レモンドロップと日曜日

 「あなたは幼気な十五、六歳の少年と変わらないよ」という紫史さんの言葉を思い出して、やっぱり軽蔑されてるんだろうなあ、と思った。

 先週の月曜日に紫史さんからもらった飴玉が口の中で歯に当たり、からりと音を立てる。レモン味だ。飴玉は口に含んだときとほとんど大きさは変わっていなかったが噛み砕いてしまおうかと考えて暫く意図的にからりからりと歯にぶつけて弄ぶ。

 テイクアウトしたアイスコーヒーをちびりちびりとコーヒースタンドの向かいにある小さな公園のベンチで飲んでいたが、照りつける日差しもあいまって二十分も経たずに飲み干してしまった。手持ち無沙汰になってしまったところに紫史さんにもらった飴を思い出したのだ。

 二〇二号室に入って来て俺を見た紫史さんは顔を顰めた。予想はしていたがあまりにもあからさまだったから少し傷ついた。撮影中に彼が嫌な顔をしたり、なにか俺を咎めるような言葉を口にすることはなかった。俺はすきなように振る舞い、彼もすきなように写真を撮った。

 でも帰り際に「あなたは幼気な十五、六の少年と変わらないよ」と呆れたように言って彼はポケットから取り出したレモンドロップを俺に渡したのだ。大きな飴玉でよく駄菓子屋に売っている当たりつきの飴だ。

「ペロペロキャンディじゃないんですね」

「だってあなたは十五、六歳の幼気な少年じゃない」

 でも十五、六歳の幼気な少年と変わらないよ、と彼はもう一度言った。



 口の中の飴玉をガリッと音を立てて噛み砕いた。コーヒースタンドに入っていく時生さんの姿を見つけたからだ。俺が座っているベンチとコーヒースタンドの入り口は一直線上にあり、距離も四、五メートルといったところだから視力の悪い人でなければコーヒースタンドに入っていく人の顔も認識できるだろう。

 小さな公園には遊具もなく大きな樹木が植えられているわけでもないため、コーヒースタンドから公園のベンチまで視界を遮るものはない。だから彼がこちらを向きさえすれば俺に気づく。しかし、それは彼がコーヒースタンドに入る際に後ろを振り返ればの話だった。時生さんが俺に気づかない可能性だって大いにある。その可能性も含めて俺はこのベンチを選んだ。

 それでも、彼はコーヒースタンドから出てくると一直線に俺の座っているベンチへとやって来て「待ち伏せされてるってのはあまり気持ちのいいものじゃないんですね」と言った。その手にはテイクアウトのホットコーヒーがある。

 時生さんは普段店内の三席しかないカウンター席でホットコーヒーを飲むのだが、今日はすぐに店から出てきたのだ。店に入る前に俺のことに気づいていたのだろう。

「でも、僕に声をかけるかかけないかは時生さんの自由ですよ」

「もうかけてるでしょ、声」

「そうですね」

 時生さんが俺の隣に腰をかけて、ホットコーヒーを一口飲む。肌をじりじりと焼くような日差しの中、その咥内には熱い液体が流れ込んでいるというのに横顔はなんとも涼しい。

「待ち伏せしてたんですか、僕を」

 彼は意地悪な微笑を浮かべるが、それは人を不快にさせるものではない。人懐っこさがあるのだ。端正な顔立ちをしている彼がそうやって微笑むとどきりとする。

 彼の仕事はどんな部類の仕事に分類されるのか、そもそも彼の仕事というものはどんなものか得体が知れないが、エリート営業マンとはこういった人のことを言うのだろうと会社勤めの経験など皆無ながらに思う。

「会えたら嬉しいなとは思ってました」

「正直な人だな、ほんとう。元はと言えばコーヒースタンドにたまたま入ってきた亀田さんにいきなり声をかけたのは僕のほうなのに」

「時生さんはコーヒースタンドの常連さんで、僕はたまたま入ってきただけ。それがこうやって度々に会うようになったのならそれは僕のほうに原因があると思うのが普通でしょう」

「明日の十三時、二〇二号室でどうですか?」

「もちろん大丈夫です」

「承諾書は撮影前に僕がホテルに取りに行きます。内容は前回と変わりません」

 薄い鞄の中から取り出した封筒を手渡される。はじめて出会った日だって彼は優雅にコーヒーを楽しんでいる常連客でしかなかったのに、鞄からいつだってそれを持ち歩いているのがさも当たり前かのように承諾書を取り出した。ほんとうにいつでも持ち歩いているのだなと改めて感心してしまう。

 手渡された承諾書と同じものにもうすでに三度サインをしている。それでも俺は今回も一通り承諾内容に目を通して熟考したうえで紙にサインをしなければならない。二度目のときに一度承諾した内容と同じものならと承諾書を碌に読まずにその場でサインしようとしたら時生さんに叱られた。

 「いつの間にか『フルヌードでの撮影』って文言が追加されたらどうします? そういう悪い奴らも少なからずいるんですよ、この世の中には」と言った彼の言葉を聞いて、紫史さんがはじめて会った日に話していた「怖くてずるい大人」のことを思い出した。紫史さんは承諾書の内容を知らないと言っていたが、彼らは示し合わせなくてもお互いの考えを擦り合わせることができているのだ。

「僕のフルヌードって価値がありますか」

 間抜けな質問だとは思ったが、純粋にそのことが気になったから尋ねると彼は一瞬虚をつかれたような顔をしたあと、おかしそうに笑った。

「僕個人はあまり興味は惹かれないけど、需要はきっとあるでしょう。紫史は撮りたがるかもしれないし。もちろん撮りたいって言われても拒否してくださいよ」

 最良のパートナー。それが彼らに似合う言葉なのだと思う。彼らがどれだけの付き合いなのかは知らないが、その関係は長い時間を積み重ねてつくり上げられたものにも見えたし、時間など関係なくパズルのピースをはめこむかの如く最初からぴったりと呼び合うように得られたものにも見えた。

「紫史に会いたいんでしょう」

 俺が知る由もない彼らの関係に思いを巡らせながら受け取った封筒をバッグに仕舞い顔をあげれば、時生さんは挑発するような目を俺に向けていた。その視線を真正面から受け止める。きっと俺は試されている。彼ほどスマートな人がこれほど露骨なことをするのは意外だったが、だからこそそのあからさまな「あなたを試していますよ」という態度には逆に好感が持てた。

 もしかしたら、彼は敢えて俺に不快感を与えるような態度を選んでいるのかもしれない。そうだとしたら、彼こそ正直な人だ。

 自分に人を見る目があるかどうかは分からないが、いまになっていきなり声をかけてきた時生さんの怪しいとしか思えない仕事の勧誘に応じた理由が理解できた気がしたし、間違いではなかったと思う。

「どうでしょうか、よくわかりません。紫史さんの写真はすきです。ただ、僕は写真に詳しいわけじゃないからもしかしたら紫史さんじゃなくてもいいのかもしれない。それにこんな容姿でもお金になる身体ならお金はほしいですし」

 彼は少し苦い顔をする。きっと俺を「正直な人」と呼んだことを見当違いだったと思い直しているのだろう。けれど俺は彼に対して嘘をついているつもりなどなかった。

 紫史さんと過ごす時間に魅力を感じている。でもそれは紫史さんという人に対しての興味なのか、紫史さんの撮る写真に対して興味なのか、それとも今迄触れ合ってこなかった類いの写真そのものに対しての興味なのかは判断がつかない。

「僕はあなたが紫史に興味があるって言ったなら、もう二度とあなたに声をかけないつもりでいましたよ」

 俺は時生さんの言葉に微笑みだけを返す。声をかけてくれなくても構わないとは言えない。今日だって俺は時生さんが声をかけてくれたら嬉しいと思ってコーヒースタンドに来たのだ。しかし、今後も声をかけてくれと頼むこともおかしなことなのだ。俺にはじめて声をかけてきた日のように声をかけるかどうかは時生さん次第で時生さんの自由である。俺の興味の在処の究明のためだけに仕事をしてくれる人などいるわけがない。

「ほんとうにあなたって人は謎だ。随分まともらしく見えるのに。月曜日っていうのは大抵の大人は忙しくしているものなんですよ」

「時生さんは月曜日は忙しいんですか?」

「僕は日曜日だって忙しいですよ、いままさにこうやってあなたをスカウトしてるわけですし」

 それでは、と時生さんはベンチから立ちあがり短く挨拶をすると爽やかな笑顔を残して颯爽とどこかへと歩いていってしまう。彼はほんとうに忙しい人だ。

 明日会えば紫史さんに会うのは四度目になる。

 二〇二号室のベッドに腰かけている俺に今度こそ彼は軽蔑の目を向けるだろう。軽蔑することのさえ億劫に思うだろうか。

 おそらくレモンドロップは一度きりの警告だった。

 飴玉の包装の内側には「はずれ」と大きく書かれている。

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