幕間 後編

第103話 バレンタイン(一年生)+コミカライズのお知らせ

「なんか最近変だなって思ったらバレンタインか。つかバレンタインって今日だな」

「ああ。もうそんな季節なんだよな」



 最近、教室の空気がどこか妙だった。

 言葉にするのは難しいが……全体的に男子が女子に優しくしてるような気がするのだ。


 その理由は……二月にも入り、バレンタインが近づいてきていたからだったのだ。


 そしてバレンタイン当日。学校の雰囲気は大きく変わっていた。



「……でもこういうのって普段から優しくしてる奴が貰うんだよな」

「瑛二。あんまりそういうこと言わないでくれ。今のだけで凄い数の視線来たから」



 ピリついた視線がこちらにいくつか刺さってくる。……この時期ばかりは恋人の居る男子生徒って敵対視されるんだよな。



 俺もそっち側になったのかと思うと、少しだけ感慨深い。別に去年までも敵対視した事はなかったんだけど。



「ちなみに蒼太は今まで何個貰った事あるんだ?」

「……朝に凪から貰ったな」

「ん? 去年までは?」

「ないな」

「蒼太なら一個くらいはありそうだと思ったんだけどな」



 去年までは家族以外の誰からも貰った事はなかった。今年凪から貰ったのが初めてである。



「瑛二はどうなんだ?」

「俺か? 霧香から毎年貰ってるのは置いといて、何個か貰った事はあるぞ。義理チョコがほとんどだけどな」

「……瑛二、交友関係広いもんな。西沢はなんか言わないのか?」

「霧香は『それだけ貰ったってことは私の彼氏はいい男って事だね』って言うタイプだから」

「想像できるな」

「それはそれとして、みたいな所もあるけどな」



 楽しそうに笑う瑛二。西沢との仲はずっと良好なようで何よりである。



「でも今年はないと思うぞ。学校じゃ蒼太と居る時間も長かったし」

「……それもそうか」


 そこはお互い様だな。

 瑛二より交友関係が低い分、俺も凪以外から貰う事はないだろう。


 

 この時の俺は――そんな事を考えていた。


 ◆◆◆


「まじ?」

「……」

「おいおいまじかよ。良かったな蒼太」



 背中をバシバシと叩いてくる瑛二。


 その理由は――目の前にある一つの袋と便箋だ。



 昼食を食べてきて教室に戻ってくると、机の中にこれが入っていたのである。



「……何かの間違いだと思うぞ。入れる机間違えたとか」

「名前とか書いてないのか? 確認してみてくれよ」

「……俺宛だな」



 手紙を裏返してみると、『海以蒼太君へ』と書かれていた。



「ま、お前最近は色んな人と関わるようになってきてたもんな」

「……確かに最近はちょこちょこ話すようにはしてるが。それでも知り合い未満だぞ」



 グループワークやペアワークなどは積極的に発言するようにしている。前は誰かが仕切ってくれるならと任せてたから。


 ただ、それだけだ。昼休みや放課後話しかけに行く、という事は出来ていない。それは二年生に上がってからやってみようと考えてはいるが。



「……ちょっと確認してみる」

「おう。じゃあ周り見とくな」



 瑛二がそう言って少しだけ離れた。こういう気遣いはありがたい。


 袋は机の中に入れておき、手紙を開いた。




『海以君へ。この前は私が休んでいる時、委員会の代理出席をしてくれてありがとうございました。お礼をしようと思っていたのですが、丁度バレンタインが近いということがあったのでチョコレートを送りたいと思います。彼女さんと一緒に食べてください。もちろんホワイトデーなどのお返しは必要ありません』



「……ああ、そういうことか」


 思い当たる節が一つ見つかって、思わず声が漏れてしまった。



 あれは先週の事。図書委員会で会議があったのだが、俺のクラスの図書委員が休んでいた。それで代理に俺が参加したのである。



 会議と言っても、各々のクラスで本を返してない人が居るからその催促とかそういう話だった。あと、近々図書委員でおすすめの本のPOPを作るとかでそのお知らせである。



 とりあえず聞いた事をまとめ、次の日図書委員である女子生徒に渡した。



 それにしても律儀だな。別にお礼とかしなくてもいい事だ。困った時はお互い様と言うし。


 手紙を閉じれば、瑛二が気になったようにこちらを見てきた。でも聞いてはこない。俺の判断に任せるといったところか。



「お礼だよ、ただの」

「……お礼ねぇ」

「なんだその顔は。本当にお礼らしいぞ」



 凪……俺に恋人が居る事も知ってる。このクラスの生徒ならほとんどが知ってる事だが。



「ふーん? ま、なんにしても良かったじゃねえか」

「良かった……そうだな。良かった」



 タイミングがどうあれ、自分の行いが返ってきたのだ。

 その事はとても嬉しかった。



 ◆◆◆


 ガタンゴトンと電車が揺れる。俺はこの時間が好きだ。やっと日常が戻ってきたような気がして。



「今日は一段と学生が多いような気がしますね。……特に男女の学生が」

「そうだな。やっぱり一大イベントだからだろうな。クリスマス辺りもそうだったし」



 電車の中は普段より男女のカップルが多かった。

 仲が良さそうなのは良いのだが、時折凪をじっと見て恋人らしき女性に抓られたり叩かれたりする男子を見かける。あの時も見た光景だ。



 それとなく彼らから視線を遮るように立つと……凪がじっと俺の顔を見つめていた。



「蒼太君」

「どうした?」

「何か隠してますよね」

「……」



 あまりにもバレるのが早い。いや、それだと少し語弊があるな。



「……言い訳に聞こえるかもしれないが、隠してるつもりはなかった。その、話すタイミングを伺っていたというか」

「そこは疑ってませんよ。ただ、凄く……何かを気にしてるなという表情でしたから」



 凪の言葉に苦笑いが漏れる。

 俺に隠し事は向いてなさそうだな。



「隠していて自責の念が生まれるのなら、早めに話して欲しいです。私が気になっちゃいますから」

「そうだな。悪い……いや、ありがとう」

「ふふ、どういたしまして」



 その言葉を聞いて、静かに深呼吸をする。それから――



「チョコを貰ったんだ」

「やっぱりそうでしたか」



 察していたからか、その表情に驚きはない。彼女はただ優しく、柔らかく微笑んでいた。



「でも、俺の事が好きとかそういうのじゃない。お礼らしいから」

「ふむ、お礼ですか」

「ああ。……手紙も入ってたから後で読んでみて欲しい。恋人と一緒に食べてくださいって書いてあったから、読む分には大丈夫だと思う」

「……なるほど。手紙ですか」


 文面を見た感じ、伝えて大丈夫なものだと思う。というか見せないと……凪の場合は大丈夫な気もするが、本当に何もないのだと証明が出来ない。


 しかし、手紙と聞いて凪は少し目を細めた。



「……分かりました。では後ほどですね」

「あ、ああ」



 なんだろう。さっきより少し声が固くなったような気がする。


 考えてみてもその理由が分からない。そうしている間にも凪の表情が元に戻っていた。



「そういえば蒼太君、朝渡した分は食べてくれましたか?」

「ああ。昼頃頂いた。美味しかったよ」



 朝、凪からバレンタインのプレゼントは貰っていた。

 凪から渡されたのはチョコチップクッキーで、甘さやほろ苦さが丁度よくとても美味しかった。



「それなら良かったです。実は蒼太君のお家でもう一つ作ろうと思ってるので、楽しみにしててくださいね」



 ニコリと笑うその顔はお淑やかな雰囲気に纏われている。二人きりならもう少し油断した表情を見せてくれるが、外だからなのだろう。



 それからはいつも通り、学校でどんなことがあったのかなどたわいのない話となった。


 ……とはいえ、内容はバレンタインに関するものが多かったが。

 最近は羽山が男子生徒達から凄く優しくされていて……でも下心が見え見えでうんざりしていたとか。


 ◆◆◆


「……ふむ、なるほど。確かに委員会のお礼みたいですね。私の事も知ってるようですし」


 凪はじっと手紙を読んだ後、ふうと安心するように息を吐いた。



「縦読みや斜め読みなどもありませんね」

「そ、それはさすがにないと思うんだが」

「そうとも言いきれませんよ。図書委員……本が好きならそういうのも好きな可能性がありますし」



 その瞳はどこまでも蒼く、その視線は俺を包み込んできた。



「それに、一つ気になる事があるんです」

「気になる事?」

「はい。手紙とこの袋が机の中に入っていたんですよね」

「そうだ。昼休み、瑛二と別の場所で食べてたんだが、戻ってきたら入ってた」

「……お昼休みですか。尚更不自然ですね」



 凪が端正な眉を顰める。それから手紙を手で持ち上げた。



「蒼太君はどうして手紙だったんだと思いますか?」

「どうして、か」



 唐突な質問に考え込む。そうだな……



「単純に恥ずかしかったとか、誰かに見られたくなかったとか……邪推されてしまうからとかか?」

「そうですね。恥ずかしかった、という可能性もあります。……でも、誰かに見られたくなかったというのは少しおかしくないですか?」



 そう言われ、少し考えてから気づいた。



「……確かに。わざわざ机の中に入れるのは目立つな」

「しかもお昼休みなら尚更です。一応聞いておきたいんですが、その前に入れられてた可能性はありませんか?」

「ないな。教科書を片付けてから向かってるから確認漏れはないはずだ」



 お昼休みは教室に人が多い。しかも居るのはほとんどがクラスメイトだ。



「……なんでだろうな」

「『机の中に入れる』と一度決め、思考にロックがかかってしまったという可能性もありますが……」



 すっと凪が近づいてきて、手を取ってくる。その手はとても暖かい。



「私の直感になりますが。蒼太君の事が気になってるのかな、と」

「……それは考えすぎじゃないか?」

「好きになってる、とまでは言いませんよ。でもそれくらいならありえるんじゃないかなと」



 からかわれている訳ではない。それは彼女の表情を見ていれば分かる。



「私という存在があったので、気になる止まりになったんだと思いますが……そちらに何度か顔を見せに行って良かったです。本当に」

「……マイナスな感情は抱かれてないとは思うが」



 しかし、色々と飛躍している気がする。また少し考え込んでいると、凪がクスリと笑った。


「バレンタインのチョコレートを渡す。これは女の子にとっても一大イベントです。誰かに見られても構わない……誰かに見られた方がその後話しかけられたりして思い出に残りやすい、という面もあるのでしょうか」


 その笑みは空気の抜けたような、透き通った微笑みだった。



「無理だと分かっていながらも、思い出が欲しかった。……分かるんですよ、その気持ちは」

「凪」

「ふふ、大丈夫ですよ。そんなに心配しなくても。過去は過去として付き合っています」



 あの時とは――あの遊園地に行った日の事だろう。


 思わず彼女の名を呼んでしまったが、その微笑みは自然で無理のあるものではなかった。



「過去は過去として、私は現在。蒼太君と一緒に幸せになる事を大切にします。――話が逸れましたね」



 大丈夫だろうと分かっていたものの、まだ俺は少し心配性だったようだ。

 凪の言葉に大きく頷くと、彼女は満足したような表情を見せた。



「さて、今まで色々言ってきましたが、全部私の直感と推測です。私なら同じ事をしていたかもしれない、という部分もありますからね」

「実際どうなのかは本人にしか分からないもんな」

「はい。……ですが、ここまで言ってきたのにも理由があったりします」



 分かりますか? というように彼女は上目遣いで覗き込んでくる。



 ここで何も知らないフリを出来るほど……鈍感ではなかった。違ってたら恥ずかしいなとは思うが。



「……妬いてくれてる?」

「正解です」



 手を引き寄せられ、両手で包むように握られる。



「私もびっくりしてるんです。蒼太君が他の女の子に目移りするはずがない。そんな事はさせないって分かってるのに……独占欲が出てきちゃいました」



 俺の手がゆっくりと持ち上げられ、凪は手のひらを自分の頬に押し当てる。



「誇らしいという気持ちもあるんですけどね。……不思議ですね。ちょっと複雑なんです」

「……」



 謝る……のは違う気がする。今回は誰が悪いという話ではないのだから。



「ねえ、蒼太君」



 凪が自分で俺の手のひらを動かして――手のひらを口に持ってきて唇を押し当ててきた。



「嫉妬深い私は好きだったりしますか?」

「……好きだよ」

「ふふ、良かったです。それなら――後で少し、したい事があるんです」



 最後にもう一度手のひらにキスをして、凪が笑う。


 それは妖しく、どこか官能的に感じてしまうほど魅力的な笑みだった。



 ◆◆◆



 それから風呂に入ったり、夕ご飯を食べたりした後。


「はい、蒼太君。上手く出来てましたよ」

「おお。ありがとう、凪」



 凪が一枚のお皿を机に置いた。そこにはハート型のミルクチョコレートとホワイトチョコレートが盛り付けられていた。



 家に帰ってからすぐに凪が作り、ずっと冷やしていたのだ。無事に固まったらしい。



「では……今日私が言った事、覚えてますか?」

「ああ。何かしたい事があるとか話してたよな」



 さすがにさっき話した事は覚えている。俺の言葉に凪は嬉しそうに頷いていた。



「はい。今日は少し……いえ、そこそこ妬いてしまったので」



 凪が白く細い指でホワイトチョコレートを一つつまんだ。


 それから自分の口の中に入れ――



「……ん」



 途中で止まる。唇に咥えたのだ。


 それから凪は上目遣いでじっと俺を見つめてきた。



 ……まさか。



「食べて、と?」


 こくりと凪が頷く。それからまたじーっと俺を見つめ始めた。



 ……そう来たか、と思わず顔を背けそうになる。顔が凄く熱くなってしまっている。



 でも、あんまり時間はない。チョコレートが溶けてしまうから。




 大丈夫。キスなら何度もしているし……何度もしているのに、慣れる気配がないのはどうしてなんだろうか。


 心臓が強く音を立て、喉が詰まったように言葉が出なくなる。



 胸の上に手を置いて呼吸を整えてから――覚悟を決める。



 チョコレートに口を付ける間もじっと、凪は蒼い瞳をこちらに向けていた。



 そして――



「……!?」



 チョコレートを半分辺りで割ろうと思っていた。

 カリッという耳心地良い音と共にチョコレートが割れる。……あまりにも簡単にチョコレートが割れた。



 そして、とろっとした液体が零れ落ちそうになって――彼女の唇が薄く開いた、



「ん、あむ」



 唇が開かれたまま更に顔が近づいて――チョコレートを口の中に押し込むように口付けをされる、



 ホワイトチョコレート特有のコク深い甘さが広がり――同時に、とろっとした甘酸っぱい味が口腔内を満たしていく。ラズベリーのソースだろうか。


 それから、チョコレートとは違う甘い匂い……凪の匂いが鼻腔をくすぐってくる。頭がおかしくなりそうだ。




 そうして、口の中に……彼女が咥えていたチョコレート全てが押し込まれ、飲み込む事となった。



 それからやっと凪が離れて……



「ふふ、蒼太君。まだ唇に付いてますよ」



 また凪が近づいてきて、唇を啄むようにキスをしてきた。



「……びっくりしました?」



 イタズラが成功した子供のように……とはとても言えない。


 薔薇のように鮮やかな舌で自身の唇を舐め、凪が目を細めて微笑んだ。



「……すごくびっくりした」

「ふふ。たまにはこういうのもありかな、と。お互いドキドキしちゃってますね」



 凪が胸に手を置いてくる。それを見ながらほっと息を吐いた。



「……たまには、な。いつもされたら心臓が持たない」

「いつもはしませんよ。……でも、あと少しだけ耐えてくださいね?」

「凪?」


 凪がチョコレートを一つつまんだ。今度はミルクチョコレートだ。



「……まさか、今ので終わりじゃないって訳じゃないよな?」

「そのまさかです」



 凪がまた口に咥えて――今度は凪が近づいて、チョコレートを口の中に入れてくる。



 それから彼女は顔をずらし、耳元に口を寄せる。




「……今日は私が満足するまで付き合って貰います」




 鼓膜を通して心がゾワゾワとくすぐられた。



 結局、凪が満足する頃には……お皿の上にあったチョコレートはなくなっていた。



 ―――――――――――――――――――――


 あとがき


 皐月です。更新が遅れて申し訳ございません。


 完全に季節外れのバレンタイン回でしたが、お楽しみ頂けましたら幸いです。



 そして、一つお知らせがございます。私のX(旧Twitter)を見ている方なら分かるかもしれませんが。



「他校の氷姫を助けたら、お友達から始める事になりました」のコミカライズが7月24日から連載開始となりました!


 場所はアライブ+で、椀田くろ先生が担当してくれております!


 詳しくは先程更新した近況ノートを見た頂ければ……もしくは、「他校の氷姫 コミカライズ」とかで調べたら出てくるかなと!


 凪ちゃんがめちゃくちゃ可愛いので、ぜひ!

 瑛二君も出てきますよ!


 コミカライズの次回更新は8月14日ですので、次回もぜひ!




 そしてそして、「他校の氷姫」のWeb更新ですが、そろそろ再開出来るかなと……!


 八月後半はまた忙しくて更新できるかは分かりませんが、ひとまずそれまでは週一以上の更新がしたいです。まずは幕間後半を終わらせ、それから六章に入っていく予定です。




 さて、ではこの辺りであとがきを終わらせて頂きます。二巻も頑張っておりますので、そちらもまたお知らせできる日が来ればご報告します。




 それではこれからも「他校の氷姫」Web版、書籍版、コミカライズ版をよろしくお願いします!

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