第81話・史実の英傑

side・久遠一馬


 信長さんは二百の兵を銭で雇用した。


 全員悪友なので間者を疑う必要もないし、実際工業村の警備にこれくらいの人数は必要なんだよね。まあ兵を銭で雇用するのは別に珍しくはない。


 堺の町なんかだと傭兵を雇ってると聞くし、有名な大名なんかも場合によって雇うことはあるらしい。


 とはいえ土地と兵を切り離す第一弾としては、悪くないだろう。まして二百人は信長さんの子飼いの兵だ。


 必要でもないのに足軽を二百人も雇えば、既存の武士が反発するかもしれないけど、工業村の警備は必要だからね。


 半士半農の武士や家臣に人を出させるよりは負担もないし、信長さんも自由に使える兵になる。


「構えな」


 ただワルガキばっかり二百人集めても、すぐに使えるわけではない。


 結局は先日ウチが雇った百名の新兵と共に、訓練させることになった。


 武芸に火縄銃や学問は当然ながら、効率的な肉体作りに集団での捕縛術や組織として町を守るためのイロハを教える予定だ。


 指導者は信長さんの武芸の師と、ウチのジュリアとセレスになる。


 細かい武芸は信長さんの師匠に任せて、ジュリアたちは肉体作りや捕縛術に戦闘技術など、応用というか近代的な価値観からの指導をすることになった。


「人数の優位を生かすんだよ。後ろ! 何してる! 死角が攻めないでどうするんだい!」


 意外だったのは信長さんの師匠たちとの連携が悪くはないことか。ジュリアたちが相手に敬意を払ってるのもあるけど、訓練内容に反対するどころか興味を持つとは思わなかった。


「いろいろ考えておるのだな」


「個人の武勇だけで戦えるなら足軽は要りませんからね」


 信長さんと師匠たちは、ジュリアたちが教える戦闘技術に興味津々だ。


 特に今回は工業村の警備ということで、あくまでも殺さずに捕らえることを前提にしてるから、刺叉さすまたなんかも与えて訓練させてるしね。


 相手を殺すことを前提にしたこの時代の武勇とは、少し違う物がある。


 そもそも戦場じゃないんだから、領民相手に刀を抜いて斬るのはね。それに間者は捕まえて情報を吐かせないと。




「某も見て宜しいでしょうか?」


「河尻か。構わぬ」


 那古野郊外で訓練させてるとこを見ていたオレと信長さんだけど、意外な人物が訪ねてきた。


 河尻与一さん。セレス曰く、先日の戦でジュリアと戦ったバトルジャンキーさんだ。女に負けたとの恥を隠すことなく語った、良くも悪くもまっすぐな人。


「噂以上ですな。並の男どころか武将にすら勝てるというのも頷けますな」


 どうもこの人、ジュリアを探してるみたいなんだよね。正確には自分を負かした忍びを探してるみたい。


 ただジュリアの身長はこの時代の女にしては当然高い。まして武芸に秀でたと噂になってるから、馬鹿じゃないなら正体バレるよね。


「尾張は広いですな。某を負かした素破も強いおなごでした」


「探しておるそうだな。見つけて如何する気だ?」


「最初は何故某を討ち取らなかったのか、尋ねたかったまで。某には討ち取る価値もないのかと、聞きたかったのです」


 ああ、やっぱりバレてる。


 どうしようかなと考えてると、信長さんが単刀直入に探してる理由を聞いた。信長さんらしいけど、意外に河尻さんには一番いい対応かもしれない。


「最初はか」


「今は一目素顔を見たいと思ったまで。某を討ち取らなかった理由は分かりましたので」


 ジュリアが河尻さんを生かしたのは、大した理由はないと思うんだけどね。クズみたいな人だったら、多分討ち取っただろう。


 河尻さんはジュリアの立場から討ち取らなかったと、誤解してる気がする。ぶっちゃけ首を取って手柄にする気ないんだよね。オレたち。




「この子はどなたです?」


「松平家の竹千代だ」


 訓練から数日が過ぎたこの日、信長さんが鷹狩りに行くと言うので城に出向いたら見知らぬ子供が居た。まだ未就学の幼児くらいの子だ。


 信長さんの小姓や友達にしては幼いし、大人しい子だから誰かと思えば家康かぁ。


 少し不安げな様子で周りの様子を窺ってる。


「連れていくんですか?」


「いつまでも閉じ込めておいても、仕方あるまい」


「まあ、そうですね」


 これが史実の偉人か。どうも信長さんが竹千代君のことを気にかけていて、連れてこさせたらしい。


 三河もかなり安定しちゃったしね。今川が信広さんを捕らえて人質交換ってのも無さげだし、今から教育しといた方がいいか。


 そもそも史実だと信秀さんは、数年で体調を崩すんだよね。ちなみにこの世界の信秀さんは、ケティが流行り病の際に何度か診察したけど健康体らしい。


 食生活を少し注意したみたいだけどね。


 まあ生活環境も変わったし食べ物も変わってるから、史実同様に亡くなることはないだろう。気を付けなきゃいけないのは毒殺だけど、そっちは密かに信秀さんの周囲に虫型の偵察機を配置している。


 八十くらいまでは生きてほしい気もする。長生きして天下人になったりして。


「仕方ないとはいえ、厳しい世界ですね、武家は。オレなら家族のためなら地位も領地も全て捨てますよ」


「心配しなくてもお前たちから人質など取らん。好きなようにするがいい」


 信秀さんのことはともかく竹千代君。いっそ三河に返してあげたい気もするね。


 でもなぁ。返しても今川に送られるだけだし。お母さんは水野さんのとこに居るしな。


 本当に今も昔も未来でも武力勢力同士の嫌な一面だよね。信長さんはその点は合理的というか、変わってるのかもしれない。




 そういえば信長さんの鷹狩りで有名な六人衆とかは、まだ居ないんだよね。


 あの信長公記の作者の太田牛一も、まだ織田家には居ないみたい。この日は可成さんが御付きに加わってるけど。


 そもそもこの時代の鷹狩りって、イメージと微妙に違う。大勢の人を使って獲物を追いたてるからね。


 移動中、馬に乗るのは信長さんにオレと可成さんで、後の御付きは徒歩になる。むろん竹千代君も。


 信長さんはあまり気にしないけど身分差はあるし、そもそも馬を持つには相応の収入がないと無理だからね。元の世界だって、馬を持っている人なんてほんの一部の大金持ちさんだけだからな。


「お見事ですな」


 結局この日は昼の休憩までに、兎と雉を一羽ずつゲットした。お昼はウチから持参したお弁当を囲み、みんなで休憩だ。


 御付きの人とか多いから、馬三頭に大量の弁当を運ばせての昼食になる。オレたちと一緒に居るせいか、信長さんったら昼食を食べるようになったんだよね。


 メニューはおにぎりと漬物に、おかずを何品か用意してきた。


 竹千代君は見てるだけだったけど、尾張に来てからほとんど軟禁されたままだったらしく、次第に表情が和らいできている。


「うめえ!」


「なんだこりゃ!」


 そこの欠食児童のみなさん。そんな争うようにガツガツと食べなくても大丈夫ですよ。ちなみに今日のおかずは小魚の佃煮があって人気らしい。


 おにぎりには梅干しも入れてるから、そのままでも美味しいんだけどね。甘辛の佃煮がこの時代の人の口に合うのかもしれない。


「これも醤油と砂糖か?」


「ええ。そうです。ウチでは佃煮って呼んでますけど」


「何故佃煮なのだ?」


「さあ? 私が考えたわけではないので、名前の由来までは」


 竹千代君も可成さんも食べてみて、その味に驚いてる。


 信長さんは醤油と砂糖の味を覚えちゃってるから、味つけに気付いたけど名前のことは聞かないでほしい。


 佃煮って正確にはこの時代には無いんだよね。そもそも砂糖は高価だし、醤油は原型はあるけど一般には普及していない。


 金色酒もそうだけど、気に入ったなら好きに名前を付けてほしいとこだよ。


「これは甘めですけど、もう少し味を塩辛くすると保存もできるんですよ」


「ほう。それはいいな」


 尾張は魚が捕れるからね。佃煮を作れば干物と塩漬けに続く第三の保存法になっていいだろう。


 問題は醤油の生産にまだ手を付けてないとこなんだよね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る