第105話 羽山光と名前呼び

「やほ。今日は私だけだね」

「いらっしゃいです。光ちゃん」


 ゆっくり眠った次の日は勉強会であった。瑛二と西沢は今日は忙しいらしく、羽山が家へ来た。



「いらっしゃい。羽山」

「海以君もやほ。最近頑張ってるってね」

「そろそろ将来も見据えないといけないからな」

「……あんまり考えたくないね」



 羽山の言葉に思わず苦笑いをしてしまう。俺も去年まではそっち側だったので気持ちは分かる。



「まあ、まだ一年生の終わりだし。時間はあると思うぞ」

「ま、そだね。大学も行くって考えたらまだまだあるし」



 そんなやり取りをしていると、エプロンを付けた凪が微笑んだ。



「二人とも、先にリビングで待っててください。あと少しでご飯が出来ますので」

「そういえばさっきからいい匂いしてるね。手伝おっか?」

「ふふ。大丈夫ですよ。蒼太君にも言いましたが、料理は趣味も兼ねてるので。それに、時間もあんまり掛かりませんから」

「んー……分かった。何かあったら呼んでね?」

「はい! ありがとうございます!」



 羽山の言葉に凪が嬉しそうに頷いて、俺は羽山と共にリビングへと向かった。


 今日は勉強会だが、お昼を食べてから始めようという事になった。午前中は少しだけ勉強をして、凪と買い物に行ったのである。


 リビングに羽山が座ると、珍しくきょろきょろと視線をさまよわせた。それから俺に焦点を当てる。



「なんか珍しい組み合わせだね。私と海以君って」

「そうだな。お互い瑛二と西沢とはよく居る気がするが」



 俺自身、瑛二とはよく居る。それに伴って西沢ともちょこちょこ話す。瑛二に電話が掛かってきた時とか。


 そして、羽山も西沢達とちょこちょこ遊んでると聞く。そういう時は大体凪が俺と二人で居たりする。



「だね。あんまり話せなかったから、海以君とも話したいって思ってたんだ」

「俺もそうだな」



 別に避けてたという訳ではない。俺はもちろん、多分羽山も。

 ただ単純にタイミングが合わなかったり……少し気を使ってくれているだけだろう。



「学校での凪の事とかも聞かせて欲しい」

「うん、もちろん。私にも家での凪のこととか聞かせてね。――でも、その前にちょっといいかな」



 雰囲気が少しだけ真面目なものへと変わる。それに合わせてこちらも背筋を伸ばし、聞く体勢を変えた。



「なんだ?」

「最近凪から海以君の話を聞いててさ。ちょっと思う事があってね」



 そう前置いて、羽山はじっと目を合わせてきた。



「海以君、最近頑張りすぎてない?」

「……それはバイトとかの話か?」

「そだね。それに近いかな」



 少し間を置いて、羽山が続ける。



「海以君はさ。最終的には凪のお父さんの会社を継ぐことを目標にしてるんだよね」

「そうだな。出来るかどうかはともかく、やれるだけやりたいと思ってる」

「それ自体は良い目標だと思うよ。だけど、最近ちょっと頑張りすぎてない?」



 羽山が俺の本心を探るようにじっと目を合わせる。その言葉を改めて咀嚼し、飲み込む。それから俺は言葉を返す。



「俺も一人じゃなくて、周りの人に相談してやってる。無理はしてないつもりだ」

「……それならいいんだけどさ」



 そう言いながらも、彼女はまだ何かが喉につっかえているような表情をしている。



「……ごめん、やっぱよくないかも。それでも私からすれば頑張りすぎてると思う」

「そんな事はないと思う、けど」



 言い切る事が出来なかったのは――昨夜、凪に言われた事があったから。


 視線を逸らす事なく羽山が続ける。



「海以君の周りってさ。今、凄い人しか居ないじゃん。凪もそうだし、凪の両親も。多分、会社で指導係? みたいな事してる人もそうなんだと思う」

「……そうだな。みんな俺が想像していた何倍も凄い人達だ」



 伊東さんもそうだし、お義父さん……宗一郎さんと千恵さんの凄さも少しずつ分かってきた。


 それでもまだまだ全貌は掴めない。これから色々な事を学ぶ度に凄さを思い知る事になるだろう。



「先に言っとくけど、凡人代表の私の言葉だから。真に受けないで欲しいけど、頭の片隅に置いといて欲しいなって思う」

「……羽山が凡人代表って言うのはちょっと気になるが。とりあえず分かった」



 あまり言葉を挟まない方が良いだろうと、俺はそこで口を閉ざした。



「海以君ってさ。今すっごい特殊な立ち位置に居ると思うんだ。言っちゃなんだけど、元々は普通の高校生だよ。多分何かしらの才能があるって認められたから言われたんだろうけどさ」



 彼女の言葉を聞いて、静かに頷く。その言葉に異論はない。


 俺は凪と出会うまで……というかつい最近までは普通の高校生だった。

 本の片隅に描かれるかどうか。そんな一般人だった。今でも自分が主人公だとは思っていないが。



「言葉にするのは難しいんだけど……やっぱさ。会社の上に立つ人とかエリートって、色んな経験してる訳じゃん。資格勉強とかも含めてね。何年も時間を掛けてやってきてる訳でしょ?」



 相槌を打ちながらも、羽山の言いたい事が少しずつ分かってきた。



「海以君って最近は初めてだらけじゃん。アルバイトって言いながらもやってる事は会社員と似てるし。しかも大人って言っても、みんな何かしらスキルがあるし。私が海以君の立場だったら、絶対疲れてるなって思ってさ」

「……でも、周りは気を使ってくれるから。そんなには」

「や、違う違う。気を使う使わない以前の問題だよ。ほら、職員室に入るのってちょっと怖いじゃん? ……例えるならさ。先生の手伝いを休みの日は何時間もしてるとか、放課後もとか考えたら相当疲れると思うんだよ。しかもその上位互換みたいな感じだし」



 その言葉に同意する。確かに年上と……社会人と話すのは緊張する。

 最近は慣れつつあるけど、前までは先生と話すのも緊張してたっけか。



「んっと、ちょっと言葉にするのは難しいんだけど……何が言いたいかっていうとね」



 羽山が少し悩む素振りを見せ、言葉がまとまったのかまたこちらに視線を戻す。



「疲れた時は疲れたって言って欲しいなって思ってさ」

「……そう言ってくれるのは嬉しいが、その辺は大丈夫だぞ?」

「私も無理はしないだろうって思うけどさ。もっと気軽に言って欲しいなって思ってね。凪も疲れた顔する海以君よりは元気な海以君を見たいだろうし」



 羽山の言葉に思わず目を見開く。羽山が優しく……楽しそうに笑った。



「あと……本当にお節介かもしれないんだけど、目的は間違えないようにね」

「目的?」

「そ、目的。凪と幸せになるんでしょ?」

「……そうだな」



 そうだ。俺の一番の目的は、凪と幸せになる事だ。

 いや、俺だけじゃない。宗一郎さん達もそうなのだ。


 何よりも、凪と幸せになるのが一番だ。その手段の一つとして、宗一郎さんから会社の事も提案された訳だし。



 もちろんそちらにも全力を尽くすつもりだが――少し、視野が狭まっていたかもしれないな。



「……ごめん。ちょっと見るべき方向を間違えてたかもしれない」

「あれ? そこはごめんなんだ」



 羽山がニヤリと……誰かさんのような笑い方をして、空気が抜けたような笑いが漏れてしまう。



「ありがとう」

「はい、どういたしまして。愚痴とか疲れたって言葉、凪の前で言いたくなかったら私達の前で言っていいんだからね」



『私達』という言葉には瑛二や西沢も入っているのだろう。


 彼女の言葉に笑いつつ、改めて心に刻む。


 ……何をするにしても、凪と俺が最優先にしなければいけないな、と。



 ◆◆◆


 そうして話をしていると、凪が来て……お昼ご飯を食べながら今までの経緯を話した。ちなみにお昼ご飯はブリの照り焼きである。



「なるほど。凄く楽しそうにお話してるなと思ってましたが、そういう事でしたか」

「そそ。ほら、最近心配してたじゃん? 学校でも海以君の話しかしてなかったし」

「……そうだったのか?」

「そう、ですね。蒼太君が凄いって話はいっぱいしてましたね」



 学校で羽山と色々話すと聞いていたが……まあ、話す分には全然いいんだが。



「……凪にも色々心配掛けてたな」

「ふふ。もう大丈夫ですよ。光ちゃんが色々話してくれたみたいですし。……いえ。やっぱり一つだけ、私からも言わせて欲しい事があります」

「なんだ?」



 聞き返すと、凪がお箸を置いてこちらを見てきた。



「私は蒼太君の笑顔が一番大好きですよ」



 ニコリと表情が緩み、瞳に暖かい光が灯る。

 彼女の言葉を聞いて、俺も大きく頷いた。



「俺も凪の笑顔が一番大好きだ」

「ふふ。では、お互い笑顔が絶えない人生にしましょうね。……いいえ。私がします」

「そこは私達が、だよ。凪。凪も一人じゃないんだし」



 羽山が会話に入ってきて、凪は嬉しそうに笑った。


「はい! ではみんな笑顔で、ですね!」

「人生一回しかないんだからね。笑ったもん勝ちだよ」

「それもそうだな」



 人生は一度きり、か。

 長いのか短いのか、俺にもよく分からない。だけど、きっと人生の多くの割合を彼女と過ごす事になるんだろう。


 それなら笑う方が良い。絶対に。



「ありがとう、羽山」

「はい、どういたしまして。……美味し」



 二度目のお礼を告げれば、羽山は笑って受け取ってくれる。




 それからご飯を食べ――ている途中で、羽山が俺の方を見てきた。



「そういえばさ。ずっと気になってた事あったんだけど」

「ん? なんだ?」

「名前。お互いいつまで苗字呼びなのかなって思って」

「……あー。まあ、そうだな」



 思えばずっと羽山は羽山呼びであった。いや、西沢もそうなんだが。


 どうしようかと凪を見ると、クスリと笑みを零された。



「別に私の事は気にしなくていいですよ。そういう意味で距離を縮めたい、という事じゃないのは分かってますし」

「……俺も少し変な遠慮の仕方をしてたな」

「お互い様だね。じゃあこれからは名前呼びでいい? 私も光で」



 羽山――光の言葉に頷いた。



「それじゃあ改めて、これからよろしくな。光」

「よろしくね。蒼太」



 少し違和感があるものの、そのうち慣れるだろう、となると――



「西沢達にも聞いておかないとな」



 西沢一人だけ苗字呼びというのも変だし。凪も瑛二の事は苗字呼びになっている。



「ですね。私もずっと巻坂さん呼びですし。……大丈夫ですよね?」

「大丈夫だよ。そもそもあの二人も仲良しカップルだし、気にする必要もない。……名前で呼びたいって言ったら二人とも喜んでくれると思うしな」

「ふふ、そうですね。では近いうちにお二人とも話す機会を作りましょうか」



 名前呼びをすればきっと、もっと仲良くなれるだろうな。

 ただ名前で呼ぶだけ、と言えばそうなんだが。実際結構変わると思う。

 俺も凪を名前で呼ぶようになってから更に距離が縮まったし。



「それじゃあ食べたらお勉強、頑張りましょうね」

「おー。あ、私数学得意だから教えるね」

「ああ。ありがとう」



 お昼ご飯で英気を養ったら次は勉強だ。


 勉強自体は別にめちゃくちゃ好きという訳ではないが――凪達となら楽しくなるだろうな。




 ――――――――――――――――――――――


 あとがき


 皐月です。


 読んで何か違和感を抱いた方もいらっしゃるかもしれませんが、光ちゃんが凪ちゃん達を呼ぶ時は呼び捨てにしました。


 今までちゃん付けだったのですが、よくよく見ると最初は呼び捨てでして……表記が揺らいでいた事と、光ちゃんなら二人の事は呼び捨てだろうなと思ったので、これからは呼び捨てとなります。


 今までの話の中から訂正箇所を探すのは少し時間の都合上難しいかもしれません。ご了承頂けますと幸いです。



 さて、もう一つ連絡事項があります。アライブ+にて「他校の氷姫」のコミカライズが更新されております。お時間がある方は是非見て頂ければなと思います。


 凪ちゃんも蒼太君も可愛くてかっこいいですよ!



 それではこれくらいで。次回の更新もお待ちいただければ幸いです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る