もがれた翼

ミドリ

地底に咲いた花

 それは突然、天から降ってきた。


 重い衝突音と共に、柔らかな砂が舞う。何事かとウルが顔を上げると、砂原に倒れていたのは白い翼の天使だった。


 怪我をしているのか、至る所に血痕が付着している。


 ウルはその天使に駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


 ウルの声に、天使はビクッと反応し、目を見開く。


「嘘でしょ……ここは『狭間』じゃないの!? なんで翼も角もないただの人がいるの!?」


 第一声がそれか、とウルは可笑しくなった。確かに、一面灰色の砂原が広がる曇ったこの世界に、一見ただの人がいるのは変だ。


 食糧も水も、昼も夜もない、何も変わらない世界。天界と魔界の間に位置し、仲の悪い二界の緩衝地帯となっている。別名地底とも呼ばれる、何もない空間。


 時折物が落ちてくることはあるが、生きた者は初めてだった。死んだ者が投げ込まれるのは、稀にあったが。


「私は天使ですが、翼がありません。昔ここに落ち、飛べないので出られず、以来ここに住んでいます」


 傷だらけの天使が、少し幼い中性的な顔で驚く。


「こんな所に……一体何故」

「まあ、色々とありまして」


 ウルは言葉を濁しながら、天使の背中を支え起こした。天使の左の翼が、途中からぶらんと力なく垂れ下がっている。


「折れてますねえ」

「ああ、しくじった……!」


 ウルは落ちていた木片を当て木にすると、腰まである金髪を豪快に引っこ抜きぐるぐると固定した。


 手当の間に話を聞くと、天使の名前はリエル。天界と魔界の戦いの最中に悪魔の攻撃が当たり、狭間に落ちたらしい。


 ウルが、眉を顰める。


「まさか……まだ戦っているのですか?」

「もうずっとだよ。魔王シファは攻撃の手を緩めないし、天界は疲弊してる」

「……シファが魔王?」


 ウルの言葉に、リエルが驚いた。


「シファが魔王の座についたのは、もう百年も前の話だよ」

「百年……」


 それきり、ウルは黙り込んだ。



 翼が治るまで、ウルはリエルの面倒をみた。といっても、時折当て木を取り様子を伝える他は、リエルの話し相手になっただけ。だが、何故かリエルは懐いた。


「ウルはどうして狭間にいるんだ?」


 何度目かの質問に、誤魔化すのも面倒になったウルは重かった口を開く。


「百年ほど前、私はとある者と恋に落ちました」

「え!? ウルは堕天使なの!?」


 天使は中性で、基本恋愛はしない。恋を知った天使は堕天使となり、天界から追放されるのが通例だ。


「いえ。その前に、当時の魔王イストに片翼をもがれ、死にかけ天界に助けを求めた時、仲間の天使にもう片方をもがれここに落とされました」

「魔王イスト……」

「はい。彼はどうなったのです?」


 嫉妬に狂ったイストは、激怒してウルの翼をもいだ。ウルにとっては、憎悪の顔が彼の最後の記憶だ。


「魔王イストは、今の魔王に殺されたよ。それよりも、天使って誰? 仲間だったのに何て酷い……!」


 リエルが怒るのをみて、ウルはその優しさに笑みを浮かべた。


「恐らくは、私が神を裏切ったと思ったのでしょうね。友と信じていたので、最初は辛かったですが……。もうマエルのことは恨んではいません」


 ウルの言葉に、リエルが目が飛び出しそうなほどに驚く。


「リエル? どうしました?」

「だ、大天使マエル様!? 仲間の翼をもいだなんて、そんな……!」

「マエルが大天使? ……そうですか」


 私がここにいる間に、世の中は変わったんですね。ウルは、寂しそうに笑った。



 リエルの翼が治った。


 リエルは、ウルを掴んで離さない。


「ウル、私と一緒に外に出ようよ!」


 ウルは首を横に振る。


「私はもう死んだも同然の存在ですから」


 リエルは、引かなかった。


「ウルの名前に聞き覚えがあったんだ! 誰だったかなって必死に思い出して、分かったんだ!」

「……」

「魔王シファの戦争の目的は『天界に摘まれた花、ウルを取り戻さん』なんだよ!」

「花……」


 ウルの目が、大きく見開かれた。


「ウルを見て分かった。ウルは綺麗だ。人を慈しむ心を持っている。地底と呼ばれる狭間に、可憐な花が咲いてるみたいだったよ!」

「リエル……」


 リエルは続ける。


「ウル、一緒に上に戻ろう! ウルが戻れば、長かった争いもきっと終わる……!」


 ウルは、悲しそうに俯いた。


「私は堕天使にすらなれない、翼をもがれた死に体です」

「ウル、そんなことは」

「シファは!」


 ウルが叫ぶ。


「……シファは、私の翼が綺麗だと言った。それを聞いた魔王イストは、私の翼をもいだ。マエルは笑って片翼をもいだ。これでもうシファは興味を示さないと二人に言われ、ここに突き落とされた」


 ウルの瞳から涙が落ちる。


「シファが今の私を見たら、幻滅する」


 だったら、もういない存在でいい。


 ウルの言葉に、リエルは。


「じゃあ、私がシファの元に貴方を送り届ける」

「リエル……?」

「シファがウルをいらないというのなら」


 リエルの目が、熱を持つ。


「私が貴方の堕天使となるから」


 だから地底の花よ。私の手を取って。


 泣き顔のウルは。


 やがて、震える手でリエルの手を取った。

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