ」


 望月家の者たちは、しばらく久遠家と我が家にて滞在させることになった。わしは出雲守殿に面識はない。だが今のうちに真意を確かめておかねばならぬ。


「八郎殿。そなたなら、わしの気持ちが理解できるはずだ。貧しき甲賀におっては先がない。手柄を上げても、所詮は甲賀衆でしかない。御屋形様はともかく、六角家家中でさえ素破・乱破と蔑まれるのだ」


「しかし出雲守殿ほどになれば……」


「変わらぬ。知っておるか? 六角家中では久遠家を、商人上がりの身分が卑しき者だから、家臣が集まらぬのだと笑っておるのだぞ。久遠家が仕官を断っておることを知りもせず」


 どうやら本気らしいな。気持ちは分かる。かつて甲賀衆はまがりの陣にて、六角家の危機の時には活躍したのだ。それでも素破・乱破と言われるのが現状だからな。しかし……。


「本当は信濃の本家に千代女を嫁に出して、縁を深くしようと思ったが、武田も村上に負けて如何になるか分からぬ。わしは八郎殿の下でいい。八郎殿の地位を脅かす気はない」


「織田家と久遠家を甘く見るならば、止めた方がいいと申すつもりでしたがな」


「滝川一族と郎党の子供らの元気な姿を見た。あれが他で得られるのか? すぐに信じてもらえぬのは理解しておる。だが結果は必ず出す」


 決意は固いか。甲賀の領地も完全に捨てたわけではないが、一度譲った家督と領地が戻る保証はない。受け入れても問題はなかろう。


 わしは殿の補佐で忙しく、忍び衆を束ねることまで手が回らんのも確か。出雲守殿ならば、その辺りは得意であろう。


「わかった。ならば反対はせぬ。どのみち織田と六角が戦をすることは、現状ではあるまいしの。ただし裏切れば、我ら一族の命を懸けて必ず始末する。それだけは忘れんでほしい」


「裏切るほど六角家に恩はない。それに幕府のお守りで大変な六角を攻める意味は、今の織田にはあるまい」


「確かに」


「六角も今が盛りかもしれぬ。御屋形様は確かに天下に名が知られておるが、足利将軍などいつ敵対するか分からぬのだ。無駄に助けねばいいものを……」


 六角の御屋形様は誰もが認める。だが幕府は難しきところだな。幕府あっての守護であるはずが、畿内を離れると誰も幕府になど従っておらぬ。


 それでも畿内においては、それなりに権威がある。今のところ幕府を脅かす大義名分もないしの。三好や細川、六角の争いも、あくまでも幕府内の権力闘争でしかない。


 今のわしなら分かる。六角の御屋形様は、幕府に深入りし過ぎておる。近江の銭と力が幕府のために使われても、六角にも近江にもあまり見返りはないのだ。


 管領代の地位とて何処まで役に立つのやら。


 出雲守殿は、やはり有能だ。安易に気を許せぬが、久遠家の役には立つであろう。


 裏切れば、その時は我ら滝川一族が必ず始末する。その覚悟は伝わったであろう。




side:久遠一馬


「望月か。あまり聞かんな」


「本家は信濃でございますな。甲賀にある国人衆の筆頭と言われておりまするが、そこまで六角家に近いわけではないと思われまする」


 望月さんが来たことで急遽清洲に行き、信秀さん信長さん政秀さんに、オレとエルと資清さんが揃って話し合いをすることになった。


 信秀さんと政秀さんは、名前くらいは知ってるらしい。ただ名前以上に詳しくは知らないようで、資清さんが説明してくれたけど。判断に迷うね。


「力量はいかがなのだ?」


「それは確かかと。某のような者とは違います」


 信長さんが気にしたのは実力だ。家柄や六角家との関係も大切だけど、一番重要なのは実力だ。


「この件は、管領代様はご存知なのでしょうかね?」


「知らんはずはなかろう。配下の家が分家するのだ。許可は取ったはずだ。されど策ならば少しやり過ぎだ。言い出したのは出雲守と見るべきであろうな」


「さようでございますな。当主が自ら城を明け渡してくるのは、一時的な物ではないかと。ただ管領代様のことです。伊勢を気にして織田との伝手を、持ちたいとの思惑はあるでしょうな」


「蝮からも尾張統一の祝いの品が送られてきたし、北条からも祝いにと馬が届いた。ちょうど良かったのであろう」


 もう歴史にある信秀さんじゃないってことか。尾張は現在守護代は居ない。今なら統一尾張の守護代に就けるが、急いで守護代になる必要が全くないんだよね。


 それでも尾張の支配者になったことに変わりはない。周りがこれからどうするのか、気にしないはずもないか。


「甲賀衆はそうにより治めております。良く言えば互いに協力しておると言えますが、悪く言えば互いに見張るようなもの。皆が似たような待遇ならば良かったのですが、某があまりに急に立場が変わってしまいましたからな」


 六角家の策かは断定できない。でも資清さんが語る甲賀の内情からすると、バランスが崩れた可能性がある。


 惣という合議制により治める地域だが、別に民主主義の思想がある時代じゃないしね。時には協力して、時には監視する形で、誰かが強くなるのを潰していたって不思議じゃないか。


 つまり、いきなり資清さんを身分に合わない待遇にしたオレのせいでこうなったのか?


 なんか史実の観音寺崩れを思い出すな。意外に六角家に対する家臣の忠誠は、高くないのかもしれない。忠誠は家ではなく、今の当主の六角定頼個人にあると見るべきか。


 史実の信長さんもそうだったんだよね。


 六角家は過去の苦しい時には、甲賀に逃げて戦うほどだったが。甲賀の人たちはそんなに家中の地位があるようには見えない。


 ほころびの可能性は、史実でないとこにもあるということか。


「さて、いかがするか」


「何事にも利と損があります。望月家を召し抱えれば、織田家は甲賀衆に深い繋がりを持てるでしょう。断ればそれを失います。懸念は情報漏れですが、多少の情報が漏れたとて、当家にも織田家にも大きな損にはならないと考えます」


「知られて真似できる程度なら、遅かれ早かれ広まるのは確かか。確かにあの高炉と言ったか。仕組みは聞いたが、やれと言われても真似るのは難しかろうな」


「はい。何より今の管領代様は、敵に回してはなりません」


「良かろう。駄目ならば追い出せばいいのだ。ワシが六角家に文をだす。召し抱えるのは、それからだな」


 一通り意見が出尽くすと、無言だったエルが口を開く。


 エルは賛成派か。まあ情報の漏洩は、オレもあまり心配はしてない。虫型の偵察機で見張りは付けるしね。それにエルたちが情報の扱いで、後手に回るのはあり得ないだろう。


 信秀さんはもっとシンプルに考えたようだ。駄目ならば追い出せばいい。まさにその一言で済むのかもしれない。


「領地も広がった。情報を集める人手が足りんのも確かだ。そなたたちで情報を集めよ。ワシも間者を少しは抱えておるが、手が足りん」


「心得ました」


 今のところ織田家に大きな問題はない。しかし伊勢守家や旧大和守家の家臣なんかが、完全に弾正忠家の家臣として上手くやれているわけではないんだよね。


 上手くいっている時はいいけど。今後を考えたら望月さんを雇わざるを得ないよなぁ。




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