第117話・梅雨の訪れ

side:山内盛豊


 弾正忠家への臣従が無事に終わった。


 良かった。本当に良かった。家中の者も皆、安堵した顔をしておる。皆の者は理解しておろうか。此度の戦が弾正忠様のお陰だと。


 頼んですぐに兵糧が届き、商人たちが我らに協力的になったのは、すべて弾正忠様のおかげだ。殿は初陣を用意された気分だとこぼしておられたが、まさに弾正忠様に御膳立てされた戦だろう。


 頭を使えと言われたが、まさにそれを教えてくれたのであろうな。


 少し領地の整理をしたいと言われたが、協力せねばなるまい。実入りは変わらぬようにすると言われておるしの。欲しいのは要所であろうな。


 どのみち直臣にならぬかと求められれば、ほとんどの者は断れまい。あまり意地を張って領地を残して、じわじわと削られるなら今のうちにはっきりさせた方がいい。




「これは……、なんだ?」


 この日は、殿と重臣一同で清洲に来るように求められて、連れてこられたのは那古野の砦のような場所だった。


 深い堀と高い塀に囲まれた中は、清洲の城より広いぞ。ここは冬に普請をしておったという噂の場所か? 何か訳の分からぬ物を造っておると噂で聞いたが。


「皆様。ようこそ。ここは織田弾正忠家直轄の工業村です。私は代官の久遠一馬。通称はありませんから、好きにお呼びください」


 若い。弾正忠家の若様と同じ元服したばかりではないか? この男が噂の久遠家の当主だとは。


「久遠殿。工業村とは?」


「工業村とは物作りの村のこと。現在は主に南蛮の技術で鉄を作ってます。あとは刀鍛冶なんかも多少はおります」


 見た目は噂の人物だとは思えん。まげも結ってなければ、着ておる物も普通だ。商人でももう少しいい服を着ておるぞ。


 だが見た目に騙されてはならぬ。弾正忠様を前にしながらも、緊張した様子が全くないとは。


「鉄をここで……?」


「はい。よそに売るほどあります」


 久遠殿の態度は殿に対しても変わらぬ。良う言えば自然体か、悪う言えば少しうつけにも見えるが。


 それよりも問題なのは、鉄だ。大量の鉄が山積みにされておるのだ。あれほどの鉄を、まさか那古野で作るとは。


「伊勢守よ。ここだけではないのだ。一馬の知る南蛮の知識や技術を試しておるのはな」


「なっ……」


「いつまでも明や南蛮から買うばかりでは、困るであろう? 実はな。山の中にも村を作りたいのだ。秘密が守れて人が来ぬような山の中にな」


「それならば、上四郡にあると思いまするが」


「一馬に協力して場所を探してくれぬか? 尾張が豊かになれば、二度とつまらぬ戦など起きぬはずだ」


 恐ろしい。ワシは今までで一番、弾正忠様を恐ろしいと思った。上四郡や守護代のことなど、眼中にないのだ。


 このお方はいったい何処を見ておるのだ!?


「米が取れる場所で、ということでしょうか?」


「いや、米は要らぬ。詳しくは言えぬが、米が無くとも暮らしが成り立つようにする村だ」


「それならばいくらでもありましょう。山の民がおるやも知れませぬが、村一つ程度なら問題はありませぬ」


「では一馬と共に場所を見つけ、手伝ってやってくれ」


「はっ」


 次から次へと運ばれていく鉄に、驚き言葉が出ぬ我らの前で殿は弾正忠様に新たな命を受けた。


 米の育たぬ山の中で何をする気だ? 分からぬが、上手くいけば恐ろしいことになる気がする。刃向かってはならぬな。若様は弾正忠様への臣従が不満らしいが、よく言い聞かせねばならぬ。




「殿。そういえば、あの狼藉者はどうしたんですか?」


「……おったな。そのような者が。伊勢守よ。連れて帰ってもよいぞ。それともこちらで始末するか?」


「連れて帰りまする。わが家で裁かねば、家中に示しがつきませぬので」


 工業村とやらを見聞し清洲に戻る際に、久遠殿は忘れておったことを思い出したように、事の発端となった奴のことを口にした。


 ワシも忘れておったが、弾正忠様も殿も皆が忘れておったらしい。あのたわけ者どころではなかったからな。


 連れて帰るのか。殿はせめてけじめを付けたいのであろう、今更あやつなど要らぬからな。




side:久遠一馬


 季節は梅雨に入ったらしい。


 毎日しとしと降り続く雨が好きではないのか、少し大きくなった子犬のロボは室内で暴れている。まだやんちゃ盛りだからね。まあケティが躾をしてるようで、人に迷惑をかけるほどではないけど、とにかく走るのが好きらしい。


 上四郡の整理では、あまりオレとエル達の仕事はない。それというのも名前を聞いても誰だか分からなく、正確な地図もないうえに領地がどこからどこまでかが曖昧なのだ。


 しかも戦国時代名物である血縁祭りが、少なからずみんなにある。どこの一族で誰と血縁があり、織田弾正忠家の家中との繋がりなど知らないことが多すぎて役に立たない。


 この作業は信秀さん付きの文官と、重臣の皆さんに任せるしかない。


「それにしても全域とは思いきったね」


 オレたちは分国法の下準備と、弾正忠家の領地全域の検地と人口調査の準備をしている。どうも清洲の検地と人口調査の報告書が、相当気に入ったみたいなんだよね。信秀さん。


「やるなら今ですからね。さすがに政治的な感性は凄いです」


 検地には不満もあるらしいが、断ると言えないのが戦国の定めなんだろうね。人の数と米の取れ高が分からなければ、飢饉の時にどれだけ食料が必要か分からぬだろうと、堂々と言い切ったのは凄かった。


 困っても助けてやらなくていいのかと睨む信秀さんに、誰も反論できなかったよ。


 実際所領の状態や人口を、きちんと把握してない武士も多いみたい。基本的に個人に年貢を納めさせるというよりは、村単位で納めさせることが一般的らしく、細かくチェックしてないみたいだからね。


 見た感じだと極端に隠したり、不正を働いてるわけでもないと思う。ただ、みんな雑でどんぶり勘定なだけだ。


「飴と鞭が上手いよなぁ」


 検地で多少不満を感じる家臣が居る中、信秀さんは武芸大会をやると宣言した。優秀な者には褒美を出すと言うと、武士たちの目の色が変わった気がする。


 戦での武功は機会が限られてるし、武芸大会で活躍すれば褒美を貰えて、更に次の戦で武功を得られる配置にしてもらえるかもしれない。何より名誉が得られるからね。


 検地と武芸大会をセットにする辺り、信秀さんの政治力の高さを感じる。


「明らかに私たちの価値観や考え方を学んでいます。検地が弾正忠家による統制に繋がるのは明らかですが、流行り病の際に薬と食料を無料で家中にばら撒きましたからね。何かあれば助けてやるのだから従えと。その条件なら謀反まで起こしませんよ」


 仏なんて異名は困ると言ってた割に、使える時は使う姿勢は凄いね。


「この際、正確な地図も一緒に作れないかな?」


「尾張の人々自身が作るという意味の地図ですか? 少し難しいですね。測量は大変ですよ。特に技術者が居ませんし。それにあまり調べすぎると、家中が反発します」


 検地で思い出したけど、この時代の地図って微妙なんだよね。正確な測量とかしない地図だからさ。


 史実だと江戸期に伊能忠敬が精巧な地図を作ったけれど、あそこまでいかなくてもあれば便利なんだけどなぁ。エルは地図は時期尚早だと言う。まあ検地と人口調査やるだけで進歩してるし、焦るのは良くないか。


「うん? 遊んでほしいのか?」


「クーン」


 そのまま検地と人口調査の書類を整理していると、屋敷内で遊んでいたロボが、オレの膝の上に頭を乗せて休憩し始めた。


 構ってほしいのか、こちらを見つめ尻尾が揺れている。


「よしよし。ブラッシングでもしてやるか」


 そんな円らな瞳で見つめられたら、仕事なんてできないよ。ロボ専用のブラシを持つと、嬉しそうに尻尾がパタパタと動く。


 ブラッシングをしてやると、ロボは目を閉じて気持ちよさげにしてるように見える。みんななんだかんだと甘やかすんだよね。


 でも、こんな時間も必要だ。



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