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省エネ主義。事なかれ主義。部活に精を出そうがプロになれるわけでもない。文化祭で目立ったところで試験の点数は一点だって上がりはしない。やらなくていいことはしなくていい。時間は有限なのだから、時間の浪費は人生の無駄なんだ。
なんて、何度頭の中で繰り返したか分からない。
実際、周りの同級生はそんな人だと僕を見ているんだろう。いや、僕なんて日陰者、そもそも意識の外側にいるんだろうか。
己の意志で無気力なんだと、それが僕のポリシーなんだと、そう誰に言うわけでもなく、自分の中で豪語していたことがある。
それが、かっこいいと思っていた。そう、僕はかっこいいと思われたかった。一歩引いた目線で世界を見てるクールなキャラ。確か、あの家から解放されて初めて読んだ小説の主人公はそんなキャラだった。他にも、部活のエースとして大会で活躍し、全校生徒の前で賞状を受け取っていた熱いキャラ。文化祭ではクラスを率いて準備を進め、最優秀賞をとって胴上げをされていたカリスマ的存在。そんなかっこよくて、求められる人間に、僕はなりたかったんだ。
けど、小心者の僕に行動を起こす度胸なんてありはしない。せいぜいがコツコツ勉学に励むくらいで、それだって目立つのが怖くて休み時間に授業の予習復習なんてしたりはしない。まあでも、そのかいあってかこの間の試験では学年で三十一位だった。残念ながら、上から三十番までが廊下に張り出されるうちの学校において僕の学力なんて誰も知らないだろうけど。
推理小説の探偵に憧れ、謎解きの勉強をしたことがあるが、遺憾ながら僕の推理力を披露する殺人事件はまだ起きていない。もっとも、起きたところで推理ショーに名乗りを上げる度胸もないが。
そんな風に大勢の注目を浴びる奴なんてのは、きっと生まれた時から決まているんだと思う。そんなことを考えながら、僕は視線を斜め右の席に向ける。すると、ちょうど数学教諭からその席に座る男子生徒が「ここで用いる公式は何だ」と問われた。そして彼は、うーん、とたっぷり悩んだ挙句「分かりません」とあっけらかんとした声で返した。クラス中からクスクスと葉が擦れるような声が聞こえる。すると彼は「あいつならきっとわかりますよ」と違う男子を指さし、またしてもクラス中で笑い声が起こった。数式ばかりを眺めていたクラスメイトの顔が一斉に笑顔に変わる。気が付けば、自分の口の端さえヒクヒクと痙攣している。僕はそれが何だか悔しくて、右斜め前の席から視線を逸らした。
逃げるように、窓の方へと首をひねる。ああ、この教室から富士山が見えるんだ、と僕はこの時初めて知った。
ぽっかりと空いた、隣の席。どうやら席の主は、今は席を外しているらしい。
大して、話したことはないけれど、僕は隣の席に座る女子生徒を知っている。
――季乃音々(ときのねね)
いつも笑顔で、誰とでも分け隔てなく接している気の良い少女。それが、僕の彼女に対する印象だ。“探偵部”なる部活を自ら設立したと聞いた事があるから、行動力も備わっているのだろう。
前の授業の時はいたはずだが、なぜ今は欠席しているのだろう。だなんて、考えたところで答えが見つかるはずもない思考が浮かんでくる。
あーだこーだと憶測を並べてみた。端から分かっていた事だが、挙げた憶測の真偽を確かめる術がすべがない事実に直面する。やがて飽きてきた僕は、季乃さんについて思考を巡らせた。
先日の席替えをきっかけに、僕は季乃さんと席が隣になった。それ以来、気が付けば僕は授業中に彼女の横顔を盗み見てしまうのだ。彼女がとびきり美人だから……などと言う事はない、とは言い切れなくもなくはなくなくなくないのだが、僕が彼女をつい見てしまうのにはれっきとしたわけがあった。
落ちこぼれの僕にもはっきりと分かるほど、彼女の中には――。
「ではここを芦屋。……おい、芦屋、芦屋虎宵(あしやこよい)、聞いてるのか」
と、突然数学教諭に名前を呼ばれ、思考の逃避行はここで終わりを迎えた。
「は、はい。えーっと……」
問題を解けばいいのか、それとも教科書のどこかを読めばいいのか、僕を指した意図が分からず言葉の尻がどんどんとしぼんでいく。
「120ページを読みたまえ。まったく、授業中にボケっとするんじゃない」
「お前の授業がつまらねえからだろうが」
なんて、言えるはずもなく。ただ僕は、壊れたラジオのように「すいません」を繰り返すばかりだった。
授業の終了を知らせるチャイムが鳴り、それと同時に学級委員が号令を上げる。最初の「あ」と最後の「た」だけはっきりと発音すれば、しっかりと挨拶したように聞こえるものだ。
数学教諭がドアを開けるのを眺めながら、僕は自分の席を後にする。まるで誰かに用事でもあるかのように、そこそこの勢いでくたびれた上履きを前に出すが残念ながら行く当ては決まっていない。決して『ぼっち』というわけではないが、悲しいことに『友達』と胸を張って呼べるような同級生はいまだ捜索中であった。気兼ねなく話せる人が全くいないという事は無いのだが、全員もれなく二人きりになると、窒素と酸素と気まずさの混合気体がその場に充満し始めるといった具合だ。
さて、では僕はどこへ向かっているのか。決して哲学の道を歩み始めたわけではなく、この行為自体に意味があるのだ。
休み時間に校内をフラフラと散歩する。
これが僕にできる精一杯の目立つ行為だった。
今日はどこまで行こうか。休み時間は十分間だ。教室移動はないが、二分前には帰っておきたい。まあ、うちの高校に校舎は一つしかないし、他学年のフロアなど論外なので自ずとルートは絞られるわけだが。余談だがうちの学校は制服着用が厳守である。男子はズボン、女子はスカートと決まっているが、制服の種類はこの二つしかなくどの学年も男子ならば同じ制服を着ている。つまり、僕が知らん顔して他学年の階を歩こうとおそらく誰にも見向きはされないだろうが、それくらい神経が太くあれば今頃は学友と休み時間を謳歌しているのではないだろうか。
ふと、映画のフィルムのように流れていた、校舎内の景色に意識を向けてみた。
どうやら校舎の端まで来ていたらしい。顎を少し持ち上げると、右上に『保健室』と彫られた木の板が見える。保健室といえば大概一階の端にあると相場が決まっているが、いったいなぜなのだろうかという疑問が頭の中に浮かんだ。昼寝をしに来た奴が静かに眠れるようにではないかという仮説を立て、僕はその真偽を確かめるべく、そのドアを開ける。
普段はしないようなことをするべきではないと、僕はすぐに後悔することになった。
裸の少女が、そこにはいた。
裸といっても全裸ではなく、下にはスカートを履いており、着けかけの下着が左肩からぶら下がっている。そちらの方が余計に官能的なのでは、という疑問は一旦飲み込み僕はゆっくりとドアを閉めた。
まず考えるべきは責任の所在だろう。
戦犯の筆頭が僕であることに異論はない。なぜノックをしないで入ったのかと言われれば、すいませんでしたというほかない。
しかし、責められるべきは僕だけなのだろうか。そもそも着替えを行うのならばカギをかけてしかるべきだし、第一ここは女子更衣室ではないのだ。となれば、彼女だって悪いという気がしなくもなくもなくもなくもない。ない。
僕は同じ罪でも自首を選んだ方が罪が軽くなることを知っている。残念ながら法律に明るくはないため、覗きを働いた場合の刑罰は知らない。目には目をの精神ならば、今すぐワイシャツを脱ぎ捨てる次第だが、ここがメソポタミアの地ではないことは知っている。
謝るならばスピードが命であると、僕は保健室のドアに再び手をかけた。
だがここで、僕は静電気が発生したかのような勢いで手を放す。
思いついてしまったのだ。もし、まだ着替えの途中であったならばどうしようか、と。
こうなってしまっては考え物だ。
謝るならば早い方がいい。人によって待てる時間というものは違う。となれば、彼女の堪忍袋はいつ切れてもおかしくない。しかし、未だ着替え中であった場合、僕はさらに罪を重ねることになってしまう。イエローカードは二枚で退場だ。まだ僕は退場したくない。しかも中にいたのはおそらく――。
目の前のドアが開く。その音で、バベルよろしく積み上げた僕の思考はガラガラと崩れ降ちた。
「あ、芦屋くんだ」
まるで下駄箱で出くわしたかのように、季乃さんは僕の名を呼んだ。あまりに自然過ぎて脳の処理が追い付かない。もう裸じゃないんだな、なんて当たり前のことが浮かぶ始末だ。……願望ではない。
「と、季乃さん。こんなところで何してたの?」
声帯に意識を集中させ、声が震えないよう努める。最初の一文字はノーカンだ。
「あ、そうだ」
僕の問いかけを受け、季乃さんはポンと手を叩いた。左手に握っている大きめの巾着袋が尻尾のぶるんと震えた。なぜだか湿っている茶髪が肩のあたりでふわっと揺れ、雫がしたたり落ちる。
「ごめんね芦屋くん、私、トイレに行きたかったんだった!」
ばいばい。大きな巾着袋とともに濡れ髪を揺らしながら、嵐のように過ぎ去っていく季乃さんの背中に、僕は何を言うことも出来なかった。
「な、なんだったんだ……」
ただ、頭の中はしっかりと嵐に蹂躙されており、様々な感情が、思考が錯綜している。
一先ず落ち着こうと、僕は開けっ放しの保健室をぼんやりと視界に収めた。
室内の奥、コの字型のカーテンは閉まっておらず、キャスターのついたベッドがはっきりと見えた。そして、そのさらに奥には校舎の外に通じるドアがあり、その窓からは少しジメっと、けれど爽やかな七月の風に揺れる青葉がこちらを覗いていた。
もうそこにはいないはずなのに、僕の見る景色の中心にはベッドに座る一人の美女が映っている。ゆるくパーマのかかったボブヘア。濡れていたせいか、いつもよりも暗めな茶色をしていた。絹のように繊細で滑らかな肌に覆われた背筋はスッと引き締まっていて、ポコッと浮かんだ肩甲骨はまるで彫刻のようだった。急な来客など気にも留めない彼女の横顔はとても端正で可憐であり、スキーのジャンプ台のように滑らかな鼻筋は最も記憶に残っている。
僅かな時間しか見ていなかったはずだが、どうやらよほど印象的だったらしい。そこに官能の類は一切なく、かじったこともない僕ですら断言できるほどの、芸術だった。一枚の絵画のようだったと言った方が伝わるかもしれない。
ここで一つ、僕の中で仮説が立った。先刻の授業で、季乃さんがいなかった理由だ。それ以前の授業には出席していたのだから学校を休んだわけではなく、あんなに元気だったのだから体調不良という線もないだろう。
となると、だ。
僕の中で唯一残っている可能性は、サボタージュ。バックレだ。
季乃さんが授業をサボるなど、印象にはない。とはいえ、僕が彼女について知っていることなど、その名前と容姿、交友関係の広さ。加えて綺麗な背な――。
咳払いをした。喉から血が出そうなくらいおもいきり。
気を取り直して。さて、いったい季乃さんは授業をさぼってここで何をしていたのか。僕は謎を突き止めるべく、保健室の中へと歩みを進める。無観客推理ショーの始まりである。
なんて、仰々しくは言ってみたが、この部屋を一通り眺めた時点で見当がついている。
僕はそれを確かめるため、保健室奥、ベッドの辺りまで足を運んだ。
「やっぱりな」
外につながるドアからベッドまで上履きの跡がある。楕円形でいくつもの横線が入った水たまりだ。右足で三歩、左足で二歩。僕が入った入り口でなく、この外につながるドアから入ってきたんだろう。
ではなぜ、季乃さんの上履きは濡れていたのか。これは最近の学校の様子を知っていれば推測が立つ。
うちの学校は今週の頭にプール開きを行った。部活動や各学校行事など、生徒の自主性に重きを置き、教師は授業以外でほとんど介入してこない。そんな我が校では、プール開き以降、在校生とに向けプールが解放されている。もちろん、授業をサボってプールを使用するなど褒められたものでは無いが、やろうと思えばできるだろうとも、この学校の先生の様子を見ていれば思う。
おそらく季乃さんは先の授業中、プールに入った。しかし、プールに併設された女子更衣室を使用することできなかった。着替える場所を求めた季乃さんはプールから最も近く、外から入ることができる、ここ保健室にやってきた。そして着替えている途中に不幸にも僕がドアを開けてしまった。
まあ、こんな所だろう。その証拠に、濡れた足跡だけでなく、季乃さんの髪は湿っていた。となれば、左手に握っていた大きめの巾着袋には先ほどまで着ていた水着が入っているのだろうと予想がつく。
季乃さんが所属している特異な部活の事を考えれば、こういった謎の行為の一つや二つあるのだろう。
まあ女子更衣室の管理形態なんて僕には知る由もないから、なぜ使えなかったのか具体的な理由までは分からないが。
気持ちよく謎解きも終わったことだし、教室に戻ることにしよう。退屈な休み時間を随分と有意義に過ごせたと満足気で踵を返そうとした瞬間、四時間目の始業を告げる鐘が耳朶を叩いた。
今この瞬間、たとえ世界最強の脚力を持った人間であろうと遅刻を免れることはできないが、小心者の僕に焦るなというのも無理な話で、それはもう今から陸上部に入部しようかと思うほど華麗なスタートダッシュを決めた。
やはりアイススケートにしよう。濡れた床で盛大に転んだ僕がそう決心したのは、言うまでもない。
――どうやら夢を見ていたらしい。
数カ月前の記憶だが、遥か昔のようにも思える記憶。
何にももたれ掛からず船を漕いでいたせいか、首がこってしかたがない。
「あ、起きた」
寝起きの頭に染み込んでくる、澄んだ声。
テーブルの上に腕を組みそこに頭を乗せているのは、季乃音々だ。
「ん、おはよう」
伸びをするフリをして、僕は彼女から目を逸らした。さっきの夢のせいだろうか。まだ、今のような関係になる以前の夢。何を考え、何をしようとしているのか、あのときの僕は何も知らなかった。
「よし。それじゃ、行こっか」
そう言って、組んだ腕から頭をどかす。立ちあがった彼女は、テーブルを周り、僕の前までやって来た。
「探偵部のお仕事に~しゅっぱ――」
僕は慌てて自分の鼻に人差し指を当てた。図書室に人は少ないが、それでも0ではない。「しーだよね」と、苦笑いを浮かべながら彼女は手を合わせる。
「それじゃあ気を取り直して、行こ。虎宵!」
満面の笑みを浮かべ、ワイシャツの袖を掴む。抗う、なんて選択肢など僕にはない。ただ流れに身を任すように、僕は、音々の後をついて行った。
➁ファントム・トライアングル けん @kendayo
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