第82話・農業試験村
side・久遠一馬
冬の一大事業で一足先に完成したのは、
村人の家を建てながら、同時に人海戦術で湿田の埋め立てと遊水池の造成とかしたけど、難しいことはしなかったから早かったみたい。
「これが田んぼでございますか……」
パズルのように地形や村人次第で、バラバラな形が当たり前の田んぼが普通のこの時代に、まっすぐな長方形の田んぼ。オレには懐かしいが、この時代の人には驚きらしい。
ついでに米蔵と水車小屋もサービスで作っておいた。食料の備蓄と精米とか粉挽きが楽になるはずだ。
村人たちは再建された村に涙を流してる人も居るけど、この時代の人って涙もろいの? よく泣かれるんだけど。オレたち。
「牛を貸し出すから、さっそく耕してみましょう」
引っ越しは荷物らしい荷物はほとんど無かった。鍋や釜を持ってればいい方で、着の身着のままの人が多い。
村人の家は配置が適当だったのを整理したけど、家の形なんかには今回は手を付けなかった。慣れ親しんだ家が一番かと思ってさ。
村の真ん中に広場を設けて、そこから真っ直ぐな道を四方に伸ばしながら道沿いに家を建てて、元々村にあった小さな寺も建てた。
「これは?」
「
引っ越しも必要ないので、さっそく新しい農業のやり方を教えよう。牛と史実の
あとは津島や熱田に作ってもらった魚肥を粉にして、田んぼに肥料として加えていく作業になる。
そんなに難しくないし、農業が本職の人たちだからね。すぐにコツを掴んだみたい。
「エル、そっちは?」
「ええ。順調です」
それと老人と未亡人なんかの女性向けの仕事にと、機織りを冬の間に教えていた。機織り機は貸し出すことにして、当面はウチから木綿糸を提供して布を作ってもらう。
難しい柄や配色はまだできないけど、真っ直ぐな布くらいは織れるようになったみたい。
それと内緒だけど肥料をウチが提供する代わりに、新しい肥料の材料としてこの村の糞尿は別の場所に運ぶことにしてる。
硝石丘法の実験のためだ。
現状で織田家の硝石は全てウチが格安で提供してるけど、多少でも自給させることを目的に硝石丘法を伝えた。
信長さんも信秀さんも半信半疑な部分があるらしいけど、駄目なら肥料にすればいいということで、テストすることにしている。
オレたちも実際にやったことないしね。それも伝えてある。時間はかかるがたいした手間は掛からないから、やってみようってことだね。
「この度は多大なお力添え、本当にありがとうございます」
「ああ、和尚様。春に間に合って良かったですね」
「はい。本当に良かったです」
子供たちも家の裏にある土地を畑にすべく、鍬で耕したりしていて、みんなイキイキと働いてる光景を眺めていたら、村にある寺の和尚様がやってきた。
小さな村の寺の和尚様だ。自ら田んぼを耕すし畑も作るような半農の和尚様だ。
「文字の読み書きの方はお願いします。紙や墨は用意しますから」
「お任せを。しかし何故、読み書きに拘りなさるので?」
「将来的に収入源を増やしてやりたいんですよ。読み書きができれば写本も作れますし、働き口も見つかるでしょう?」
当初考えていた文字の読み書きは、まだあまり進んでない。男衆は冬の間は賦役で働き、女衆には機織りを教えていたし、老人は流行り病の現場で働いてもらったからね。子供たちも年長さんが小さい子の面倒を見たり、食事の準備を手伝ったりでやっぱり時間が取れなかった。
村に戻れば文字の読み書きを教えられるのは、年老いた和尚様だけなんだ。
ぶっちゃけ教育と宗教は切り離したいんだけどね。現実的には和尚様にお願いせざるを得ない。
この村の和尚様は人格にも問題はないし、清く貧しくという理想の宗教家なのもあるけど。
皮肉なことだけど、歴史に名前が残らなかった宗教家の方がまともな人が多い気がするね。悪名高くないと歴史には名前は残らないのかな?
「河尻をか?」
「ああ、裏切るような男ではあるまい」
農業の試験村が始動し始めたので、次に手を付けたのは山の村だ。
この日は清洲城で信秀さんと政秀さんに、信長さんとオレとエルで具体的な話を始めたけど。信長さんから意外な提案があった。
元清洲方の河尻与一。バトルジャンキー与一を、山の村の代官にしてはどうかという提案だ。大胆というか何というか。
山の村はどうしても清洲や那古野から離れた山間部に作らねばならず、尾張だと北か東の方になる。場所的に三河や岩倉も近く秘密を守るために、相応の人に任せねばならない。
秘密を守り裏切らずに、私利私欲に走らない。しかも周りへの対策からあまり地位が低い人にも任せられないという、難しい人選なんだよね。
「うむ……」
河尻さんの忠心は今のところ、信秀さんにも織田家にもないだろう。さすがの信秀さんも唸ったまま、黙り込んでしまった。
山の村では椎茸栽培とか養蚕とかするから、中途半端な人には任せられないんだよね。
まあ村人の中にはこちらの間者を入れて、中からも監視する必要はどのみちあるんだろうけど。
「よろしいのではないでしょうか。遅かれ早かれ領内には広めることになります」
信長さんの大胆な意見に賛成したのはエルだった。
この辺りは本当に難しいとこだけど、農業なんかは領内に広めることを前提にした計画なんだよね。
いずれ外部に漏れるのは仕方ないとも言える。
「少しまて。この件は内々に聞いてみる必要があろう」
結局信秀さんはこの件を一旦預かることにしたようだ。まあ他にも適任な人は居るかもしれないしね。
いくら戦に勝ったとはいえ、守護代家の元家老に山中の小さな村の代官をしろと一方的に言うのは難しいのかもしれない。
「そうだ、親父。竹千代のことだが、オレの方で預かっていいか?」
「竹千代か。あれも扱いに困る者よな」
山の村の件が一段落すると、信長さんは竹千代君の話を持ち出した。
嘘か本当か銭で買われて、織田家に来たらしいけど、
あそこは家臣の息子とかが、今川の人質に居るし、織田家に臣従するのは無理な気がするけどね。
三河の織田領は、松平宗家に臣従していた者や縁がある者が多い。粗末な扱いをすれば、三河の統治に影響が出るだろう。
「広忠としては、家を分ける気なのか?」
「そのつもりかもしれぬな」
息子を見捨てる親を立派と見るか、人でなしと見るか。少なくとも信長さんも信秀さんも、人でなしとは見てないみたいだ。
この頃より少し後になると、どちらが勝っても家が残るように、親子や兄弟で敵味方に分かれて家を分けることはよくあるんだよね。
本当にそれを狙ってるとしたら、松平広忠も優秀な人なのかもしれない。この時代なら当然の考えなのかもしれないけど。
松平広忠は最初から厳しい境遇の武将だし、無能には思えないけど、義元に頼ったのは個人的にどうかと思う。他に選択肢がなかったのはわかるけど。
「まあ好きにするがいい。屋敷に閉じ込めておくよりは良かろう」
今一つ扱いが厄介なんで、今までオレたちは関わらなかったけど、信秀さんは信長さんに任せることにしたらしい。
小姓待遇の家臣扱いでも現状よりはマシだしね。史実の色眼鏡で見なければ、それが無難だろう。
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