第2話

 5月25日 - 最高裁判所大法廷は、最高裁判所裁判官国民審査で在外日本人の投票を認めていない最高裁判所裁判官国民審査法の規定は憲法違反として、国に賠償を命じる判決。


 早朝、三島市で農業を営む太田寛(35歳)は、自宅近くのあぜ道で新聞紙の包みを発見した。中にはポリエチレン袋入りのジュースが4袋あり、捨てておくのはもったいないと考えた彼は家に持ち帰った。朝食の席で寛、寛の子供3人、武彦・公則、淳(9歳、7歳、4歳)、寛の母親の計5人がそのジュースを飲んだところ、一同はまもなく苦しみ始めた。飲まなかった祖父と妻が慌てて救急車を呼んだものの、到着した頃には3人の子供は絶命していた寛と母親は飲んだ量が少量だったため、一命をとり止めた。


 被害者の嘔吐物や残りのジュースからは、有機リン系統の毒物が検出され、さらにジュースの袋には注射針を差し込んだような穴が発見された。その毒入りジュースが拾い物だという証言を得た警察は、聞き込みの末に近隣の農家・B李家の娘も同日の同時刻に、同じようなジュースを2袋拾っていたとの情報を得る。そのジュース袋にも注射器の穴があり、中には毒物が混入されていた。しかし、李家ではそのジュースを放置していたため被害を免れていた。捜査陣は不特定多数の殺害を狙った凶悪犯と推理したが、農業組合で要職に就いていた李家の一家皆殺しを図った、怨恨による犯行の可能性もあった。


 一方、ジュースの入手経路を探って聞き込みを重ねる捜査員は、現場近くの菓子屋で「若い男が、同じジュースを6袋買っていた。しかもその男は、事件後に再度やってきて『俺がジュースを買ったことをしゃべるな』と、口止めを頼んでいった」との証言を得る。菓子屋の主人はその男の顔を覚えていたことから、犯人が逮捕される。犯人は李家の長男・雅刀(20歳)だった。


 

 5月28日 - ハーグ事件の共謀共同正犯として懲役20年の判決を受け、東日本成人矯正医療センターで服役中の日本赤軍の元最高幹部重信房子が刑期満了により出所。

 

『函南殺人事件 回想』

 海斗はワシリーは弱いなと思った。芳川が催涙弾を撃ち、海斗が格闘技でワシリーを倒して風磨たちを助けた。風磨たちは頭を下げたが、そんなものより金をよこせよと思った。


 嵐の夜、伊豆半島沖を航行する漁船・天神丸が大ダコに襲撃され、沈没する。唯一生き残った男性が「仲間は全員、タコに続いて海から現れたサソリみたいな怪物に食われた」と繰り返したうえ、噛み砕かれて吐き出されたかのような乗組員の衣服が引き上げられたことを受け、海上保安庁は怪物の研究で有名な五霞の芳川研究所へ連絡する。


 芳川博士は「研究所で育てられ、1年前に死んだはずのサソリが生き返り、漁船を襲ったのではないか」との問いに「仮に生き返ったとしても海にいたり人間を喰うことはあり得ない」と答え、ポイズミと名付けられたこのサソリを世話していた所員の天草和美も「ポイズミはおとなしく素直だった」と答え、疑いを全面否定する。和美はどことなく高畑充希に似ていた。


 芳川博士と和美はポイズミの目撃報告をもとに中郷温水地に向かった。

 三島駅前にある国の天然記念物、および名勝に指定されている楽寿園内の富士山の湧水池である小浜池を水源とし、室町時代の地域の豪族であった寺尾源兵衛が、三島市内11カ村を灌漑するため、源兵衛川を掘削した。

 中郷温水池は1953年(昭和28年)に建設。源兵衛川の終点部に設けられ、温めた湧水を下流13集落、216ヘクタールの農業用水として供給する。1990年(平成2年)度以降、農林水産省の水環境整備事業により、源兵衛川の水辺再生事業の一環として多自然型工法を導入。コンクリート製であった護岸は自然豊かなものへと改変され、散策路や緑地帯が配置された。

 源兵衛川は、全長1.5キロメートルの農業用水路を起源とした蓮沼川と同じ楽寿園内小浜池を水源とし中郷温水池に注ぐ一級河川狩野川水系の河川である。 源兵衛川の名前の由来は、寺尾源兵衛というこの地で水田に引く用水路を計画した人物の名前とされている。楽寿園内の小浜池から広瀬橋(三島市泉町1-49)までを広瀬川と呼ばれることもある。自然地形でできた一般的な川と違い、農業用水路は人為的に開削されたものが多い。源兵衛川も、奈良時代に掘削された農業用水路である。ランドスケプの視点で川を捉えると、本来の機能でなく自然生態系の軸、いこいや遊びとして活用を図ることが求められる。

 源兵衛川が流れる静岡県三島市は古くより「水の都」と呼ばれ、市内各所で富士の湧水が噴出して素晴らしい水辺環境を有していた。


 温水地から引き上げられたタイムカプセルからは海棲生物の細胞組織が、山中では巨大な足跡がそれぞれ発見された。芳川の持ち帰った細胞組織がポイズミのものと判明した直後、曇天の山中城に巨大なサソリが現れた。🏯


 山中城は北条氏によって築城され、小田原城の支城として位置づけられる。箱根十城のひとつ。

 三島市によって当時を反映した整備改修がなされ、堀や土塁などの遺構は風化を避けるため、盛土による被履の上芝を張って保護し、畝堀や障子堀の構造が明確に把握できるように整備されており北条氏の築城方法を良く知ることのできる城跡となっている。

 また、北条氏滅亡と共に廃城となったため、北条氏独特の城郭の構造を多く残していることが注目される。

 2012年まで、5月の第三日曜日に山中城まつりが開催されていた。

 永禄年間(1558年 - 1570年)に北条氏康により築城される。北条氏の本拠地である小田原の西の防衛を担う最重要拠点で、城は東海道を取り込む形で造られていた。


 北条氏政の代に豊臣秀吉との関係が悪化すると、山中城は改修し防備を固めることになるが、結局間に合わず未完成のまま豊臣軍を迎える。1590年(天正18年)、小田原征伐で豊臣秀次率いる6万8千の軍勢が山中城を攻撃、守将は北条氏勝、松田康長、松田康郷、蔭山氏広、間宮康俊ら3千。間宮康俊は寄親北条氏勝等を撤退させて自らは手勢200を率いて三ノ丸~岱崎出丸辺りで豊臣方に苛烈に抗戦した為に、豊臣方も部将の一柳直末など多くの戦死者を出した。しかし戦力差甚だしく猛烈な力攻めの結果わずか半日で落城し、北条方の松田・間宮などの武将や城兵の多くが討死した。戦後、城は廃止された。


 一連の事件が平野亮というマッドサイエンティストによるものと判明し、芳川博士と麗美は対策会議に出席するために三島市にやって来る。芳川博士は、平野は分身がいるのではないかと想像する。会議では強い光や火に弱いポイズミの性質が芳川によって指摘され、市民に灯火要請が出される。その夜、ビアガーデンを襲ったポイズミはライトを浴びせられて源兵衛川から上陸し、自衛隊によって橋付近の谷川へ誘導される。殺人光線による細胞組織の徹底消滅を図る作戦が実行され、ポイズミは、ギガタロスの光線と放電攻撃によって感電死寸前となる。

 ギガタロスに搭乗していた海斗は必死だった。

 ところが、そこにもう1頭の巨大な山のポイズミ2号が現れ、自衛隊を牽制して1号を連れ去る。


 芳川の研究により、両者の細胞は完全に一致し、2頭は「分身」であることが確定する。1号は心優しく、2号を湖の水辺で保護しながら、湖に落ちかけた麗美を救って負傷する。一方、2号は霧に乗じて湖を訪れた人々を食らい続け、ついに1号を怒らせる。1号の攻撃に、2号は海へ逃げ出して消息を絶つ。保護管理を主張する芳川博士と、ポイズミの徹底消滅を主張する卜部統合幕僚長が対立する中、餌を求めて三島駅前に現れた1号を追い、2号も現れる。負傷を押して2号を止めようと立ち向かう1号を自衛隊が援護しながら、1号と2号の戦いが始まる。

 ギガタロスに乗り込んだ卜部により1号と2号は波動砲で殺されてしまった。

 

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三島殺人事件 鷹山トシキ @1982

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